After this

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

2018年はOTO Japanにとってひとつの記念すべき年です。というのも、日本で初めてO.T.O.のイニシエーションが挙行されたのが、今を遡ること30年前の1988年であるからです。30年という月日は決して短いものではありません。日本における東方聖堂騎士団O.T.O.の歴史は正に起伏に富んだものでした。その間、合計10もの活動拠点が開設され、各地方に根差した活動が展開されたのです。それらの地方支部( キャンプ、オアシス、ロッジ ) における活動には当然濃淡があり、数多くの参入者を誕生させたニヒル・オアシスのような中核的拠点もあれば、ほぼ何も具体的な活動を行うこともなく半ば自然消滅した拠点もありました。

過去のO.T.O. Japanの活動の中でもっとも着目すべきイベントは、やはり2011年9月に開催された「The Path of the Great Return, the Path in Eternity: The A∴A∴ and The O.T.O.」ということになるでしょう。クロウリーとジョージ・セシル・ジョーンズが設立した実践魔術結社A∴A∴の棟梁たる世界的達人J.ダニエル・ガンサーと、O.T.O.のグランド・ロッジのグランド・マスター第10位階の秘儀参入者、兄弟シヴァの二人が揃って講義を行うことは世界初のことでしたし、3日間に渡って計8本の講義( ガンサー 6本、シヴァ2本) が展開されるという規模感も過去、例がなかったのです。彼らが聴衆に与えた膨大な知識や分析的視点、感動は特筆すべきものでしたが、その中で兄弟シヴァが列挙したO.T.O.の性質に関する解説は、斬新な切り口に満ち、当時の私も唸った記憶があります。
ガンサーとシヴァのタッグによる講義は、その後、米国、欧州、オーストラリア、香港などでも行われましたが、日本での講演こそが初めて二人が演壇に立った記念すべき場所だったのです。



クロウリーが1919年に刊行した所謂、『青の春秋分点』で明示されたA∴A∴とO.T.O.の性質の差異は実に明確なものでした。それはすなわち、「O.T.O.はグループを鍛え、A∴A∴は個人を鍛える」という差異です。O.T.O.は複数の司管と儀式装置を用いた集団による物理的イニシエーションを通して、または啓明と解放の儀式「グノーシスのミサ」を通して専ら集団活動を主体として志願者に教示し、示唆を与えます。O.T.O.には個人向けの高等魔術テクニック伝授や魔法日記を通じた個人への魔術指導という概念はありません。O.T.O.における魔術カリキュラムは、志願者の「意志」に基づき、志願者自身が決定しなければならないのです。O.T.O.の最高責任者、兄弟ハイメナエウス・ベータの言に従えば、O.T.O.のカリキュラムは次のように定義されます。 “ 東方聖堂騎士団は、古きアイオンの時代に「セレマの法」を受け入れた最初の結社である。それはアレイスター・クロウリー ( バフォメットXI°)によって、再構築され、とりわけセレマの法の公布に於ける宗教的、人道主義的使命を活性化し、聖別した。 OTOは、A∴A∴と同様な感覚で教え、また参入させるのではない。明確なカリキュラムは未定義で、またほとんどの位階において試験されることもない。OTOの真のカリキュラムは、各個人の人生と不可分であり、それぞれの参入者のカリキュラムはそれぞれにユニークである ”。


一方、A∴A∴にはロッジという概念そのものがなく、その訓練カリキュラムは厳然と定義され、また徹底して個人を鍛える構造を保持しています。各位階には厳密な試験が用意され、また記録として魔法日記に結果が記されていなければ、その訓練はすべて無効となります。とはいえ、A∴A∴に挑む者は、決して孤独ではありません。彼には霊的なリンクを有した兄弟姉妹のうちの一人が指導者としてつくのです。
ふたつの団の訓練に対する極端な差異は、以下のように定義可能でしょう。

O.T.O.  各自の人生に則ったカリキュラムを自由に制定可能
★ A∴A∴ 位階毎に明確に定義された任務をくまなく修了することが義務付けられ、個人による恣意的変更は許されない


クロウリーは、O.T.O.の目的を明確に表す計画書として簡潔な『オズの書』を書き表しました。それは、道徳的、肉体的、心的、更には性の自由と虐殺者からの防衛という観点における人間の権利に関するO.T.O.の新しい声明書でもありました。この計画書が明確に宣言していることは、自らの意志にもとづいて個の自由を獲得し、社会のモラルに変革をもたらすことによって、不感症で硬直した偽りの倫理観を撃破する、という決意です。兄弟シヴァは更にO.T.O.がメイガスの < ロゴス > = 法を人類に伝えるための乗り物であり、普遍宗教としてのグノーシスカトリック教会を建立するというミッションを有することを示唆しています。「グノーシスのミサ」が参列者に与える重大な示唆は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人間性の主体の奪還にあります。「我の中にありて、神に非ざるものなし」という宣言、新たな神学に基づく人間の主体性の自覚と解放こそがミサの重要な働きであり、それは人々に微睡からの「覚醒」をもたらします。「グノーシスのミサ」にはA∴A∴で貫かれている「大作業」の理念が内包され、それが魔術儀式として完璧に表現されているのです。グノーシスカトリック教会とは、単なる新興宗教ではありません。永久の真理としての人間の本質を発見し、その普遍的叡智を体感する生ける教会 = 魔術神殿なのです。そして、O.T.O.こそは、アイオンの真の魔術の術式 (第9位階)を保持しています。この術式は、「愛の下にある意志」が描く科学的創造による能動的なOpusを実現します。


O.T.O.はA∴A∴と緊密な同盟関係にあり、また恐らく前者は後者のために特別なミッションを有しています。O.T.O.はアイオンの洗礼を受けたクラフト3位階、ロイヤル・アーチ、薔薇十字、カドシュ位階の叡智に加え、第7位階以上の魔術の術式 (「光のヘルメス的兄弟団」の各知識) を保有しています。O.T.O.の魔術師達は、定められた多くの位階のイニシエーションを物理的に授与されます。儀式は変更されることなく特定の叡智を伝え続けます。それでも、O.T.O.における彼らの魔術カリキュラムは、各個人の人生と密接に結びつき、それぞれに完全にユニークなものになるのです。


いずれにしてもA∴A∴は、その独自の運用システムとカリキュラムの峻厳さから独特の団であり、O.T.O.はアイオンの調律によって変化した数多くの位階の秘密と共に独特の魔術団体であり続けます。そしてふたつの魔術結社は密接な二重性によって結び付き、コインの表と裏を形成しています。A∴A∴は個の霊性を高めるために内なる旅を開始し、徹底した自己破壊と再構築の過程を辿りながら、驚異的な錬金術的変成力のただ中にその身を置くことになります。自らの源への回帰、自己の放棄、転生の終焉を目指したその径は、ガンサーによって「The Path of the Great Return」と名付けられました。一方、O.T.O.の一連の劇的儀礼は、それ自体がひとつの壮大な物語として連続性を形成し、個の人生における思考の糧となります。その径は、クロウリー自身によって「The Path in Eternity」と名付けられています。2011年のイベントは正に、このふたつの径に対する卓越した議論の場であり、その関連性に対する気付きの場でもありました。J. ダニエル・ガンサーは、A∴A∴の秘儀参入の過程を「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」という序列として定義し、死と誕生においてA∴A∴とO.T.O.は逆転の関係にあることを示唆しました。それは過去一度も議論されたことすらない、重要なテーマであったことは間違いありません。


イニシエーションとは秘密を保有する何らかの秘教的グループが、隠匿された知識を主に寓意と象徴を通じて、短時間のうちに志願者の意識と無意識に刻印、あるいはインプラントする一連のメソドロジーです。もっとも一般的な例を端的に述べると、「死して蘇る」神オシリスについて十全に理解したいのであれば、その神話上の行動を志願者に逐次模倣させ、その内的変容と変容そのものの意味を「直接知」=体験によって志願者に理解させる、などといったプロセスが適用されます。志願者は、イニシエーションに対する予備知識を持たず、むしろグループの魔術師達が構築した神殿とグループ・ソウルのエネルギー領域に無造作に放り込まれ、混乱、ときには恐怖とともにその儀式を体験します。魔術師達のイニシエーション儀礼が一読しただけでは意味が汲み取れない主な理由は、深遠な知識・体験は決して言葉では伝達できず、むしろ一見難解で支離滅裂とも思える象徴のアンサンブルによってしか伝えることができないという事実に由来しています。この場合、象徴とは無意味なオカルト・パズルの断片ではなく、有機的、かつ変容力に富んだ「生きたエネルギー」として機能します。まず、イニシエーションの儀式のプロセスを通じて、これらの活動的な象徴群が志願者の意識と無意識に提示され、印象付けられます。当初、無意味で混沌としたこれら埋め込まれた象徴群は、少しずつではありますが、志願者の無意識の中で消化され、醸成され、やがて新しい叡智の直感的理解の源泉としてその存在意義を増大させていきます。


少し話が脱線するかもしれませんが、イニシエーションにおける現実的な問題は、儀式を行う神殿の準備です。イニシエーションを行うためには、まず一定のスペースを確保し、そこに団固有の装飾品と道具、象徴を配置しなければなりません ( つまり、それなりにお金がかかるということでもあります )。O.T.O.で行われるイニシエーションもこの現実的な問題との戦いの上に成立しています。そしてそれは団固有のイニシエーション・システムを有するあらゆる魔術団体に共通した現実的問題でもあります。思えば、日本では「黄金の夜明け」団のような複雑な儀式装置が必要とされる集団儀式魔術スタイルはまったく流行らなかったといえます。魔術ファンたちは専ら書籍やWebを通じた懐古趣味的傍観に終始し、日本では「黄金の夜明け」団スタイルの集団儀式魔術 = イニシエーションが実行に移されることがありませんでした。ただ個人的に適用可能な五芒星儀礼六芒星儀礼がかろうじて「黄金の夜明け」流として実践されてきたに過ぎないのです。
日本での唯一の完全な例外は米国に本拠を置く、Fraternity of the Hidden Lightの日本支部ということになるでしょう。この日本支部は、正真正銘の達人に指導されており、また定期的な活動を継続している数少ない本格派です。その活動は、日本で唯一瞠目すべき「黄金の夜明け」流儀式魔術と西洋秘教伝統の画期的な展開といえます。



設立30周年を迎えたO.T.O. Japanは、今後どのような活動を行うのでしょうか? もちろん、継続したイニシエーションの場を提供し、アイオンの真意を伝え続けていくことがその活動の基底となるでしょう。『オズの書』に基づいた個の権利の確立とモラルの変革を意図しつつ、団員にはカバラや魔術、占星術、タロットなどの学習の場が定期的に用意されるでしょう。またセレマの原理に関心を持つ、未参入の志願者の皆さんには出会いと交流の場が提供されるでしょう。そして今、もっとも精力的で熱意あるニヒル・オアシスのマスター、姉妹Ravenは、皆さんのために素晴らしい企画を温めている最中です。


O.T.O.の理念、基本構造、目的と意義は、その団が時代と共にその形態を変化させていくであろう、ことを示唆しています。50年後のO.T.O.は現在の儀式をすべて撤廃し、違う形態、媒体で活動しているかもしれません。O.T.O.はA∴A∴とは異なり、不変の団ではありません。現在は、専らクロウリーが改変した位階の儀式を保持し、アイオンの教会を醸成しながら、小さな運動を続けています。私達の変化は、人間の真理の理解と実現によって深化させられることでしょう。

“人の他に神はなし
一. 人は己自身の法に従い生きる権利を有す
己の意志に従い生き、
己の意志のままに働き、
己の意志のままに遊び、
己の意志のままに休息し、
己が望む時と方法により死ぬ権利を有す” 『オズの書』


さて、己の意志に従い生きることが、実はどれほど難しいことか? 私達は、ときとして己の星の軌道すらも見失い、帰還の径を喪失してしまいます。私達の眼前に広がる永久の径は、ときに霧のように霞み、陽炎のように消失してしまいます。真の意志をあなたに告げる天使が、沈黙の聖堂に訪れ、騎士たるあなたたちを鼓舞することを祈りつつ。


Love is the law, love under will.