『魔術-理論と実践』

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

アレイスター・クロウリーの代表作『魔術-理論と実践』を始めて手に取った人は大抵の場合、すぐさまその本を閉じてしまいたいという衝動に駆られるに違いありません。まず意味不明な魔術的専門用語に満ちあふれ、難渋きわまりないそれは実際、彼の魔術理論と実践に人々をひきつけるどころか、遥か彼方に遠ざけてしまう荒唐無稽な妄想の産物以外のなにものでもありません。自らを「黙示録の獣666」と名乗るクロウリーは、まず、最初に「666」という数字がいかに神聖であるか、また「獣」という一見背徳的な概念がいかに崇高な理念に基づいたものであるかを懇切丁寧に説明すべきでした。クロウリーは、彼の特殊用語(ババロン、ハディート、ヌイト、NEMO などなど)を初読者に順序立てて解説するプロセスをすべてすっ飛ばしたといえます。まさか彼は、『魔術-理論と実践』を読む多くの読者が、彼の魔術理論を予習したうえでこの本を読むだろう、というとんでもない勘違いしていたのでしょうか? それは考えられないことです。なによりも彼は、同書を彼の魔術哲学への入門書として万人のために書きあらわしたのですから! そう、彼は『魔術-理論と実践』を全ての男女、そして子供たちのために書き表したと明言しているのです!
アメリカのクロウリー研究家にして、OTOの重鎮メンバーの一人、リチャード・カジンスキーは14歳のときに初めて『魔術-理論と実践』を読み、その序文に記載されたクロウリーの意味不明な署名に困惑したことを告白しています。さて、そこにはこう書かれていました。

To Mega Therion: The Beast 666; MAGUS 9'=2' A∴A∴who is The Word of the Aeon THELEMA; whose name is called V.V.V.V.V. 8'=3' A∴A∴ in the City of the Pyramids; OU MH 7'=4' A∴A∴; OL SONUF VAORESAGI 6'=5', and ... ... 5'=6' A∴A∴in the Mountain of Abiegnus: but FRATER PERDURABO in the Outer Order or the A∴A∴and in the World of men upon the Earth, Aleister Crowley of Trinity College, Cambridge.


実際、それはクロウリーの魔術結社A∴A∴における彼の魔法名が列挙されているだけに過ぎないのですが、初見で、ましてや14歳の少年がその意味を把握することは完全に不可能でしょう。クロウリーは団の規則に則って彼のアデプタス・マイナーの魔法名を伏せていますが、近年、クロウリーのアデプタス・マイナーの魔法名はChristeos Luciftiasであることが判明しています。クロウリーの研究家や彼の著作の愛読者にとっては彼の魔法名は御馴染みのものです。しかし、それは完全な専門用語・名称であり、とくにクロウリーのそれは特殊性の強いものです。彼の魔術理論と実践をより深く理解するためには、彼が歩んできた魔術師としての人生を振り返る必要があります。その点において私たちは彼が「ハグ」と呼んでいた「聖人自叙伝」(オートハギオグラフィ)、『アレイスター・クロウリーの告白(The Confessions of Aleister Crowley)』のみならず、イスラエル・リガルディーの『三角形の中の目(The Eye in the Triangle: An Interpretation of Aleister Crowley)』やタビアス・カートンの『アレイスター・クロウリー バイオグラフィー (『Aleister Crowley: The Biography 』Watkins Publishing 2012)』、そしてローレンス・スーティンの『汝の意志するところをなせ アレイスター・クロウリーの人生 (Do What Thou Wilt: A Life of Aleister Crowley, St. Martin's Press 2014』などの著作を活用することができます。とくにカートンはクロウリーに関して、他にも2冊の詳細な伝記『Aleister Crowley: The Beast in Berlin: Art, Sex, and Magick in the Weimar Republic (Inner Traditions 2014)』『Aleister Crowley in America: Art, Espionage, and Sex Magick in the New World(Inner Traditions 2017)』を上梓しています。

またクロウリーが常用したそれぞれの特殊用語には、カバラ的、魔術的な深い意味が含まれています。それらを理解するためにはOTOの外なる長、兄弟ハイメナエウス・ベータが編纂した完全版『魔術: アバの書、第4の書 (Magick: Liber ABA, Book 4 Weiser Books 1998)』、特にその膨大な編纂者脚注を熟読する必要があります。またJ.ダイエル・ガンサーが「大作業」について執筆した有益な二冊の著作、ならびに近年OTOのメンバーたちによって次々と発表されているクロウリーの研究書を参照し、その基礎的知識を蓄積していく必要があります。

いずれにしてもクロウリーは、彼の魔術理論の基盤となった西洋の儀式魔術体系、カバラ錬金術と東洋の秘教用語を織り交ぜ、さらに彼の膨大な魔術実験と実体験、考察とひらめきの結果、彼の魔術体系「セレマ」に対する傑出した解説書を書き上げたことだけは事実です。『法の書』が伝達する宇宙観と人間観、彼が高等魔術の基礎と応用を学んだ「黄金の夜明け」団の魔術理論と実践のアウトライン、新しきアイオンの魔術フォーミュラ、霊視の心得から黒魔術に対する考察まで、実に多くのトピックを同書は内包しています。さながらそれは、まさにクロウリー研究者にとっての包括的な秘教オカルト全書です。

 さて『魔術-理論と実践』は本当に万人のための書、初心者を含めたすべての秘教学の志願者たちのために書かれた書なのでしょうか? クロウリーが前提としたこういった前口上はひとまず横におき、この書が本当は誰のために書かれたものかを検証する必要があります。一部の著述家たちは、初心者にとってクロウリーの著作は毒を含んでいると警告しています。この場合の毒とは、ずばり「誤解」という名の毒です。たとえば、クロウリーが「血の犠牲」や「サタン」について語るとき、そこには当然想定されるような黒魔術的要素は一切含まれていません。「血」とは「生命」そのものであり、彼は魔術師の献身と愛の比喩として「血」という言葉を用いています。「ババロンの杯に最後の血の一滴までも注ぐ」という概念は、深淵踏破を目指す達人は、自我を破壊し、個としての欲望を全て捨て去れ、という厳命を指し示し、それは仏陀が涅槃とよんだ個我の消滅を示唆しています。また彼はキリスト教が想定したような全き悪としての悪魔を嘲笑しています。彼にとってのサタンとは高潔なる神、父、太陽、そして創造の主催者なのです。『サメクの書』に収められた「召喚の野蛮な名前」に対するクロウリーの解釈、「サタン、汝、目よ、欲望よ!」などの言葉は間違いなく初心者を惑わすものです。彼は「召喚の野蛮な名前」に含まれる「OOO」という言葉をタロットの札に当て嵌めたカバラ的解釈によって翻訳しています。O、すなわちヘブル文字「アイン」の意味は「目」です。またこのヘブル文字はタロットの15番「悪魔」に照応します。従って彼は「O」という言葉を「サタン、目、(パンの)欲望」と解釈したのです。また繰り返しますが、この悪魔は聖なる神と等価です。愛と創造と達成の証としての悪魔は、OTOの中核儀式「グノーシスのミサ」で称えられる私たち自身の真なる神です。「グノーシスのミサ」が参列者に与える重大な示唆は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人間性の主体の奪還にあります。「我の中にありて、神に非ざるものなし」という宣言、新たな神学に基づく人間の主体性の自覚と解放こそがミサの重要な働きであり、それは人々に微睡からの「覚醒」をもたらします。ミサが含む聖餐式において参列者は、主の肉体と血を、「光のケーキ」と「葡萄酒」という形で体内に摂取します。そして、聖化された秘蹟を摂取するとき、正に「聖人達との霊的交流」と呼ばれる不可視の力流とのコミュニオンが成立します。私たちが摂取する聖餐とは実際のところ、「混沌」と「ババロン」の子供、両性具有の「バフォメット」の肉体と血です。このバフォメットこそは、人々の恐怖と誤解のヴェイルの向こう側にいる真なる神、そして真なる人間の姿です。『第15の書 グノーシスのミサ』もまた『魔術-理論と実践』の付録に収録された儀式のひとつです。


『魔術-理論と実践』の付録に収められた主要儀式群、瞑想書、聖なる書物は、その約9割強が、彼の魔術結社A∴A∴の成員のために書かれたものであり、残りの1割弱がOTOの団員向けに個別に書かれたものです。つまりその付録をみる限り、『魔術-理論と実践』は万人に向けて書かれた書ではなく、A∴A∴とOTOのメンバー向けに書かれた専門テキストだということになります。ただ、大筋では主にA∴A∴の団員向けに書かれた魔術の解説書とみてまず間違いないでしょう。その理由は明白です。付録に収められた主要儀式群、瞑想書、聖なる書物の多くはA∴A∴の位階訓練カリキュラムからの抜粋だからです。一例をあげましょう。『Oの書』、ならびに『Eの書』は1=10ニオファイトの任務の一部であり、『スター・サファイヤの書』は2=9ジェレイターの任務の一部です。『アシュタルテの書』は4=7フィロソファスの任務の一部であり、『サメクの書』は聖守護天使の知識と会話の達成、すなわち5=6アデプタス・マイナーに課された唯一の任務達成のための儀式書です。付録中の『もっとも聖なる奥義書 Grimorium Sanctissimum』と『グノーシスのミサ』のみがOTOのために個別に書かれた儀式書です。また本文を読んだだけでは気付かないかもしれませんが、クロウリーは明らかにそれをA∴A∴の団員たちに向けて書いており、また補足的にOTOの位階の秘儀を参照せよ、と指導しています。すなわち、この事実こそが『魔術-理論と実践』が難解になる最大の理由です。それは魔術という大ジャンルにおける一つの特殊な発展系に対する解説書なのです。たとえば、彼の瞑想指導書『HHHの書』に含まれるふたつのセクションは、A∴A∴のイニシエーション儀式の式次第に対する内的理解と成長をその目的としています。A∴A∴のイニシエーションの鍵を持ちえない万人が、いかにしてその内的意味を探り、瞑想の目的を達成できるというのでしょうか? またA∴A∴のニオファイトが達成すべきアストラル界の制御と、フィロソファスが挑む「諸界への上昇」をマスターしていない魔術師が『サメクの書』を行うことは到底不可能です。なぜならば、クロウリーはその儀式を実際の肉体ではなく、第2の身体「光の体」を用いて行え、と述べているからです。それは「召喚の野蛮な名前」とともに、対応する元素の方角に向かって光体を極限まで飛翔させ、最後の「霊」のセクションで宇宙の頂点を目指して光体を上昇させ続けることを意味しています。そのためには光体の訓練、例えば数百回にわたるアストラル旅行、ヨガのダーラナーによる集中力の発達、『Oの書』で指導されている五芒星と六芒星の(光体による)適切なる使用に習熟しておく必要があります。

一部の著述家の警告はまさに正鵠を得ているといえます。『魔術-理論と実践』は魔術の初心者にとってはほとんど (まったく?) 役に立たない本です。『魔術-理論と実践』は日本語にも翻訳されていますが、それはオカルト・マニアたちの愛読書というよりは、より正確には鑑賞物として本棚に飾られていることがほとんどです。なぜならば、それは使える魔術書ではないからです。   本当に?

私が初めて『魔術-理論と実践』を読んでから早くも30年近い年月が経過してしまいました。もちろん、それを始めて読んだとき、私の頭の中は無数のクエスチョンマークで溢れかえってしまいました。それはまるで子供が無造作にぶちまけた3000ピースのジグゾーパズルのようでした。大抵5分ほど読んですぐに本を閉じてしまう日々でした。30年後の今はどうでしょう。1990年代に購入した完全版『魔術:アバの書、第4の書 (Magick: Liber ABA, Book 4)』(それは『魔術-理論と実践』を含む『アバの書』の完全版です) はぼろぼろになるまで読み込まれ、ドーバー出版からでた『魔術-理論と実践』のペーパーバックは毎朝のコーヒータイムの愛読書になっています。そして日々、その書から多くのものを学んでいます。今ではクロウリーが冗談半分で書いたであろうと想像していたセンテンスに本当は深い意味が潜んでいることを発見したり、タロットの大アルカナに対応した各章のカバラ的意味について別の解釈を発見したりと読書そのものを魔術修行の一環として楽しんでいます。もちろん、そうなるまでに費やした学習と実践の時間は実に膨大なものです。そしてその過程で実感したこと、体験したことを踏まえて私は『魔術-理論と実践』に関してこう断言したいと思います。

アレイスター・クロウリーという人間は、こと魔術に関しては、いい加減なこと、根拠のないことは書かない」。

もちろん、彼が『魔術-理論と実践』の12章の中で書いている有名な「無垢な男子の生贄」を毎年平均150回捧げた、という記述はたちの悪い冗談です。彼はOTOの第8位階の魔術作業を覆い隠すために、このたちの悪い冗談を使わざるを得なかったのですが、彼の魔法日記を読んだ読者にはその真偽が理解されることでしょう。彼は『魔術-理論と実践』の中で魔術を正確に定義し、関連するトピックを網羅しながら魔術の本質とその訓練課程の実際を明示しようとしました。彼は1921年、シシリーにてA∴A∴の宣言書『視界のひとつの星』を執筆しました。彼は団の位階が持つ、その連続性と目的、ゴールを明示した上で、そのシステムを団外に公布したのです。遡ること1909年、彼はA∴A∴の修行者たちのテキストを断片的に、団の機関誌『春秋分点』誌にて公開し、団員を募り始めました。もちろん、彼は一定数のプロベイショナーを得ることができました。その中には、チャールズ・スタンフェルド・ジョーンズ、JFCフラー大佐、ヴィクター・ノイバーグ、オースティン・オスマン・スペア、レイラ・ワッデル、フランク・ベネットらの弟子たちが含まれていました。とはいえ、その他のプロベイショナーの多くはクロウリーが指導するヨガのポーズひとつにすら、「耐えられない」と苦情を申し立て、またその修行は遅々として進みませんでした。多くの志願者たちのオカルト趣味的嗜好はハードな修行を拒否しました。当然ながら、クロウリーは彼が推し進めようとした「白色同胞団」のコンセプトを早期に成功裏に始動させることができなかったのです。そういった意味ではA∴A∴は昔も今も規模の小さな団体です。

 クロウリーは、少数の弟子たちを鼓舞しながら、ますます彼の霊的径を突き進んでいきます。アルジェリアの砂漠で30のアエティールを踏破し、深淵を越えてNEMOとなり、A∴A∴の秘密の首領の一人、アブ・ウル・ディズとの邂逅によって、『アバの書, 第四の書』を著しました。悪名高き「パリ作業」でOTO高位階の魔術実験に没頭し、聖堂騎士団を復活させ、また妖術師アマラントラと接触し、彼の魔術システム発展のための大きなヒントを獲得しました。シシリーのセファルーに「セレマの僧院」を設立した彼は、そこで『魔術-理論と実践』(それは『アバの書, 第四の書』の第3部として執筆されました)の主要部分の作成にとりかかります。正にクロウリーの魔術人生のひとつの円熟期に『魔術-理論と実践』は執筆され、最終的に1929年にパリにおいて出版されたのです。クロウリーにとってA∴A∴とは、魔術と神秘主義の実践的学舎であり、OTOとは彼が受け取った93の流れ=THELAMA公布のための魔術的乗り物でした。彼は、A∴A∴の公的発行物として『魔術-理論と実践』(『アバの書, 第四の書』)を公刊し、『春秋分点』誌同様、彼の魔術哲学の集大成としてそれを公開したのです。繰り返しますが、『魔術-理論と実践』とは、魔術という大ジャンルにおける一つの特殊な発展系に対するSpecificな解説書です。魔術の初心者が一から学べる便利な入門書とはまったく逆の位置にある難解な文書群の寄せ集めです。


 従って、『魔術-理論と実践』を理解するためには---それは実際、とてつもない価値を内包した究極の魔術の奥義書なのですが---いくつか注意が必要です。『魔術-理論と実践』は決して単独の読書だけでは意味をなさないのです。それは彼の人生と魔術・神秘主義観を反映した複合的な実践的哲学書なのです。こんなにも厄介で不親切な本は、他にはありませんよね! 
さて『魔術 理論と実践』を理解するためのポイントをいくつかあげてみましょう。

1. カバラを理解すること。それは「黄金の夜明け」団が発端となって20世紀以降に急速に拡大した魔術的カバラを理解することを意味しています。特に基本となる22のヘブル文字の照応を徹底的に頭に入れることです。またギリシャ語アルファベットに関する基礎知識も役立つでしょう。クロウリーカバラは、『777の書』に対する深い理解と「生命の樹」やタロット象徴への深い解釈をその基礎においているといっても過言ではありません。また彼はゲマトリアを用いて、彼の魔術理論や接触した知性体の正当性を検証する習性があったことも忘れてはなりません。
2. 「黄金の夜明け」団の儀式魔術の骨子を理解すること。クロウリーが「黄金の夜明け」団のメンバーであった時代、彼を指導していたメンターは主にアラン・ベネットとジョージ・セシル・ジョーンズ(後のA∴A∴の設立者の一人)の二名です。『魔術-理論と実践』の付録に収録されている『Oの書』は、クロウリーが「黄金の夜明け」団で学んだ技術に依拠しています。また『魔術-理論と実践』の本文に含まれている儀式魔術に関する解説を理解し、役立てるためには「黄金の夜明け」団の儀式魔術の骨子、儀式のプロセスや所作などを理解していなければなりません。
3. 東洋の体系を理解すること。特にラージャ・ヨガをはじめとした各ヨガ(ハタ、バクティ、カルマ、マントラなど)の理論と実践についての基礎知識は必須となります。また彼は中国の易経の深い理解者でもありました。
4. A級刊行物に関する知識。『法の書』はその筆頭に置かれます。全部で13冊あるA∴A∴の聖なる書物、加えてクロウリーの魔術記録『霊視と幻聴』(それ自体、極めて難解な代物ですが。) は必ず並行して学習されなければなりません。むしろクロウリーの人生は、それらA級刊行物の理解に捧げられていたといっても過言ではありません。実際にそれは、魔術師の人生に大きなヒントを与えるだけではなく、膨大な叡智を内包しています。
5. 魔術を体験すること。『Oの書』に含まれている「五芒星小儀礼」や「六芒星儀礼」などから始めることができます。また魔術の入門書を頼りに独習するもよし、魔術団体に入団を求めるもよし、いずれにしてもあなたは魔術を実際に体験し、その内的感覚を体感し、願わくは魔術がなにを制御し、なにを達成しようとしているのかを知っていなければなりません。『魔術-理論と実践』に書かれている様々なセンテンスがあなたの琴線に触れる、といったような体験をあなたは恐らくするでしょう。
6. アレイスター・クロウリーの人生を理解すること。クロウリーの人生において、いつ何が起こり、どういった出来事、または変化が起こったかをつぶさに検証することは彼の魔術を理解する上で、とても大きな助けとなります。私のお勧めは、先に述べたタビアス・カートンの『アレイスター・クロウリー バイオグラフィー (『Aleister Crowley: The Biography 』Watkins Publishing 2012)』です。

思えば『魔術-理論と実践』を含む完全版『アバの書, 第四の書』は、つねに自室の机の上、儀式の祭壇の上に置かれていました。それは書物である以上に、私にとってはとてつもなく強力な魔法武器でした。30年ひたすら読み続け、それはいまだに私の日々の学びに大きく役立っています。

私のこの拙い文章が少しでも皆さんの探究に役立つことを祈りながら、この日記を締めくくりたいと思います。

Love is the law, love under will.