OTO Japanシンポジウム追加情報

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


前回、お知らせしたOTO Japanのシンポジウムですが、各講義のタイトルと概要、タイムスケジュールが決まりましたのでお知らせさせていただきます。

O.T.O. Japan Symposium
Bridge between the East and West
10月28日(土) 10:00〜17:00


開場: 9:40

10:00-11:00 「聖杯騎士伝説」と「グノーシスのミサ」 
Fr. V.C.S.  Treasurer, Nihil Oasis

O.T.O. Japanは、汎歴2017年の冬至に合わせて、日本語版の「グノーシスのミサ」を挙行する。今回は、それに先立ちO.T.O.の公開された中核儀式である「グノーシスのミサ」についての考察を行う。
グノーシスのミサ」の典礼文である、『Liber XV』(15の書)はアレイスター・クロウリーがモスクワを旅行中の1913年に書かれた。モスクワ旅行中に書かれたことから、その儀礼の内容はロシア正教聖餐式に似いるといわれている。「聖餐式」は、日本人にはなじみが薄いが、神の肉と血を体内に取り込む儀式でもある。さらにその源流は、「聖杯騎士伝説」や「パルジファル」の中に見出すことができる。
今回の講義では、さまざまな宗教に見られる「聖餐式」や「聖体拝領」について俯瞰し、「聖杯騎士伝説」と「グノーシスのミサ」、そしてO.T.O.との関係について考察していく。


ウトナピシュティムの課題Sr. O.I.L Mistress, Sky Goddess Nu Oasis
三角形の中の眼、ホルスのサイン。「眼」または見るという行為は魔術師にとって重要事項のひとつである。「汝自身を知れ」という言葉があるが、この径を歩むには己を知ることが必要であり、己を知るためは己を見つめる眼が必要となる。だが誰もが最初からその視力を発揮できるのだろうか? 自身のすべてを見通し把握することができるだろうか? 答えは否である。ゆえに魔術師は訓練を重ねる。今回の講義は、この「眼」にまつわるストーリーを用い、Great Workについて語る。


12:10-13:30 ランチタイム


13:30-14:30 「女性のための性魔術」
Sr. Raven. Mistress, Nihil Oasis

原始の時代より、生命を生み出すパワーを持つ性のエネルギーは神聖視をされてきた。そして時代を超え、現在に至るまで、古今東西の探求者たちがこのエネルギーの活用法を研究実践し、それぞれの文化に根ざしたスタイルを体系化してきた。
しかし現代、「性魔術」という言葉に隠匿的なイメージが重ねられてしまうのは、残念なことに堕落の歴史もそこに含まれているからだろう。また、女性探求者にとって、この径の探求がためらわれるのは、そういった堕落の歴史だけでなく、女性に向けた歴史的文献や指導者が極端に少なかった、ということが挙げられると考えられる。
Sr. Ravenがコアに東洋のエソテリックを探求していた8年間と、そこで発見した女性の「性エネルギー」の可能性、西洋魔術との比較融合、自身の実践研究結果から女性行者・探求者に対して最も伝えたい性魔術のあり方を、シェアし、考察する。


14:40-16:00 魔術師の径


Fr. Hieros Phoenix Frater Superior’s Representative in Japan

魔術師は広大な宇宙を理解するために、象徴的縮図としての「生命の樹」を活用しながら、それを長い旅路の地図として用いる。魔術師の径は永久への憧憬に対する霊的帰巣本能によって初めて開かれ、自分自身の真の意志の発見とその実現に向けて緩やかにその歩みを開始する。魔術師の径は起伏に富み、峻烈な壁と多くの落とし穴にみちている。20世紀最大の魔術師アレイスター・クロウリーは、その径を可視化し、明確化するために様々な象徴と寓意、思考の糧と試練にみちた一連のイニシエーションを提案した。本講義では下記の問題に対して考察し、自らの体験を通して得た知見に基づいて解説を加える現代魔術師のためのヒントである。

・最初のステップ: 聖守護天使のキスとおぼろげな径
・魂の暗夜、霊的な乾き、何のために魔術師を志すのか?
・イニシエーション: OTOの「永久の径」とA∴A∴の「大いなる回帰の径」
・魔術師が到達する径の果てにあるもの

魔術師は現代社会の画一性と価値観に抗う反逆者にして破壊者である。その一方、彼は一つ一つの煉瓦を積み上げ、天を目指す神殿建設者である。黄昏の回廊をくぐり抜け、魂の霊薬を抽出する現代魔術師は、第2の身体を駆使し、視えざるものを可視化し、世界を刷新する。魔術師の径とは、永久へと続く驚嘆の旅路である。

16:10-16:45 交流会 ( Q&Aタイム)

16:45 閉会

開場で、皆様とお会いできることを楽しみにしております。


Love is the law, love under will.

O.T.O. Japan シンポジウム 東京

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


魔術修行の孤独な径は、自己制御と持続的な作業の連続であるにもかかわらず、啓明と解放のための人生の祝祭に他なりません。魔術結社O.T.O.が規定する「永久への径」は、個としての啓明を実現するため、専ら連続した参入儀礼によって集団を教育し、鼓舞します。だれもが瞬間的に経験したことのある自由への渇望、人々が求める自己変容のための柔軟な哲学、新しい神学を打ち立て、恍惚の門を押し開くための学び。その目的を定めた熱望者のために『法の書』は”罪の言葉は抑制である”と私達に問いかけます。自由とは、気まぐれで散発的なOpusの累積の途上にはなく、フォーカスされ、意志された孤独な自己分析と戦闘の先に横たわっています。マスター・セリオンが述べる通り、意志とは即ち法であり、その根本的性質は愛です。”愛は法なり、意志の下の愛は”とは多義的な意味合いを含んだ人生の金言でもあります。マスター・セリオンは、汝の意志を見出し、一点集中と超然と平和とともにある意志によって、それを為せ、と厳命します。とはいえ、これは人々を途方に暮れさせるに十分な厳格な命題です。

クロウリーは、志願者たちに学びと体験の場を与え、様々な材料を与えるためにO.T.O.の多数の参入儀礼を改変し、啓明と解放のための神秘的な集団儀礼グノーシスのミサ」を書き上げました。クロウリーは、旧態依然としたフリー・メーソンリーの儀式を換骨奪胎し、新たなアイオンのための男女平等の友愛団を設立する必要性に駆られていました。そして彼は必然的に大陸のマギ、テオドール・ロイスとO.T.O.に出会ったのです。O.T.O. Japanの一つの目的は、この意志と愛の法を日本において敷衍することです。その一環として、来る10月28日に団員の講義からなるオープンなシンポジウムを企画しました。場所は都内某所で、AM 10:00〜PM5:00の予定で講義を行います。参加費は\1,000です。このシンポジウムに参加を希望される方は、下記のコンタクト・ポイントから参加希望のメッセージをお送り下さい。
http://www.otojapan.org/japanese/contact.html


私達の真なる団の長である兄弟ハイメナエウス・ベータは、『アバの書』所収の付録の中でOTOのカリキュラムについてこう書いています。

「東方聖堂騎士団は、古きアイオンの時代に「セレマの法」を受け入れた最初の結社である。それはアレイスター・クロウリー(バフォメットXI°)によって、再構築され、とりわけセレマの法の公布に於ける宗教的、人道主義的使命を活性化し、聖別した」

「OTOは、A∴A∴と同様な感覚で教え、また参入させるのではない。明確なカリキュラムは未定義で、また殆どの位階において試験されることもない。OTOの真のカリキュラムは、各個人の人生と不可分であり、それぞれの参入者のカリキュラムはそれぞれにユニークである」

さて、現代日本に生きるセレマイトは日々何を学び、人生の途上において何を実践しているのでしょうか? 今回のシンポジウムはその一つの答えになるかもしれません。

Love is the law, love under will.

『門の書』を越えて

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.




合衆国の地方都市、テキサス州オースティンのバーグストロム国際空港に降り立ったのは2008年5月21日の深夜のことでした。そこに辿り着くまでの行程は、うんざりするようなフライトと空港での時間つぶしの連続でした。関西国際空港から、サンフランシスコ国際空港までのフライトが約9時間、そこからデンバーを経由してオースティンへと向かう機内で、私は孤独に『第65の書 蛇を帯びた心臓の書』を読みふけりました。この美しくも抒情的な散文詩は、クロウリーがV.V.V.V.V.から受け取った一連の『聖なる書物』の中でもひときわ神秘的、かつ魅惑的な書です。さらに私は、もう一つの書を熱心に、まるで瞑想するかのように読みふけっていました。クロウリーがA∴A∴のニオファイト1=10用に書き下ろした自己参入儀式『ピラミッドの書』です。20時間近い移動の旅は、私の心身に疲労と眠気をもたらしていました。しかし、私の心は反面、押さえようもない興奮で満たされていました。そう、私はA∴A∴のニオファイト儀礼『門の書』を受けるためにオースティンを目指していたのです。

思い返せば、本格的な西洋の魔術体系 (アレイスター・クロウリー黄金の夜明け団カバラ、儀式とヨガ) と邂逅したとき、私の心を魅了したものは、クロウリーが提唱した「科学」にして「アート」としてのMagickの可能性でした。ふと、私はずっと忘れていたものに再び巡り合ったかのような異常な興奮を覚えました。そこには、私を鼓舞する何かがありました。私は、自分の不安定なエネルギーの照準を再び絞り、注ぎ込む魔法の宝箱を手に入れたのです。当初、私が影響を受けた本は、なんといってもクロウリーの『第4の書』です。日本では、膨大な『第4の書』の第1部から3部までが翻訳されていたのですが、いわばそれらの本が、私を無謀なクロウリーの魔術哲学の探究へと駆り立てた原因でした。クロウリーが設立した魔術団体A∴A∴は、その位階制度を「黄金の夜明け」団から借用しているとはいうものの、そのカリキュラムは大幅に変更されていました。読者がA∴A∴に挑む意志を削がれる要因はいくつもあります。例えばクロウリーは、2=9 ジェレイターが3=8プラクティカスに昇進するための試験についてこう述べています。昇進を望む者は、ヨガの姿勢をマスターしたことを証明するために、水がなみなみとつがれたお椀を頭に載せて1時間耐える必要がある、と。もし水を一滴でもこぼせば、彼は試験に落第します。さらに彼は『第3の書』に挑む魔術師は、失敗する度に、腕を剃刀で傷付けよ、と命じています。このような過酷な条件が、A∴A∴という壁に挑もうとする志願者達の意志を削いでしまうのです。このような理不尽な条件をクロウリーは、真剣に考えていたのでしょうか? お椀の試験は、なんといっても個人の頭の形状に依存しています。頭頂が、平らではなくとんがっている人は、なんとも不利です! そして魔術師は、曲芸師を目指すわけではありません。確かにそうです! クロウリーが述べる試験は、なんともナンセンスなのです。

私がO.T.O.に入団したての頃のことです。私は、団の優秀な先輩魔術師に数々の質問をぶつけ、魔術師としての身の振り方を逐一相談していました。クロウリーの儀式の実際の動き、象徴の背後にある意味、曖昧なクロウリーの魔術用語、カバラと儀式の関係などなど。先輩魔術師は、e-mailを通じてほぼ全ての質問に親切に答えてくれました。そして、彼の存在によって、O.T.O.とMagickは、私にとってより身近な存在になっていきました。ある日、私は『第3の書』の剃刀の罰について彼に質問しました。もし、私が『第3の書』の修行にトライしたとしても、剃刀で二の腕を傷付けることは躊躇する、と。彼の回答は明快でした。「そういった馬鹿げた指導に従ってはならない。」 先輩魔術師は、実に常識的な人物で、また魔術とカバラの傑出したエキスパートでもありました。私は、後に彼の意見が正しかったことを理解しました。

いずれにしても、私はA∴A∴は手に負えない難関として傍観してきました。そして、A∴A∴という魔術団体は、厳密には世界に実在していないのではないか? と考えるようになりました。もちろん、90年代にもA∴A∴を標榜するグループは複数存在していました。その筆頭は、姉妹メラルが率いていた「ジェーン・ウルフの血統」です。ジェーン・ウルフはクロウリーの「セレマの僧院」に滞在したこともある有名な魔術師で、姉妹メラルはクロウリーと交流を保ちながら、ジェーン・ウルフに直接の指導を受けた人物です。私は、彼女が刊行している魔術雑誌 (にして「セレマ大学」の機関誌)『In The Continuum』を全号とりよせ、また姉妹メラルにA∴A∴への入団を乞いました。恐らく、彼女は私のような問い合わせを世界中からたくさん受け取っていたに違いありません。彼女は、A∴A∴を直接志願するのではなく、まずは彼女が運営する「セレマ大学」の教程を受けるか、もっとじっくりと勉強するように、と私を諭しました。当時の私は、もちろん、この回答にがっかりしました。とはいえ、彼女は正しかったのです。私は、後に彼女に感謝するようになりました。

2000年以降、状況は少しずつ変化していきます。私は、私が邁進すべき道に対して、極めて正直でなければならない、と考えるようになっていました。魔術の世界には、クロウリーよりももっとお行儀の良い良識的な流派もあれば、もっと極端なレフト・ハンド・パスもあります。しかし、私は日々の魔術作業の中で、明らかに「なにものか」を抑圧している自分に気が付いたのです。それは、ある意味気持ち悪い症状でした。そしてもうA∴A∴の門を叩くことに躊躇することはやめようと閃いたのです。例え、その入団試験が難しかろうとカリキュラムが過酷であろうと、この霊的フラストレーションを昇華する方法は、A∴A∴しかないと感じ始めていたということです。私は改めて本棚から『春秋分点 第4巻1号』を取り出しました。それは1990代の半ばになって、とあるA∴A∴の流派がサミュエル・ワイザー社から刊行した出版物でした。その時になって初めて、私はその本と本気で向き合ったと言えます。なによりもまず、その本にはA∴A∴のプロベイショナーになるための試験問題 (過去問!) が含まれていました。さらにニオファイトがジェレイターに昇進するための「霊視の試験」も含まれていました。クロウリー直筆のイラスト入り「ビラミッドの書」、A∴A∴の外陣の法衣のデザイン、印象深いフラー大佐の魔術的絵画、そしてクロウリーによる『第65の書 蛇を帯びた心臓の書』の解説も含まれていました。そして巻末にはA∴A∴の連絡先が記載されていたのです。

当時、私は一つの噂に心を躍らせていました。「A∴A∴にはO.T.O.の首領をも凌駕する凄腕の魔術師がいて、彼は世界一クロウリーに詳しく、また卓越した真の達人である」という噂です。私はその達人の名前をはっきりとは知りませんでした。しかし、やがて件の達人はジェームス・ワッシャーマンが編纂した『アレイスター・クロウリーと魔法日記の実践』に序文を書いたガンサーという人物だ、ということが判りました。その本が出版されたのは2006年のことですが、正にそれは私がA∴A∴に連絡をとった年でした。私は、問題のたった4ページの序文を何回も読みふけりました。さらにワッシャーマンは、その本の序文でガンサーが、『内なる旅路』という画期的な著作を用意していることを明かしていました。その本は、私がA∴A∴のニオファイトに参入した翌年である2009年に『子供のアイオンの秘儀参入』という題名で出版されました。この画期的な著作こそが、私の人生の径を決定付けた忘れることのできない本になるのです。

A∴A∴に連絡をとった私に、団のプロベイショナーになるための試験問題が送付されてきました。それはとても「やりがい」のある試験でした。私は、私の持ち得る限りの魔術の知識を総動員してその回答をタイプしました。試験の出来はそれなりに満足のいくものであったものの、私は落第しないかどうかヒヤヒヤしていました。数か月後、団から私をプロベイショナーとして受け入れるという嬉しい返信が届きました。団のプロベイショナーは「0=0」位階と呼ばれ、「生命の樹」のセフィラに未だ対応しない予備的位階です。プロベイショナーの努めは、毎日何らかの魔術作業を行い、最低1年間以上、その結果を魔術日記に記録することです。プロベイショナーには、クロウリーの『Eの書』や『Oの書』の実践が推奨されますが、基本的に彼は自由に自身のカリキュラムを設定することが可能です。そして魔術の日記は、毎月指導者へと送ることが義務付けられます。

A∴A∴にはロッジやテンプルという概念が存在しないため、私が団で直接知り得るメンバーは唯一、私の指導者だけでした。当初、団が私にアサインした指導者は某国に住む先輩魔術師でした。私は正式なプロベイショナーになるため、彼と会わなければなりませんでした。そして彼に正式な「受け入れ」を行ってもらわない限り、私はプロベイショナーとして修行を開始することができないのです。指導者は私にこう手紙を書いてきました。「君は、私と会うためにXXXXに来る必要がある。もしくは将来、私が日本に行き、受け入れを行おう」。彼が指定した都市は、もちろん日本から遠く離れた異国の地でした(とはいえ、彼は後に本当に来日しました。しかも1回や2回ではありません)。私はしばらく待つしかない、と決め日々を送りました。そんなある日、私のもとにA∴A∴から連絡が入りました。曰く、「近く団のメンバーが日本に行くから、彼に受け入れを行ってもらうように」とのこと。そこにはまだ一度も会ったことはないものの、私が過去何度も目にしたことのある有名な魔術師の名前が書かれていました。私は彼の手によって滞りなくプロベイショナーとして受け入れられました。私の指導者は、経験豊かで真摯なセレマイトでした。彼は、私にA∴A∴の訓練を指導し、また私の日記を添削してくれました。適切なコメントを与え、また適切に評価すると同時に、適切に批判してもくれました。この関係は現在まで途切れることなく続いています。

プロベイショナーの作業に没頭していた私のもとに、ある日1通のインビテーションが届きます。それは『門の書』への招待、即ちA∴A∴のニオファイトとして正式なメンバーになるために参入儀式を受けよ、というものでした。私はそのためにオースティンまで旅する必要がありました。私は迷うことなく、承諾の連絡を団に返信しました。参入儀式の準備のために私は指導者から指示された瞑想作業に没頭し、日々を過ごしました。それは私が長らく望んでやまなかったA∴A∴への正式な参入への序章でした。私は一人静かに心を落ち着け、団の作業を継続しました。プロベイショナーの訓練で既に培った定常的な作業の積み重ねによって、私はその準備作業を問題なくこなしていくことができました。


こうして私は、オースティンのバーグストロム国際空港に降り立ちました。私を出迎えに来てくれた二人の魔術師とテキサスのハイウェイの上で奇妙な体験をし、いずれにしても私は自身の隠遁の場でもある町はずれのモーテルに辿り着きました。そこはキャッスル・ロックにほど近い荒野の中にポツンと存在していました。翌朝、荷をほどくとともに、私は更なる準備作業に没頭しました。A∴A∴の『門の書』について書かれた、とある解説書によれば、その儀式は開始から完了まで1週間という時間を要します。それは正に隠遁と呼ぶべき、心静まるひとときでした。私は、過去この日記で『門の書』について、こう書いています。

「マルクトは、「生命の樹」の最下端にあり、霊と物質が渾然一体となり存立する<王国>であると同時に、我々が日々暮らす霊的・物質的宇宙の辺境でもあります。その象徴の一つは、意味深くも「門 (Gate)」であり、四分割されたマルクトの門、即ち「祈りの門」、「正義の門」、「死の影の門」、「涙の門」は『法の書』の第一章51節にこう描写されています。“一つの宮殿へと通じる門が四つある。その宮殿の床は銀と金より成る。瑠璃(ラピスラズリ)と碧玉(ジャスパー)があり、あらゆる珍しき香りに満たされ、ジャスミンと薔薇、そして死の紋章がある。彼を四つの門から順番に、もしくは同時に入らせ、宮殿の床の上に立たせよ。”クロウリーは『法の書』の解説の中で、この描写を特定のイニシエーションを表すものである事を示唆しています。そしてそのイニシエーションとは間違いなくA∴A∴のマルクト位階であるニオファイトのための集団参入儀礼「門の書」です。」



『門の書』が執り行われる神殿へと連れ去られる(!) 瞬間は不意にやってきました。私は、自分の準備が完璧に整っているかについて不安を覚えました。とはいえ、既に舞台の幕は上がっていたのです。いずれにしても、私はその名状し難き魔術の神殿へと連れ去られました。儀式は正に表現不可能な魔術的変成作業を私の心身にもたらしました。私は、自身が錬金術の第一物質となって、「変容」を召喚する触媒と混ぜ合わされたのです。私はこの体験が「聖守護天使のヴィジョン」と呼ばれる真の理由を理解しました。ダニエル・ガンサーは「聖守護天使のヴィジョン」を正しくもこう伝えています。

「聖守護天使のヴィジョンは、幻視やトランス状態とは何の関連性もない。それはネフェシュを無益で未制御なままの状態から、“固有の言葉”への注意深い状態へと変成させることである。その言葉は知られざるものであるが、確たるものであり、真の熱望の実証によって自明の理として宣言される。」 「ネフェシュの領域で生起した”聖守護天使のヴィジョン”よりイニシエーションの結果が生じる。変化の触媒、また同様に変成のプロセスそのものは探求者の無意識のうちに始まる。」
『子供のアイオンの秘儀参入』第六章


ところで、ガンサーが述べる「変化の触媒」、即ち変成を助長し、促進する「触媒」とは一体何を表しているのでしょうか? ガンサーは、この触媒を『新約聖書』の『黙示録』に登場する破滅の星 「苦よもぎ」 であると説明しています。『ヨハネの黙示録』にはこう預言されています。”第三の御使がラッパを吹き鳴らすと、苦よもぎというたいまつのように燃えている大きな星が落ちて、水の3分の1が苦くなり、そのため多くの人が死ぬ” 。
『門の書』では、この畏怖すべき災いの星が、志願者のいる神殿に降ってくるのです。そしてその忌むべき災厄の星は変成のための触媒になるのです。それは一体どういうことなのでしょうか? この 「苦よもぎ」 は、クロウリーの体系では逆五芒星によって表象されています。一般的にこれは悪魔主義者達の邪なシンボルの一つです。しかし、A∴A∴の「大いなる作業」の解釈では、この邪星は聖守護天使を表す比喩として登場します。錬金術の、そして「大いなる作業」の第一段階 「黒化」 は、現象として 「腐敗による解体、または破壊」 を参入者にもたらします。「苦よもぎ」 は、その意味において変成のための強力な触媒となります。そしてこの場合の破壊は、再生のための、浄化と啓発の前段階としての破壊に他なりません。これはまた<汝自身を知れ!>という勅命に他ならないのです。「聖守護天使のヴィジョン」は、前述のガンサーが述べるように天使に関するアストラル・ヴィジョンやトランスによる聖守護天使とのコミュニケーションを指すものではありません。「苦よもぎ>」に表象される聖守護天使が破壊力を伴って、ニオファイトのネフェシュ(動物魂)に降下し、魂の根底から変成作業を開始する現象、またその変性の過程そのものを指しています。

この体験は、いくら文字で説明しても無意味化かもしれません。「聖守護天使のヴィジョン」がもたらす変容のプロセスは、『門の書』の体験後、じわじわとニオファイトの無意識を侵食していきます。結果、ニオファイトはたいへん過酷な試練と直面し、喘ぐことになります。「聖守護天使のヴィジョン」という最初の変成作業は、聖守護天使による容赦ない破壊の作業だからです。この作業によって、ニオファイトの旧来の価値観は崩れ、新しく獲得した魔術師の <眼> と <視点> は天使の意志を反映するようになります。志願者と聖守護天使は共鳴し、愛をはぐくみより濃密な霊的交流が生じることになります。活性化された熱情は、その結果として 「聖なる婚礼」 を生起させ、「聖守護天使の知識と会話」のための強固な基盤 (イェソド) を形成していきます。「聖守護天使のヴィジョン」は、ニオファイトの意に反して強制的に発動され、ガンサーが述べる通り無意識に発芽します。そして、この試練によって、ニオファイトは世界を刷新することになります。あらゆる投影・投射によってエゴの周辺に形成された鏡面世界を破壊するのです。この鏡面世界は放置しておくとあらゆる執着と渇愛の原因となり、ニオファイトをして「大いなる作業」から逸脱させようと画策を続けるのです。そして、クロウリーが 「ネフェシュの試練」と呼んだ動物魂と理性の葛藤に呑み込まれ苦悩することになります。魔術師が大いなる作業において失敗する多くの原因は、この「聖守護天使のヴィジョン」の試練の敗北に起因しているといっても過言ではありません。


さて、参入儀式を受けた後、この変容と苦悩、無意識と自我の格闘が本当に私の身の上に、(文字通り!) 降りかかってきたことは言うまでもありません。いまさらながら、それは本当の意味での自分との過酷な闘いでした。私の魔術修行の内でもっとも苦しい時期が、『門の書』の参入後に続いた数年間だったのです。ユング心理学における「シャドー」に相当する「邪悪なるペルソナ」が、ネフェシュに反映されると、それはそのものの本質を破壊し、異質な虚像を産み出します。ネフェシュはそれらの形態を曲解し、破壊し続けることによって永久に存在しようとするのです。動物魂たるネフェシュに災厄の星 「苦よもぎ」として降下する聖守護天使は、これら人間が無限に紡ぎだす虚像と曲解のメカニズムそのものにメスを入れます。それは連続した「シャドー」との戦いであり、ニオファイトを疲労困憊させます。しかし、その戦いに勝利したとき、それまで曇っていた魂に微かな光が輝き始めます。この瞬間、ニオファイトは、この序章に過ぎない最初の試練が、(ある程度) 克服されたことを実感するのです。肉体を有したまま、この試練を完全に克服することは不可能です。とはいえ、「大いなる作業」のこの第一の試練を踏破することによってのみ、続く試練を継続することが可能となります。このことは、多くの志願者がニオファイトよりも上の位階に進めず、そこで挫折してしまうことを意味しています。聖守護天使が一体なにものであるのかは誰にもわかりません。ただ、私はこの自分自身の体験を通じて、A∴A∴が紛うことなき「天使の団」であることを実感しました。それ以来、私はA∴A∴、『聖なる書物』、聖守護天使に対して一切の疑いを持つことを止めてしまいました。私には、それしか選択肢がなかったのです。あまりにも熾烈な試練が、団が予言した通りに私に襲いかかったからです。その参入儀式は、多くの魔術団体が得意とする象徴とプシュケの交わり以上の、よりリアルで不可避な変容体験を私の人生に投げかけたのです。それは私にとって、このうえもなく現実的な体験でした。

A∴A∴が過酷であるのは、一時間アーサナを保ったままプラーナヤーマを続ける必要があるからではなく、また『聖なる書物』を一語一句暗記して、試験を受けなければならないからでもありません。「光の体」に意識の星を移して、アストラル界をあまねく探索しなければならないからでもなく、そして位階の魔法武器を独力で作成しなければならないからでもありません。それは人生に逃れられない過酷な試練を与えるからです。『門の書』の体験を通じて私はそのことを実感しました。そして2009年に出版されたガンサーの一冊目の本を読みました。ガンサーは、クロウリーが才能ある人物には違いないが、単なる救世主の筆記者に過ぎない、と述べました。その記述を読んだ私は、その夜、一睡もできませんでした。私には、それが事実であることが実感できたからです。その事実を改めて突き付けられた私は、それでも大きなショックを受けのです。そして私は、真の意味でA∴A∴を設立した当事者はクロウリーではないと悟ったのです。私は、『門の書』を深く研究し、後にその成果を論文としてまとめあげました。

オースティンでの体験は、私の人生における一つのターニング・ポイントでした。『門の書』の参入を終えた私は、荒野のモーテルを引き払い、オースティンのダウンタウンに繰り出しました。テキサスの容赦ない太陽は、私の皮膚に鋭く突き刺さります。しかし、私は瞬間的に驚異的な解放感に満たされていました。ただその瞬間は、いずれ訪れる過酷な試練の前の一瞬の安らぎにしか過ぎませんでした。私は続く数年間、この過酷な試練のただ中に放り込まれたのです。私は、自分の不完全さ、弱さと直面し、もだえながら試練を克服すべく、ただただ奮闘したのです。その奮闘が報われたとき、私はより自由に飛翔する為の不可視の翼を手に入れたかの如く、そっと自分の胸を撫で下ろしました。

私の「大いなる帰還の径」の内なる旅は、これからも生涯続いていくことでしょう。


Love is the law, love under will.

Thelemic Year Viii

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


2017年3月19日。東方聖堂騎士団 (OTO ) のメンバー達は団の最初級位階であるミネルヴァル位階の参入儀式を挙行しました。この参入儀式は関東に本拠を置くニヒル・オアシスによって滞りなく行われ、新たに5名のミネルヴァルが誕生しました。ミネルヴァルという言葉は明らかにローマの女神であるミネルヴァに由来し、彼女はギリシャの叡智の女神アテナに照応しています。その源流はエジプトの女神であるイシスやネイスにあると考えられます。ミネルヴァは戦闘、詩、薬学、商業、技工、そして音楽の改革者という性質を持ち、本質的に処女神と考えられています。アレイスター・クロウリーが上梓したミネルヴァルの位階の参入儀式は、カバラ的象徴を基礎に置いた興味深い劇的儀礼の一例です。この参入儀礼において、彷徨える神である志願者の自我は、太陽系に捉われOTOの最初の秘密を学びます。それは大作業の最初の小さな種子ではあるものの、全体的なOTOの作業目的は儀礼の誓いの中に隠匿されています。それはクロウリーが定義した「永久の径」の最初の一歩であり、志願者の魂に刻まれる最初の生ける体験に他なりません。ここにおいてミネルヴァルは大いなる野望の旅を開始します。OTOの象徴体系では、それはエジプトのある都市の名前によって象徴されています。

確かにOTOの参入のプロセスは、とてもドラマティックであり、参入者となった者は常に「永久の径」を旅する者です。参入者にとって『法の書』は、その哲学的・魔術的基盤であり、闇夜に照らされた神殿の中でその確たる旅を開始します。そして彼は団の最初の秘密のサインと言葉を授かります。志願者の自我は、これから始まる「永久」へと連なる長い旅路に邁進することを誓います。

“だが、われを愛するという事は何において優るものなり。もし砂漠の星空の下、汝がわが面前にてわが香を燃やし、純粋なる心を持ってわれを召喚し、その中に蛇が燃え上がるならば、汝はわが懐に来りて、ほんの少しばかり横たわるであろう。”
       『法の書 第一章61節』

OTOの「永久の径」のプロセスは、下記の言葉によって説明することが可能です。

ミネルヴァル: 彷徨える魂は太陽系に引き付けられ、自らの意志によって団に迎えられる
第一位階: 志願者は「誕生」にまつわる秘密を学ぶ
第二位階: 志願者は魔術師となり、人生を生き抜く知恵を学ぶ
第三位階: 志願者はやがて訪れる死と対峙し、その本質を学ぶ
第四位階: 志願者は死後の世界へと赴き、O.T.O.の秘密のレクチャーを受ける
完全なる参入者: 志願者は象徴的に無へと回帰し、象徴的に深淵を踏破する

「大地の男」と呼ばれる6種類の劇的儀礼は、一つのサイクルを形成し、象徴的な無窮の体験によって締めくくられます。更なる旅路を求める志願者は、「大地の男」と「恋人」と呼ばれるセレマイトの大区分の間に位置する「東西の騎士」の参入を経て、第五位階へと進みます。そこで教示される秘儀は、「新アイオンの薔薇十字の秘儀」に他なりません。

同日、同じくニヒル・オアシス主催による「ホルスの召喚儀式」が行われ、オアシスは次なる秋分点までの半年間の神託を受け取りました。これはいわゆる「書物占い」によって獲得されるのですが、そのためにニヒル・オアシスでは『法の書』が用いられました。一方、A∴A∴では『聖なるセレマの書』を構成する全13の書から神託が得られます。関東に拠点を置くニヒル・オアシスは現在、定期的に活動を展開しており、月次の集会と交流会の他、今回の春分の祝祭のような魔術イベントを提供しています。また今後も半公開のイベントを企画しているようです。

さてセレマイトは独自の歴を持っていることは実は余りよく知られていません。この歴は「神々の春秋分点」と『法の書』受領の年である1904年を起点としています。セレマイトにとっての一年の始まりは毎年3月20日となっています。2017年3月20日から、新しいセレマの年である「Viii」が幕を明けました。セレマ歴は22年を一つのサイクルととらえています。従って「V」は、22年の周期が5回巡ったことを意味しています ( 22 x 5 = 110)。さらに「iii」は「3」を意味しますので、Viiiは(22 x 5) + 3 = 113を意味します。つまり今年はセレマ歴113年ということになります(1904 + 113 = 2017年)。22年のサイクルを構成する各年はトート・タローの大アルカナの22枚に対応しています。従って「Viii」は、Atu V = HierophantとAtu III = Empressに対応します。「Viii」はHierophant / Empressの年ということになります。北半球における春分点は、新年の始まるを告げる均衡と調和のポイントです。この時、世界中のOTOのメンバー達は各地で新年を祝祭します(南半球では季節が逆転します)。

OTOの国内拠点は、現在、関東と関西に一拠点ずつ存在しています。アレイスター・クロウリーが伝えたセレマの魔術哲学、カバラ、タロー、儀式などに関心を持ち、真摯に「大作業」の径を歩まんと欲する全ての志願者達にその扉は開かれています。ただし、全ての志願者が団に迎えられるわけではありません。OTO Japanの書庫にある『東方聖堂騎士団入門』から引用してみましょう。


“  OTO Japan は国籍や民族に一切関係なく、セレマの法を受け入れた自由な男女によって構成され、活動している魔術団体である。各々の活動拠点は、国際総本部から正式な認可を受けたマスターによって指導され、関東圏、関西圏のそれぞれで定期的な活動を展開している。各拠点が開催する勉強会は、多くの場合、団の外部にも開放されており、団と外部との貴重な交流の場になっている。
OTO への参入に関しては、一定の規則があり、物理的なイニシエーションによってのみ正式なメンバーとして迎えられる。志願者はまず、OTO Japan のホームページに記載されている最寄りの活動拠点にコンタクトすることから始めるだろう。この最初の接点で問題がなければ、次に各拠点のオフィサーらによる面接に進む。この時、曖昧さが残り、またその動機に疑義が生じ、尚且つOTO への参入に適さないと判断された場合、後日その旨が志願者に伝えられる。
面接に於いて、志願者が認められると次に入会申込書に必要事項を記載し、OTO の活動拠点に提出することになる。注意すべきは、この時、第一位階以上のスポンサー2 名の署名が必要であることだ。通常は、面接を行ったキャンプ、オアシス、ロッジのオフィサーがスポンサーとなる場合が多い。そして志願者は、すべからく参入の為の神殿へと誘われ、最初の位階であるミネルヴァルの儀式を受けることになる。ケース・バス・ケースではあるものの最初のコンタクトから、ミネルヴァルの儀式を受けるまでの期間は、通常数ヶ月から半年程度である。とはいえ、半年以上、参入のチャンスが与えられない場合もままある。それらは全てキャンプ、オアシス、ロッジのマスターによって判断されるだろう。
ミネルヴァルの位階は、正式なOTO のメンバーであるというよりも、むしろゲストと見做されている。団の正式な構成員として、他の志願者のスポンサーになれる正式団員は、第一位階以上の参入者に限られている。OTO の門戸は開放されている。ただし、そこに明確な意志がなければ、簡単に退けられてしまうことになるだろう。あなたの意志が団に歓迎されんことを! ”


平和と寛容と真実。
この三角形の全ての頂点に敬礼し、
騎士団に敬意を表す。
団に縁ある皆様、ようこそ、そして健やかに!


『自由』を求めるならば、戦わねばならない。
「戦いたい』ならば、組織化せねばならない。
『組織化』したいのならば、
OTOに参加しよう。


Love is the law, love under will.

V.V.V.V.V.

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


“ 時折『旅人たち』が砂漠を横切る。彼らは『大いなる海』からやってきて、そしてまた『大いなる海』に向かうのだ。
彼らは進む度に水をこぼす。いつか彼らは砂漠に水を撒くだろう。花が咲くまで。
見よ!5つの『駱駝』の足跡を!V.V.V.V.V. ”
『虚言の書』 42章


1900年1月15日、パリのアハトゥール・テンプルNo7.でアデプタス・マイナー位階に参入した際にアレイスター・クロウリーが選択した内陣の魔法名は「Christeos Lucifitias」でした。この魔法名はエノク語を使って命名されており、その意味は「光あれ」です。この魔法名は面白いことに二つの相反する神の名前を合体させたものです。そう、「キリスト」と「ルシファー」です。ただし少し補足が必要でしょう。「キリスト」は、ギリシャ語の「クリストス」に由来しており、この言葉は確かに「キリスト」の語源ではありますが、その本来の意味は「油を注がれたもの」です。ヘブライ語の「メシア」は、後にギリシャ語に変換され「クリストス」となったのです。即ち、「救世主」とは「油を注がれたもの」なのです。またイエス・キリストは「救世主イエス」という意味になります。ルシファーは、「光を運ぶもの」であり、クロウリーはそこにある種の崇敬の念を抱きつつ、その存在を肯定していました。この魔法名にはクロウリー独特のアイロニーが含まれていたと考えるべきです。なんといっても彼は、イエス・キリストというパウロの妄想が生んだ捏造された神の像を破壊したくてたまらなかったのですから。彼は伝説のイエス・キリストを偽りの救世主と見做していました。「頭上に聖油を注がれた光の運び手」クロウリーは、やがて名状し難い方法によって彼の救世主と邂逅します。



「子供の時代」の守護神ホルスの秘儀参入を扱った歴史的著作の作者、J.ダニエル・ガンサーは、アデプタス・マイナーであった兄弟Christeos Lucifitias、アレイスター・クロウリーが獲得した聖守護天使の神聖な名前が「V.V.V.V.V.」であったと述べています。2011年9月の来日公演『新しいアイオンにおける救世主の教義』の中で、ガンサーは印象深い話を披露してくれました。ガンサーは、クロウリーが彼の聖守護天使の名前を明かすつもりは全くなかった、と語ったのです。そしてガンサーは最初の著作『子供の時代の秘儀参入 (Initiation in the Aeon of the Child)』の中で、クロウリーは「V.V.V.V.V.」の筆記者に過ぎなかったと述べたのです。クロウリーはこの謎の救世主「V.V.V.V.V.」に関して『虚言の書』の41章でこう書いています。


“ V.V.V.V.V.において大いなる作業は完璧である。
それゆえ V.V.V.V.V.に関わらぬものは何もない。
彼が明示するあらゆるものに、彼が明示すべく選んだものにも、
『兄弟ペルデュラボー』の同僚を通して『A∴A∴ の作業への権威の印』の
『彼』の指輪を与えよう。”


それでも彼は「V.V.V.V.V.」の秘密を明かすつもりはありませんでした。「V.V.V.V.V.」はクロウリーが受け取った13種類のA級刊行物、つまり「セレマの聖なる書物」に13回登場します。その一例を見てみましょう。「光の門の書」から引用します。


“ 私は、無限の宇宙の深淵で回転する小さく黒い宝珠を見た。それは無数の巨大なるものの間では些細なものであり、無数の輝かしいものの間では暗きものだ。
自分自身の中の全ての巨大なものと些細なもの、全ての光り輝くものと暗きものを理解する私は、私自身の言い様のない壮麗な輝きを和らげ、V.V.V.V.V.を私の光の一条として、あの小さな黒き宝珠への使者として、送り出した。
そして V.V.V.V.V.は言葉を運び、語りて曰く、地上の男と女、君たちに、私は『時代を超えた時代』から、君たちの想像を超える『空間』からやってきて、この言葉をもたらそう。
しかし彼らには聞こえなかった。彼らは受け取る用意が出来ていなかったからだ。”



クロウリーの弟子達や追従者達が混乱せざるを得なかったのは、彼が自身の8=3位階の魔法名として「V.V.V.V.V.」を選択したからです。クロウリーは、自身の魔法名V.V.V.V.V.は「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」の頭文字であると述べました。その意味は「『真実』の力によりて私は生ける間に『宇宙』を征服せん」です。クロウリーは何故、彼の聖守護天使と同じ頭文字の魔法名を名乗ることになったのでしょうか? それは『霊視と幻聴』のアエティールの作業で彼自身が深淵を越えたと認識していたことに関連していると考えるべきでしょう。ただし、クロウリーの魔法名「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」は、あくまでも彼の個的なマジカル・モットーに過ぎません。ガンサーは「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」と彼の聖守護天使「V.V.V.V.V.」は全く独立した存在であると明言しています。いずれにしてもクロウリー死後の研究者たちが、この「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」と「V.V.V.V.V.」を文脈上区別できなかったことは明白です。少なくともダンサーが最初の本を出版するまでは。

クロウリーは、「V.V.V.V.V.」をどう捉えていたのでしょうか? 「セレマの聖なる書物」以外にもその痕跡を辿ることは可能です。クロウリーは、若かりし日々に大いに触発されたフォン・エッカルトハウゼンの「聖域の上の雲」の一文を書き換え、A∴A∴のために『第33の書』を執筆しました。この「聖域の上の雲」こそは、クロウリーが「隠れたソサエティ」を探し当てようと志したモチベーションとなった本です。エッカルトハウゼンのオリジナルの文章にはこう書かれています。


“ このソサエティは光を多く受け入れることのできる人々、即ち『選ばれた者たち』の共同体なのだ。『選ばれた者たち』は真実の元に統一され、彼らの『長』は『世界の光』自身たる、イエス・キリスト、光の中で『油を注がれた者』、人類の唯一の調停者、『道』、『真実』、『命』...なのである ”


クロウリーはエッカルトハウゼンの文章を保ちつつ、言葉を置き換えました。


“ このソサエティは光を多く受け入れることのできる人々の共同体なのだ。彼らは真実の元に統一され、彼らの『長』は『世界の光』自身たる、V.V.V.V.V.、光の中で『油を注がれた者』、人類の唯一の導師、『道』、『真実』、『命』...なのである ”


クロウリーは選民たる『選ばれた者たち』を削除し、『彼ら』たる「男と女」( =「星」) に入れ替えました。そして「イエス・キリスト」を「V.V.V.V.V.」に置換しました。
クロウリーは、本当に世界の救世主が「V.V.V.V.V.」だと信じていたのでしょうか? だとしたら、彼は自らの妄想によって破滅してしまうのでは、と皆さんはお考えでしょう。さて繰り返しますがクロウリー = 兄弟Christeos Lucifitiasは彼の救世主 / 聖守護天使が「V.V.V.V.V.」であることを生涯秘密にしていたのです。

彼は血迷っていたのでしょうか? そうではありません。とにかく彼は、「V.V.V.V.V.」が世界の「救世主」であると公的に断定することを頑なに避け続けたのです。彼は、< そのように存在していた > かも知れない「イエス・キリスト」という偶像が世界中に巻き起こした一大センセーションをあざ笑っていました。なによりも「イエス・キリスト」こそが、非科学的な妄想の産物であると彼は確信していたのです。死者を蘇らすどころか、自身もゾンビのように肉体ごと復活した「イエス・キリスト」、それは西洋社会を支配した偶像の呪術として今なお世界に君臨しています。クロウリーは考えました。ご都合主義によって脚色にまみれた「救世主キリスト」に比べれば、私にとって「V.V.V.V.V.」ほど確たる救世主はいないと。驚くべきことに「V.V.V.V.V.」は、時折、兄弟Christeos Lucifitiasの意識を乗っ取ることがありました。これは彼にとっても半ば信じ難い現象でした。

クロウリーが「V.V.V.V.V.」に意識を乗っ取られると、それは自動書記という形で彼に様々な叡智 = 書物を授けました。その文体は、難解なシンボムに溢れた抒情的な散文詩で構成されていました。クロウリーは、これらの書物が決して彼自身の意図によって書かれたものではないと断言しています。彼が一種の恍惚状態、正確にはサマディーの最中に、彼を媒体として伝えられた聖守護天使の言葉の数々がそれです。そう、クロウリーは筆記者に徹したのです。それらの聖なる書物はA∴A∴のA級刊行物と定められ、A∴A∴の魔術師達の研鑽の対象となったのです。

1907年のクロウリーの日記によれば、同年10月30日に『第7の書』(Liber Liberi vel Lapidis Lazuli)を一気に記述しています。『法の書』よりも若干長い5,700語の書物をたった二時間半で一気に書き上げるのです。そして『第7の書』を書き記した直後、A∴A∴のプロベイショナーの為の研究書物であり、クロウリーが受け取った書物の中でも、その美しさにおいて際立つ『第65の書』( Liber Cordis Cincti Serpente )の記述が始まります。『第7の書』の場合とは異なり、単独あるいは複数の章毎に日を分けてクロウリーに伝えられています。続いて11月25日には『第66の書』(Liber Stellae Rubeae)を、12月5,6日には『第231の書』(Liber Arcanorum)を、14日には同書の22種のシジルを、また12日から14日の短期間に『第10の書』(Liber Porta Lucis)、『第400の書』(Liber TAU vel Kabbalae Trium Literarum)、『第27の書』(Liber Trigrammaton)を連続して受け取ることになるのです。正に怒涛の霊的攻勢が「V.V.V.V.V.」からクロウリーに降り注いだことになります。

冷静になって考えてみて下さい。性行為なく処女から生まれ、病人を癒し、死者を蘇生させ、水を葡萄酒に変え、パン五個と魚二尾で5,000人を満腹にさせ、人類の罪を背負って十字架上で朽ち果てたにも関わらず、三日後には肉体ごと復活した救世主のお話を。世界は「救世主キリスト」の愛によって打ちのめされ、ひれ伏し、その実在を疑う事すらなかったのです。キリスト教原理主義の家庭で抑圧と共に育ったクロウリーは幸運でした。彼は「救世主キリスト」のお伽噺を破壊し、人類を霊的昏睡状態から救い出そうと本気で思ったのです。やがて彼は西洋の伝統のみならず、ヨガを学び、仏教を学び、易経をまなび、西洋と東洋の秘儀をバランス良く配置するA∴A∴を設立しました。そしてそれは「V.V.V.V.V.」の意志でもありました。A∴A∴設立の時期に合わせ「V.V.V.V.V.」はその殆どの「聖なる書物」をクロウリーに授け、それらの書物をA∴A∴の中核に据えさせたのです。この場合、兄弟Christeos Lucifitiasは単なる書記にしか過ぎませんでした。

救世主「V.V.V.V.V.」が、私達にもたらしたものとは何でしょうか? その答えは非常に簡単です。それは人間が人生を賭けて挑む「大作業」の径です。ガンサーが「回帰の大いなる径」と呼んだ秘儀参入の道程、即ち「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」の径です。「大作業」は、あなたの外側に存在する偽りの神のイメージと迷信を拒絶し、粉砕します。人類が一神教の呪縛に従う奴隷である限り、アレイスター・クロウリーは悪魔の権化以外の何ものでもありません。多くの人達にとってクロウリーは偽預言者にして詐欺師であり続けます。そんな人達にとって、彼の言葉は世迷言であり、信じるに値しない空想なのです。

クロウリーの思いを代弁したメアリ・デスティ・スタージスの次の言葉は印象深いものです。

「他の者はこう述べる。「私を信じよ!」と。彼は「私を信じてはならぬ!」と述べる」

この言葉は、紛うことなきクロウリーの本心だと私は確信しています。彼は詐欺師、黒魔術師と非難されることを全く意に介していませんでした。もし彼が「私を信じよ!」と叫んだとしても、そこには常にクロウリー一流のユーモアが内包されていたことでしょう。彼は霊的自由を知らず、信仰をはき違え、多数派に倣う古き人々から嘲笑されることをむしろ喜んでいました。彼はきっとこう思っていたことでしょう。

時代が進めば自ずと全ては明らかになる、と。


Love is the law, love under will.

第二回西洋秘教伝統シンポジウム講演内容

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


11月19日に開催する第二回西洋秘教伝統シンポジウムの講演内容が公開されました。このイベントの主旨は大きく二点です。1. 魔術結社で活動する現役修行者達による本格的魔術講義を低価格で提供する。2. シーンにおける活発な情報交換、人的交流の場を提供する。この趣旨にご賛同いただきました講演者の皆様、そして既に申し込みをいただきました参加者の皆様、当日は有意義な一日といたしましょう。そしてまだ参加申し込みをされていない皆様、是非 下記サイトからお申込み下さい。

http://abiegnus.jimdo.com/第2回西洋秘教シンポジウム参加申し込み/

★ Hieros Phoenixプロフィール:
1989年、実践的西洋魔術と邂逅。以後「黄金の夜明け」団の儀式魔術体系、並びにアレイスター・クロウリーが提唱したセレマ主義を中心に四半世紀にわたり実践を積む。幾つかの魔術団体を経て、現在は「東方聖堂騎士団 (O.T.O.)」の日本代表を務める傍ら、過酷な実践カリキュラムで有名な「銀の星」団(A∴A∴)を主軸とした修行生活を送っている。

講演概要:
Mysterium sanctae Hexagram 『スター・サファイヤの書』と結合の神秘

1912年、アレイスター・クロウリーは大陸の秘教的フリーメーソンリーの指導的人物テオドール・ロイスの突然の訪問を受ける。ロイスはクロウリーに対して何故、O.T.O.の最高位階の実践的秘密を暴露し、その内奥の秘儀を公刊してしまったのか? と非難したという。件の文書は1913年に自費出版されたクロウリーの霊的・魔術哲学的詩集『虚言の書』所収の第36章『スター・サファィヤ』の儀式であった。そもそも1913年に出版された『虚言の書』が、何故1912年にロイスの手に渡ったのだろうか? あるいは単にクロウリーがこのエピソードが起こった日時を記憶違いしていたのであろうか?
翻って『スター・サファイヤの書』はクロウリーが、偶然の産物として書き表した儀式の一例なのであろうか? あるいはクロウリーは、O.T.O.の秘密を知り得た上で敢えて『スター・サファイヤの書』を創作し、更にそれを難解な儀式の暗号文の中に封じ込めたのか? 様々な憶測が飛び交うクロウリーの儀式、『スター・サファイヤの書』を検証する。

★ 神木ミサ
プロフィール:

魔術の学院「I∴O∴S∴」正式メンバー。天秤座のA型。好きな魔術は召喚魔術。
贔屓の天使はツァドキエル。己のカバラ思想の霊的系譜はイサク・ルリア。

2012年、自身のプロベイショナー時代の魔術日記に基づいた小説「天使由来」上梓。

2015年、ある方のご紹介で某出版社様とご縁を頂き、次回作の出版に向けて話を進めるも、
双方の方向性の相違により頓挫。暫くヤサグレて(笑)、もー封印しちゃおー、と思っていた2016年、エレウシス的摩訶不思議な邂逅によって、やはり世に出そう! と、あっさり封印解除。もうちょっと待っててね☆

講演内容:
神木ミサ・完全オリジナルパスワーキング 〜『Donum(ドヌム)』〜 

魔術は語るものではなく、自ら「やる(実践する)」ものなので、何か実践系で・・・と考えた結果、会場の椅子や机を片付けないで済む「パスワーキング(径行き)」を実施することにしました。 勿論、当日の参加者の中には、魔術修行者だけではなく、ご興味はお持ちだけど実践経験のない方もいらっしゃると思いますので、心身の安全性は最大に考慮・配慮してあります。危険を伴うようなことはありません。(万が一の場合の対処法もお伝えします)安全で平和な実践となりますので、ご安心くださいませ☆

※但し、精神疾患をお持ちの方につきましては、心身の安全遵守のため、大変申し訳ございませんが、パスワーキングへのご参加はお断り申し上げます。

今回はI∴O∴S∴のカリキュラムとは一切関係のない、神木ミサ完全オリジナルのパスワーキングです。リラックスして、気楽に楽しんで頂ければ幸いです。


★ Frater Hocuspocusプロフィール:
20世紀の日本にて生まれ、10代の頃から魔術修行を行っていた、と称するインチキ魔術師。
現在は複数の魔術団体の運営を手伝っている、と吹聴しているが、公に確認できることはツィッターでの不規則発言のみ。

ワークショップ:
The Qabalistic Cross: The Relation between your body and the Tree of Life」

色々と難しくて面倒くさい部分の説明をすっとばしながら、儀式魔術の基礎である身体の使い方(弛緩法、呼吸法、発声(振動)、等)について一通り解説しつつ、黄金の夜明け系魔術の最も基本的な儀式である「カバラ十字」の意義について、カバラの「生命の木」との関連を説明し、実習を行います。 参加者が実際に体を動かし声を出して「カバラ十字」を体験/体得することがワークショップの目標です。 「講義だけ聴きたい」「実践は面倒くさい」「今更カバラ十字?」という方は、この時間に東京見物や長めのティータイムに行っていただいても全く問題ありませんし、参加しなくても損をすることは絶対にありません(断言)。



★ Soror Kプロフィール:
幼少期に早くも「死」について考え始め、10代前半で、魔女宗や魔術に興味を持つ。
アメリカの大学に進学し、心理学を専攻。

1999年6月、Servants of the Lightの通信生になり、 2001年9月、A.O.出身ポール・フォスター・ケースのシステムを受け継ぐ Fraternity of the Hidden Lightでニオファイト参入。東京ロッジにてカンセラリア を務める。

現在は、セカンドオーダー(R.R.et.A.C)の一員として、定期的に海外ロッジの活動に参加する一方、東京で勉強会やプロナオス(プロベーショナー用のイニシエーションや儀式)を主催している。

F.L.O. Japan活動案内サイト http://blogs.yahoo.co.jp/lvxtokyo

講演内容:
『隠者の灯火に向かって〜イニシエートが歩む自己犠牲の径』

みなさんは「イニシエートの生き方」というと、どのようなイメージを持ちますか? またみなさんはどのような理由で魔術に興味を持ったのでしょう? 今回の講演では、私Soror Kの体験も踏まえながら、「回帰の径を行く者」(Aspirant)の内なる変容についてお話します。この旅路には、いくつかの段階がありますが、みな「隠者の持つランプの灯り」に向かって歩んでいきます。誰しも、この灯火に導かれ、回帰の径に入るのです。

ではタロットキーの「隠者」にはどのようなシンボリズムが秘められているのでしょう?  このキーが割り当てられているヨドの径での体験とは? これらの点について考えていきます。

F.L.O.の活動内容についても、簡単にご紹介いたします。



★ 秋端 勉(あきば つとむ)1 講師プロファイル
1980 年代から英国等の魔術団体に参加し、西洋魔術及びカバラを実践してきた。
また、魔術団体I∴O∴S∴学習主任を勤め、三十年以上にわたり、国内にカバラを基盤とした西洋魔術を紹介している。

2 題 名
生命の木と身体化技法

3 講演の要旨 ユダヤ教神秘学では神の身体化(Corporeal)が神学として発展するとともに、宇宙と同大である象徴図「生命の木」を人間の肉体の上に塑像する身体化技法が発達してきた。ヘルメス学的西洋魔術には、その技法の一部が「中央の柱」の行法として伝承されている。古くは魔術パピルス文書にある「七芒星儀礼」(PGM XIII, 824-842)、『マセー・メルカバ』に記された「七つの封印」や、アブラフィアの「母音の祈祷」、ルリア学派が発展させたセフィロトの活性化などが現代まで続く霊統のなかで時代とともに、変化しながら実践されてきた。生命の木に仮託された多彩なカバラの身体化技法を紹介するとともに、その一部を観客とともに実践する。

Love is the law, love under will.

第二回Instituta Mysterii

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


昨年は実施できなかった第二回 「西洋秘教伝統シンポジウム」開催のお知らせです。日程は11月19日(土)です。前回に引き続き、秋端さん、神木さん、Soror Kさんにご出演いただき、更に今回からFr. Hocuspocusさんにもご参加いただくこととなりました。いずれも日本ではベテランの域にいる現役魔術師の皆さんです。

まだ正式なお申込みはお受けできませんが、Vision Abiegnusのサイトで受付が開始されましたら別途ここにもコメントさせていただきます。今回もまた定員制ですので早めにお申込み下さい。


Love is the law, love under will.