O.T.O.東京シンポジウム Gen 験 

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

 

オカルティズムの百科全書、魔術結社A∴A∴の機関誌『春秋分点』第一巻に連載されていた『ソロモン王の神殿』は一貫してクロウリーが追及した西洋魔術の軌跡とその理論的骨子を伝えています。クロウリーはその連載の中で、かつて自身が参加していた「黄金の夜明け」団の外陣、内陣の参入儀式と教義のアウトラインを暴露するという暴挙にでました。「生命の樹」の小径とタロットの大アルカナの照応すら秘密であった当時、あろうことかクロウリーは多くの「黄金の夜明け」団の内部資料を白日の下に晒したのです。

 『ソロモン王の神殿』は彼の弟子だったJ.F.C.フラーの助力のもとに執筆・編纂された一連の知識文書です。そこにはクロウリー自身の初期の魔術日記が含まれ、主にマジスター・テンプリ8=3位階に到達するまでの彼の魔術修行と格闘の軌跡が紹介されています。その意味では『ソロモン王の神殿』は若かりしクロウリーが学び、体験し、考察し、公開した秘教伝統の教科書になっています。

 反逆者クロウリーは、「黄金の夜明け」団の内陣である「真紅の薔薇と黄金の十字架」の小達人5=6位階の地下納骨所の参入儀式やZ2文書を暴露した半年後、『春秋分点』第一巻四号を自費出版します。そこで今度はクロウリー自身が関心を寄せていた東洋の体系について存分に紹介しています。そこにはヴェーダンタ哲学、各種ヨガの紹介と彼の実践記録、チャクラやムドラーの解説、仏教教義(八正道、マハサティパッターナなど)が含まれていました。それ以外にもクロウリーは熱心なTAO信者であり、易経にも精通していたことはいうまでもありません。

クロウリーの師匠のひとり、アラン・ベネットはアーナンダ・メッテイアの名を持つ仏教僧でもありました。まさに東洋の叡智がクロウリーに与えた影響は甚大であり、その叡智なくしてはA∴A∴の訓練体系は到底完成には至らなかったであろうことが想像されます。彼は外向する儀式魔術(それは内面から外的な世界を変容させます)と内向する神秘主義(それは外側から内面の深部へと作用し、沈黙にいたります)の相反する二方向の精神作用を熟知し、それを統合することを説きました。私見ながら、ヒンドゥーイズム、ブッディズム、TAOはA∴A∴の訓練課程に組み込まれ、イスラム神秘主義フリーメイソンの象徴体系と融和し、O.T.O.の内部に取り込まれました。

 20世紀初頭から積極的に東洋の叡智と実習を取り入れ、個の修行体験を精錬させることに努めたクロウリーの態度はいまや当たり前のものとなりました。西洋と東洋の両秘教体系の相似性と差異を分析し、その長所を取り入れ、柔軟かつ効果的な修行体系を確立する、それはクロウリーをはじめとした20世紀の修行者たちが試みてきた重要なアプローチのひとつでした。

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 2019年4月に予定されていた「Journey to the East 東遊記」は当初の予定を延期し、そのかわりとしてJ.ダニエル・ガンサーとオーストラリアのグランド・マスター、フラターShivaを迎えてのより規模の大きなイベントとして再構築されることになりました。そして当初予定されていた今年の4月には別途、下記のイベントが開催されることになりました。

 

【GEN - 験】OTO TOKYO SYMPOSIUM -6th Apr-

A MYSTERIOUS SIGN THAT APPEARS AS A RESULT OF SPIRITUAL AND MAGICAL PRACTICE

■講演

Heiros Phoenix 
 Nirvana - Annihilation and Return to the Eye in the Triangle
「涅槃-消滅、そして三角形の中の眼への回帰」
クロウリーが提示した「大作業」における東洋の叡智の諸影響の考察。

Robert Koole
 Ex Oriente Lux – Light from the East
A brief overview of the influence of Eastern spiritual and magical systems on the Western current.
「東方より出づる光」
 東洋の霊的システムが現代西洋魔術の流れに及ぼした影響の概要的考察。

 Raven
 The Manifestation of Three-Dimensional Cosmic Mandala
The result of her personal comparative study between Japanese astrological mandala and the Western astrology.
「立体的宇宙曼荼羅
 日本の地で完成したと言われる星曼荼羅(北斗曼荼羅)と西洋占星術の概念の比較研究、そして融合の実験。

Tickets : チケット
JPY 3000
3,000円

Contact : 問い合わせ・申込み
nihil2019★gmail.com
(★を@に変換しメールを送って下さい)

このイベントに参加をご希望の方はぜひ上記アドレスに問い合わせしてみて下さい。皆様とお会いできることを楽しみにしています。

 

Love is the law, love under will.

IAO Formula

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


人は平凡な人生より、波乱に満ちた苦渋の経験を経ることによって知恵を増し、忍耐強くなることができます。ふりかかる艱難辛苦に耐え、それを乗り越えることこそが人間に深みを与えるのかもしれません。魔術の術式における「IAOの術式」は、最初に存在するひとつの「理想」状態が災害などによって危険にさらされ、それを乗り越えることによって蘇生・復活し、最初の状態から一段階ステップアップする成長過程を定式化しています。IAOはグノーシス主義における最高神ですが、「黄金の夜明け」団の象徴学では、「IAOの術式」は、I-A-Oの3文字に分解され、それぞれI =イシス、A=アポフィス、O=オシリスの頭文字として、連続する変化過程を象徴するエジプト神話の神格へと変換されます。イシスは慈悲深き母のアーキタイプとして愛と慈しみの主催者とみなされます。彼女はオシリスの妻であり、太母としてひとつの理想的な「自然」を表象します。アポフィスは邪悪な毒蛇、ないしは砂漠と南方の神セトとしての破壊者です。邪悪な弟セトはイシスの夫にして兄であるオシリスを殺戮し、オシリスの肉体を分断し、破壊します。夫の死を嘆き悲しむ女神イシスは彼女の魔法によって失われたオシリスの肉体を再構成し、より強固なる神オシリスを復活させます。この場合、オシリスは殺害という致命的な危機にさらされ、のちに復活し、完全となる変容の主体となります。あるいは、それは理想を追い求める高邁な魂が、霊的渇きという魂の暗い夜に浸食され、やがて一筋の光明を発見し、それをたぐり寄せることによって光に満たされるといったような再生のモチーフを主軸とした元型的なドラマと同義です。

こういった「死して蘇る神」のモチーフは過去2000年にわたって人類に大きな意味をなしてきました。その最大の因子は、いうまでもなく救世主イエスの復活の物語でしょう。「黄金の夜明け」団の六芒星儀式や小達人の参入儀式ではIAOの名前を、イエスが拘束された十字架上に掲げられた言葉「INRI」から導きだします。この言葉はラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭文字とされ、もっとも一般的には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されています。実際の式文はこうです。

 I.N.R.I.
 ヨド ナン レシュ ヨド
 ウィルゴ・イシス・無敵なる母
 スコルピオ・アポフィス・破壊者
 ソル・オシリス・殺されて立ち上がりぬ
殺されしオシリスのサイン
 L=イシスの嘆きのサイン
 V=タイフォンとアポフィスのサイン 
 X=甦りしオシリスのサイン
 L−V−X−ルクス−光
 光の十字架

そして、この一連の動作によって、魔術師はD.W.B. ( Divine White Brilliance 神聖白輝光 ) を天から召喚します。ここでこの「INRIの鍵の解析」とよばれるこの簡素なカバラ的変換について少しだけ解説してみましょう。
ヘルメス・カバラの理論に従えば、INRIの4文字は、下記の照応をもつとみなされます。

I     ヨッド     処女宮       
N     ヌン      天蠍宮      
R     レシュ     ソル(太陽)      
I     ヨッド     処女宮

テトラグラマトンの「父」を表す男性的な文字ヨッドに処女宮が対応していることに違和感をもつ必要はありません。ここで考えるべき観点は女性的な観点ではなく、あくまでもその処女性、つまりは自然における純粋性です。天蠍宮は猛毒を放つ蠍による「死」、すなわち「変容」の代名詞として解釈されます。太陽は私たちの生命の与えてにして、地上に富をもたらす自然界の包括的エネルギーのシンボルです。INRIの4文字は、従ってカバラ的に変換され、処女宮( =ウィルゴ・イシス・無敵なる母)、天蠍宮( =スコルピオ・アポフィス・破壊者)、太陽( =ソル・オシリス・殺されて立ち上がりぬ)となり、3人の偉大なる神の頭文字へと変換されます。ここから魔術師は「黄金の夜明け」団の中で「L.V.X.のサイン」とよばれる4つのサインを順次形成します。
「殺されしオシリスのサイン」は磔刑を示唆します。ここでオシリスは邪悪な破壊者の殺意の犠牲となります。「L=イシスの嘆きのサイン」は最愛の夫の死を嘆く妻の悲しみのサインです。「V=タイフォンとアポフィスのサイン」は、毒をもつ破壊者のサインであり、それは兄殺しセトを示しています。 「X=甦りしオシリスのサイン」はイシスの愛によって蘇生・復活した大いなる神、完成者オシリスのサインです。これら4つのサインはL.V.X.、すなわち「光」による救済の教義を体現します。またL.V.X.をゲマトリア変換した数値65は「アドナイ」の数値と同じであり、復活したオシリスが最も至高なる「神」として復活・昇華したことを示唆しています。


アレイスター・クロウリーは『魔術 理論と実践』の第5章「IAOの術式」の冒頭部分で薔薇十字の三位一体論を引用しながら、この術式の概論を述べています。

Ex Deo nascimur 私たちは「神」より生まれいで
In Jesu morimur 私たちはジーザスとして死にいたり
Per Spteitum Sanctum reviviscimus 私たちは「聖霊」によって再生するのです

この言葉は『薔薇十字の名声』に登場する伝説のクリスチャン・ローゼンクロイツが抱いていた『Tの書』の結びの一文です。これはキリスト教ローゼンクロイツの信条として如実に「IAOの術式」の本質を反映しています。「IAOの術式」は、「進化」(それは再生と同義です)の過程、そのドラマを反映した「昇華」の公式です。そう、オシリスには「死」が必要不可欠だったのです。彼はたんに過去のオシリスの復元として復活したのではなく、より優れた存在として昇華するために、必然としての「死」を体験し、新たな神として創造されたのです。この場合の「死」とは、錬金術の「ニグレド 黒化」とまったく同義ということになります。すなわち、純粋な金を得るためには、第一質量は完全に腐敗し、破壊されたのちに再構築される必要があったのです。

「IAOの術式」の中心的宣言としての「INRIの鍵の解析」は「黄金の夜明け」団の達人の地下納骨所を開く秘密の鍵でもありました。「死して蘇る神」の術式は、「腐敗し、再生する勝利の神」の術式であり、それは過去2000年にわたって西洋の神秘思想を席巻してきた中心教義でした。アレイスター・クロウリーはまずこの標準的な「IAOの術式」を解釈したのちに脚注でこう述べています。

「これとはまったく異なる他の術式がある。そこではIは「父」、Oは「母」、Aは「子供」である。あるいはさらに異なる術式ではI,A,O,とは、「母」であるH.H.H.によって均衡する「父」であり、両者はそれによって完成した「宇宙」となる。3番目のもの、「獣666」の真の術式では、IとOはAの作業領域を形成する相反物となる。」

??? これはクロウリーのいたずら心が創作した戯言なのでしょうか? 私は以前、このブログで彼の『魔術 理論と実践』を評してこう断言しました。
アレイスター・クロウリーという人間は、こと魔術に関しては、いい加減なこと、根拠のないことは書かない」
この考えは今もまったく変わっていません。彼が言及した3つの「IAOの術式」は実在し、なおかつ私が知る限り、もうひとつ極めて重要なニュー・アイオンの「IAOの術式」が存在します。しかもそのバージョンには新しい時代の新しい「INRIの鍵の解析」がセットになっています。クロウリーは、「腐敗し、再生する勝利の神」の術式としての「IAOの術式」以外に下記の4つの「IAOの術式」を公式化したことになります。

(1) I「父」、O「母」、A「子供」
(2) IAO 「父」、HHH「母」。真正六芒星の完成
(3) I 「父としての男根」、A「作業結果」、O「母としての女陰」
(4) I「父」、A「母」、O「子供」


では、クロウリーはなぜそれらの他の術式を『魔術 理論と実践』で紹介し、解説しなかったのでしょうか? その答えは明白です。それらの術式はO.T.O.とA∴A∴の諸位階の参入儀式、位階の教義文書に採用されているもの、すなわち両団のイニシエート以外には秘密とされているからです。クロウリーは、ことさら「IAOの術式」を重視していました。彼はイニシエートの魂の錬成、錬金術的変容の過程、あるいは哲学的真実を伝えるために「IAOの術式」をときに変則的に用いていました。その意味でも「IAOの術式」は私たちにとって「絵に描いた餅」、すなわち「形だけで実際には何の役にも立たないもの」ではありません。それは深遠で言葉では表現できない神秘を伝える魔術のヒエログリフ、実際に行動が付随する力動的変容過程を端的に表現した公式なのです。

クロウリーは『魔術 理論と実践』の第5章「IAOの術式」の中で、「IAO」を敷衍した新たな術式「FIAOF」について多くの言葉を連ねています。彼は「IAO」の接頭辞、接尾辞として「子供」を表象する「ヴァウ(F or V)」加えることによって、セレマとアガペーが持つゲマトリア数字93と等価となる「FIAOF」(あるいはVIAOV)を創作しました。しかし、その変更は彼にとって理に適ったものでした。なぜならば、彼が受け取ったアイオンの福音書『法の書』によれば、神は必ずしも死ぬ必要はない、と説かれていたからです。


“ われは地上においては想像もつかぬ程の喜びを与える。生ある間に信仰ではなく、確信を死の上に。言葉では言い表せぬ平穏、静寂、休息、恍惚を。われは如何なる生け贄をも要求せず。” 『法の書』 第一章58節


 “ 隠されたる、栄光に満ちたわが名前の内に光輝はある、真夜中の太陽(サン)が常に息子(サン)であるように。” 『法の書』 第三章74節

「FIAOF」は、永続的な戴冠する「子供」の術式として旧来の「IAOの術式」とはまったく異なる哲学を主張することになりました。「ホルスのアイオン」においては「最後の審判」や磔刑の意義といった概念は緩やかに撤廃され、祝福された無垢なる子供の存在の喜びが強調されることになりました。


“ 汝ら一同、覚えておくがよい。存在は純粋なる喜びであるという事を。全ての哀しみは影の如きものにすぎぬという事を。それらは通り過ぎ終(つい)えるものであるが、留まるものもあるという事を。” 『法の書』 第二章9節


セレマの法の中心教義は、人間の本質を「神」と同等とみなしたことです。「神」は決して人間の魂の外側にはなく、その内側で見出されます。東洋では一般的なこの考え方がその中心にある以上、神は「死して蘇る」必要はないのです。したがって「FIAOFの術式」はクリスチャン・ローゼンクロイツが説いた死と蘇りの神秘劇とはまったく異なる術式として定式化されることになるのです。


“ かくして今、汝らにはヌイトという名前で知られ、彼には、終にわれを知りたる時に授ける秘密の名前によって知られるなり。われは無限の宇宙、そして無限の星々であるが故、汝らもまた、かくの如き行え。何者をも束縛するなかれ!おまえ達の間で、如何なる二者にも差異を作らせるべからず。何故ならば、それによって苦痛が生じるからである。”   『法の書』 第一章22節


「IAOの術式」が時代を反映した「神」に対する魔術的公式化であるならば、それはまた時代の遷移とともにその形を変化させていったとしても不思議ではありません。ちなみに「FIAOF」という言葉の発音ですが、「フィアオフ」とは発音しません。その正しい発音は「イーアーオー」です。同じく、例えば「Aumgn」は「オウムグン」とは決して発音されず、それは単に「オウム」と発音されます。

アレイスター・クロウリーが従来の「IAOの術式」を認めつつも、4つの異なる「IAOの術式」と「FIAOFの術式」を定式化したように、あなた自身もまたその個人信条と神学理論に基づき独自の「IAOの術式」を創作することができます。そしてそれは必ず行動を伴う生きた魔術哲学となり、あなたの理解と成長を促すに違いありません。「IAOの術式」をはじめとした「マジカル・フォーミュラ」とは決して単なる思考の玩具ではないのです。少なくともアレイスター・クロウリーが異なる「IAOの術式」を使い分け、膨大な理論と実践の糧をそこから導き出したように。幸運を!


Love is the law, love under will.

魔術学講座vol13 アレイスター・クロウリー 解体新書

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

イギリス帝国が絶頂期を迎えていたヴィクトリア朝後期の1898年11月、23歳の才気溢れるひとりの若者がロンドンにあった「黄金の夜明け」団イシス=ウラニア・テンプルで参入を果たしました。フラター・ペルドゥラボーと名乗る無名の新米魔術師アレイスター・クロウリー。彼はのちに魔術に関する膨大な著作を著し、20世紀最大の魔術師と称されると同時に、同時代人たちからは好奇の目でこう揶揄されていました。「世界最大悪人」「黒魔術師」「悪魔崇拝者」「獣666」。魔術実験のために麻薬を駆使し、性のエネルギーを魔術的に応用し、饗宴を繰り広げ、挙句の果てに破産し、自滅した退廃的異端主義者。クロウリーは、ある意味、表層的で偽善的な抑圧された道徳社会に住む民衆が投影したシャドーとの格闘を余儀なくされました。

彼は、プリマス・ブレザレンというキリスト原理主義の家庭で育ちました。閉塞的なカルト教団の硬直した聖書解釈の洗礼を受けた彼は、やがて自らの獣性を育み、「世紀末の獣666」の真の価値を悟ります。


「汝の意志するところをなせ、これぞ法のすべてとならん」「愛は法なり、意志の下の愛は」。1904年、28歳のクロウリーはエジプトのカイロで、彼の聖守護天使アイワスによって新時代の福音を授かります。『法の書』、あるいは『第220の書』とよばれるこの異端預言書は、現在までに多様な版が刊行され、また世界中で翻訳されています。『法の書』は一読するとまさに悪魔の福音書と呼ぶにふさわしい背徳的な散文詩です。それは難解な魔術哲学とカバラの鍵に支配された解読不可能な暗号文書のような書物でした。クロウリーは、一見悪魔主義的なこの書物を、人生を賭して紐解き、人々に教示してまわりました。クロウリーの述べる「意志」とは内奥に眠る真の自己の神性を表す尊いロゴスであり、「愛」とは反発し、排斥し合うふたつの事象をひとつへと結びつける霊的・化学的公式の鍵となる概念でした。彼は、その主著『魔術 理論と実践』の中でこう宣言します。

 「悪魔など存在しない。それは拡散という名の自らの無知と混乱に陥った「黒い兄弟たち」が「統一」を暗示するものとして考案した不誠実な名前にすぎない。悪魔が統一を獲得したならば、その存在は神となるだろう。」


クロウリーにとって、民衆が悪魔として排斥する存在こそがまさに神であり、逆に神として崇め奉る存在こそが排斥すべき不毛なる虚像「悪魔」だったのです。「黒い兄弟たち」とは、神の本質を理解することなく、自我の欲望によって深淵に落下する堕落した魔術師を指すクロウリーの専門用語です。そう、彼はこの逆説的神学を一生追い求めて死んでいきました。そして彼の「意志の芸術」セレマ主義の本質は、彼が率いていた魔術結社「東方聖堂騎士団」よってこう定義されています。”Deus est Homo Homo est Deus”、その意味は「神は人なり 人は神なり」です。なぜならば、「人」としての主体なきところに客体としての「神」は存在し得ないからであり、また「人」には秘められた「創造」という名の真のギフトと霊智が宿っているからです。人間とは霊的に完全に平等な神性の光であり、卓越した霊智のマスターでもあります。この事実は『法の書』によってこう伝えられています。「すべての男とすべての女は星である」。永久に光を放出し、自らの軌道を進む完全性の種子、それこそがクロウリーが捉えた真の人間観です。

7月16日の祝日、銀座のBAR十誡で、聖ヴァニラ学園の魔術学講座vol13「アレイスター・クロウリー解体新書」が行われます。本イベントにおける私の役目は、クロウリーの側にたった観測地点からアレイスター・クロウリーを解体し、考察することです。彼が述べる神と悪魔の関係、彼が追い求めた非物質的知性体との接触、儀式とカバラ、「大作業」と楽しい修行生活!? 私にしか奏でることができない聖クロウリーへの鎮魂歌、皆様とお会いできることを楽しみにしています。

https://www.vanilla-gakuen.com/kouza/1807/

Love is the law, love under will.

『魔術-理論と実践』

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

アレイスター・クロウリーの代表作『魔術-理論と実践』を始めて手に取った人は大抵の場合、すぐさまその本を閉じてしまいたいという衝動に駆られるに違いありません。まず意味不明な魔術的専門用語に満ちあふれ、難渋きわまりないそれは実際、彼の魔術理論と実践に人々をひきつけるどころか、遥か彼方に遠ざけてしまう荒唐無稽な妄想の産物以外のなにものでもありません。自らを「黙示録の獣666」と名乗るクロウリーは、まず、最初に「666」という数字がいかに神聖であるか、また「獣」という一見背徳的な概念がいかに崇高な理念に基づいたものであるかを懇切丁寧に説明すべきでした。クロウリーは、彼の特殊用語(ババロン、ハディート、ヌイト、NEMO などなど)を初読者に順序立てて解説するプロセスをすべてすっ飛ばしたといえます。まさか彼は、『魔術-理論と実践』を読む多くの読者が、彼の魔術理論を予習したうえでこの本を読むだろう、というとんでもない勘違いしていたのでしょうか? それは考えられないことです。なによりも彼は、同書を彼の魔術哲学への入門書として万人のために書きあらわしたのですから! そう、彼は『魔術-理論と実践』を全ての男女、そして子供たちのために書き表したと明言しているのです!
アメリカのクロウリー研究家にして、OTOの重鎮メンバーの一人、リチャード・カジンスキーは14歳のときに初めて『魔術-理論と実践』を読み、その序文に記載されたクロウリーの意味不明な署名に困惑したことを告白しています。さて、そこにはこう書かれていました。

To Mega Therion: The Beast 666; MAGUS 9'=2' A∴A∴who is The Word of the Aeon THELEMA; whose name is called V.V.V.V.V. 8'=3' A∴A∴ in the City of the Pyramids; OU MH 7'=4' A∴A∴; OL SONUF VAORESAGI 6'=5', and ... ... 5'=6' A∴A∴in the Mountain of Abiegnus: but FRATER PERDURABO in the Outer Order or the A∴A∴and in the World of men upon the Earth, Aleister Crowley of Trinity College, Cambridge.


実際、それはクロウリーの魔術結社A∴A∴における彼の魔法名が列挙されているだけに過ぎないのですが、初見で、ましてや14歳の少年がその意味を把握することは完全に不可能でしょう。クロウリーは団の規則に則って彼のアデプタス・マイナーの魔法名を伏せていますが、近年、クロウリーのアデプタス・マイナーの魔法名はChristeos Luciftiasであることが判明しています。クロウリーの研究家や彼の著作の愛読者にとっては彼の魔法名は御馴染みのものです。しかし、それは完全な専門用語・名称であり、とくにクロウリーのそれは特殊性の強いものです。彼の魔術理論と実践をより深く理解するためには、彼が歩んできた魔術師としての人生を振り返る必要があります。その点において私たちは彼が「ハグ」と呼んでいた「聖人自叙伝」(オートハギオグラフィ)、『アレイスター・クロウリーの告白(The Confessions of Aleister Crowley)』のみならず、イスラエル・リガルディーの『三角形の中の目(The Eye in the Triangle: An Interpretation of Aleister Crowley)』やタビアス・カートンの『アレイスター・クロウリー バイオグラフィー (『Aleister Crowley: The Biography 』Watkins Publishing 2012)』、そしてローレンス・スーティンの『汝の意志するところをなせ アレイスター・クロウリーの人生 (Do What Thou Wilt: A Life of Aleister Crowley, St. Martin's Press 2014』などの著作を活用することができます。とくにカートンはクロウリーに関して、他にも2冊の詳細な伝記『Aleister Crowley: The Beast in Berlin: Art, Sex, and Magick in the Weimar Republic (Inner Traditions 2014)』『Aleister Crowley in America: Art, Espionage, and Sex Magick in the New World(Inner Traditions 2017)』を上梓しています。

またクロウリーが常用したそれぞれの特殊用語には、カバラ的、魔術的な深い意味が含まれています。それらを理解するためにはOTOの外なる長、兄弟ハイメナエウス・ベータが編纂した完全版『魔術: アバの書、第4の書 (Magick: Liber ABA, Book 4 Weiser Books 1998)』、特にその膨大な編纂者脚注を熟読する必要があります。またJ.ダイエル・ガンサーが「大作業」について執筆した有益な二冊の著作、ならびに近年OTOのメンバーたちによって次々と発表されているクロウリーの研究書を参照し、その基礎的知識を蓄積していく必要があります。

いずれにしてもクロウリーは、彼の魔術理論の基盤となった西洋の儀式魔術体系、カバラ錬金術と東洋の秘教用語を織り交ぜ、さらに彼の膨大な魔術実験と実体験、考察とひらめきの結果、彼の魔術体系「セレマ」に対する傑出した解説書を書き上げたことだけは事実です。『法の書』が伝達する宇宙観と人間観、彼が高等魔術の基礎と応用を学んだ「黄金の夜明け」団の魔術理論と実践のアウトライン、新しきアイオンの魔術フォーミュラ、霊視の心得から黒魔術に対する考察まで、実に多くのトピックを同書は内包しています。さながらそれは、まさにクロウリー研究者にとっての包括的な秘教オカルト全書です。

 さて『魔術-理論と実践』は本当に万人のための書、初心者を含めたすべての秘教学の志願者たちのために書かれた書なのでしょうか? クロウリーが前提としたこういった前口上はひとまず横におき、この書が本当は誰のために書かれたものかを検証する必要があります。一部の著述家たちは、初心者にとってクロウリーの著作は毒を含んでいると警告しています。この場合の毒とは、ずばり「誤解」という名の毒です。たとえば、クロウリーが「血の犠牲」や「サタン」について語るとき、そこには当然想定されるような黒魔術的要素は一切含まれていません。「血」とは「生命」そのものであり、彼は魔術師の献身と愛の比喩として「血」という言葉を用いています。「ババロンの杯に最後の血の一滴までも注ぐ」という概念は、深淵踏破を目指す達人は、自我を破壊し、個としての欲望を全て捨て去れ、という厳命を指し示し、それは仏陀が涅槃とよんだ個我の消滅を示唆しています。また彼はキリスト教が想定したような全き悪としての悪魔を嘲笑しています。彼にとってのサタンとは高潔なる神、父、太陽、そして創造の主催者なのです。『サメクの書』に収められた「召喚の野蛮な名前」に対するクロウリーの解釈、「サタン、汝、目よ、欲望よ!」などの言葉は間違いなく初心者を惑わすものです。彼は「召喚の野蛮な名前」に含まれる「OOO」という言葉をタロットの札に当て嵌めたカバラ的解釈によって翻訳しています。O、すなわちヘブル文字「アイン」の意味は「目」です。またこのヘブル文字はタロットの15番「悪魔」に照応します。従って彼は「O」という言葉を「サタン、目、(パンの)欲望」と解釈したのです。また繰り返しますが、この悪魔は聖なる神と等価です。愛と創造と達成の証としての悪魔は、OTOの中核儀式「グノーシスのミサ」で称えられる私たち自身の真なる神です。「グノーシスのミサ」が参列者に与える重大な示唆は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人間性の主体の奪還にあります。「我の中にありて、神に非ざるものなし」という宣言、新たな神学に基づく人間の主体性の自覚と解放こそがミサの重要な働きであり、それは人々に微睡からの「覚醒」をもたらします。ミサが含む聖餐式において参列者は、主の肉体と血を、「光のケーキ」と「葡萄酒」という形で体内に摂取します。そして、聖化された秘蹟を摂取するとき、正に「聖人達との霊的交流」と呼ばれる不可視の力流とのコミュニオンが成立します。私たちが摂取する聖餐とは実際のところ、「混沌」と「ババロン」の子供、両性具有の「バフォメット」の肉体と血です。このバフォメットこそは、人々の恐怖と誤解のヴェイルの向こう側にいる真なる神、そして真なる人間の姿です。『第15の書 グノーシスのミサ』もまた『魔術-理論と実践』の付録に収録された儀式のひとつです。


『魔術-理論と実践』の付録に収められた主要儀式群、瞑想書、聖なる書物は、その約9割強が、彼の魔術結社A∴A∴の成員のために書かれたものであり、残りの1割弱がOTOの団員向けに個別に書かれたものです。つまりその付録をみる限り、『魔術-理論と実践』は万人に向けて書かれた書ではなく、A∴A∴とOTOのメンバー向けに書かれた専門テキストだということになります。ただ、大筋では主にA∴A∴の団員向けに書かれた魔術の解説書とみてまず間違いないでしょう。その理由は明白です。付録に収められた主要儀式群、瞑想書、聖なる書物の多くはA∴A∴の位階訓練カリキュラムからの抜粋だからです。一例をあげましょう。『Oの書』、ならびに『Eの書』は1=10ニオファイトの任務の一部であり、『スター・サファイヤの書』は2=9ジェレイターの任務の一部です。『アシュタルテの書』は4=7フィロソファスの任務の一部であり、『サメクの書』は聖守護天使の知識と会話の達成、すなわち5=6アデプタス・マイナーに課された唯一の任務達成のための儀式書です。付録中の『もっとも聖なる奥義書 Grimorium Sanctissimum』と『グノーシスのミサ』のみがOTOのために個別に書かれた儀式書です。また本文を読んだだけでは気付かないかもしれませんが、クロウリーは明らかにそれをA∴A∴の団員たちに向けて書いており、また補足的にOTOの位階の秘儀を参照せよ、と指導しています。すなわち、この事実こそが『魔術-理論と実践』が難解になる最大の理由です。それは魔術という大ジャンルにおける一つの特殊な発展系に対する解説書なのです。たとえば、彼の瞑想指導書『HHHの書』に含まれるふたつのセクションは、A∴A∴のイニシエーション儀式の式次第に対する内的理解と成長をその目的としています。A∴A∴のイニシエーションの鍵を持ちえない万人が、いかにしてその内的意味を探り、瞑想の目的を達成できるというのでしょうか? またA∴A∴のニオファイトが達成すべきアストラル界の制御と、フィロソファスが挑む「諸界への上昇」をマスターしていない魔術師が『サメクの書』を行うことは到底不可能です。なぜならば、クロウリーはその儀式を実際の肉体ではなく、第2の身体「光の体」を用いて行え、と述べているからです。それは「召喚の野蛮な名前」とともに、対応する元素の方角に向かって光体を極限まで飛翔させ、最後の「霊」のセクションで宇宙の頂点を目指して光体を上昇させ続けることを意味しています。そのためには光体の訓練、例えば数百回にわたるアストラル旅行、ヨガのダーラナーによる集中力の発達、『Oの書』で指導されている五芒星と六芒星の(光体による)適切なる使用に習熟しておく必要があります。

一部の著述家の警告はまさに正鵠を得ているといえます。『魔術-理論と実践』は魔術の初心者にとってはほとんど (まったく?) 役に立たない本です。『魔術-理論と実践』は日本語にも翻訳されていますが、それはオカルト・マニアたちの愛読書というよりは、より正確には鑑賞物として本棚に飾られていることがほとんどです。なぜならば、それは使える魔術書ではないからです。   本当に?

私が初めて『魔術-理論と実践』を読んでから早くも30年近い年月が経過してしまいました。もちろん、それを始めて読んだとき、私の頭の中は無数のクエスチョンマークで溢れかえってしまいました。それはまるで子供が無造作にぶちまけた3000ピースのジグゾーパズルのようでした。大抵5分ほど読んですぐに本を閉じてしまう日々でした。30年後の今はどうでしょう。1990年代に購入した完全版『魔術:アバの書、第4の書 (Magick: Liber ABA, Book 4)』(それは『魔術-理論と実践』を含む『アバの書』の完全版です) はぼろぼろになるまで読み込まれ、ドーバー出版からでた『魔術-理論と実践』のペーパーバックは毎朝のコーヒータイムの愛読書になっています。そして日々、その書から多くのものを学んでいます。今ではクロウリーが冗談半分で書いたであろうと想像していたセンテンスに本当は深い意味が潜んでいることを発見したり、タロットの大アルカナに対応した各章のカバラ的意味について別の解釈を発見したりと読書そのものを魔術修行の一環として楽しんでいます。もちろん、そうなるまでに費やした学習と実践の時間は実に膨大なものです。そしてその過程で実感したこと、体験したことを踏まえて私は『魔術-理論と実践』に関してこう断言したいと思います。

アレイスター・クロウリーという人間は、こと魔術に関しては、いい加減なこと、根拠のないことは書かない」。

もちろん、彼が『魔術-理論と実践』の12章の中で書いている有名な「無垢な男子の生贄」を毎年平均150回捧げた、という記述はたちの悪い冗談です。彼はOTOの第8位階の魔術作業を覆い隠すために、このたちの悪い冗談を使わざるを得なかったのですが、彼の魔法日記を読んだ読者にはその真偽が理解されることでしょう。彼は『魔術-理論と実践』の中で魔術を正確に定義し、関連するトピックを網羅しながら魔術の本質とその訓練課程の実際を明示しようとしました。彼は1921年、シシリーにてA∴A∴の宣言書『視界のひとつの星』を執筆しました。彼は団の位階が持つ、その連続性と目的、ゴールを明示した上で、そのシステムを団外に公布したのです。遡ること1909年、彼はA∴A∴の修行者たちのテキストを断片的に、団の機関誌『春秋分点』誌にて公開し、団員を募り始めました。もちろん、彼は一定数のプロベイショナーを得ることができました。その中には、チャールズ・スタンフェルド・ジョーンズ、JFCフラー大佐、ヴィクター・ノイバーグ、オースティン・オスマン・スペア、レイラ・ワッデル、フランク・ベネットらの弟子たちが含まれていました。とはいえ、その他のプロベイショナーの多くはクロウリーが指導するヨガのポーズひとつにすら、「耐えられない」と苦情を申し立て、またその修行は遅々として進みませんでした。多くの志願者たちのオカルト趣味的嗜好はハードな修行を拒否しました。当然ながら、クロウリーは彼が推し進めようとした「白色同胞団」のコンセプトを早期に成功裏に始動させることができなかったのです。そういった意味ではA∴A∴は昔も今も規模の小さな団体です。

 クロウリーは、少数の弟子たちを鼓舞しながら、ますます彼の霊的径を突き進んでいきます。アルジェリアの砂漠で30のアエティールを踏破し、深淵を越えてNEMOとなり、A∴A∴の秘密の首領の一人、アブ・ウル・ディズとの邂逅によって、『アバの書, 第四の書』を著しました。悪名高き「パリ作業」でOTO高位階の魔術実験に没頭し、聖堂騎士団を復活させ、また妖術師アマラントラと接触し、彼の魔術システム発展のための大きなヒントを獲得しました。シシリーのセファルーに「セレマの僧院」を設立した彼は、そこで『魔術-理論と実践』(それは『アバの書, 第四の書』の第3部として執筆されました)の主要部分の作成にとりかかります。正にクロウリーの魔術人生のひとつの円熟期に『魔術-理論と実践』は執筆され、最終的に1929年にパリにおいて出版されたのです。クロウリーにとってA∴A∴とは、魔術と神秘主義の実践的学舎であり、OTOとは彼が受け取った93の流れ=THELAMA公布のための魔術的乗り物でした。彼は、A∴A∴の公的発行物として『魔術-理論と実践』(『アバの書, 第四の書』)を公刊し、『春秋分点』誌同様、彼の魔術哲学の集大成としてそれを公開したのです。繰り返しますが、『魔術-理論と実践』とは、魔術という大ジャンルにおける一つの特殊な発展系に対するSpecificな解説書です。魔術の初心者が一から学べる便利な入門書とはまったく逆の位置にある難解な文書群の寄せ集めです。


 従って、『魔術-理論と実践』を理解するためには---それは実際、とてつもない価値を内包した究極の魔術の奥義書なのですが---いくつか注意が必要です。『魔術-理論と実践』は決して単独の読書だけでは意味をなさないのです。それは彼の人生と魔術・神秘主義観を反映した複合的な実践的哲学書なのです。こんなにも厄介で不親切な本は、他にはありませんよね! 
さて『魔術 理論と実践』を理解するためのポイントをいくつかあげてみましょう。

1. カバラを理解すること。それは「黄金の夜明け」団が発端となって20世紀以降に急速に拡大した魔術的カバラを理解することを意味しています。特に基本となる22のヘブル文字の照応を徹底的に頭に入れることです。またギリシャ語アルファベットに関する基礎知識も役立つでしょう。クロウリーカバラは、『777の書』に対する深い理解と「生命の樹」やタロット象徴への深い解釈をその基礎においているといっても過言ではありません。また彼はゲマトリアを用いて、彼の魔術理論や接触した知性体の正当性を検証する習性があったことも忘れてはなりません。
2. 「黄金の夜明け」団の儀式魔術の骨子を理解すること。クロウリーが「黄金の夜明け」団のメンバーであった時代、彼を指導していたメンターは主にアラン・ベネットとジョージ・セシル・ジョーンズ(後のA∴A∴の設立者の一人)の二名です。『魔術-理論と実践』の付録に収録されている『Oの書』は、クロウリーが「黄金の夜明け」団で学んだ技術に依拠しています。また『魔術-理論と実践』の本文に含まれている儀式魔術に関する解説を理解し、役立てるためには「黄金の夜明け」団の儀式魔術の骨子、儀式のプロセスや所作などを理解していなければなりません。
3. 東洋の体系を理解すること。特にラージャ・ヨガをはじめとした各ヨガ(ハタ、バクティ、カルマ、マントラなど)の理論と実践についての基礎知識は必須となります。また彼は中国の易経の深い理解者でもありました。
4. A級刊行物に関する知識。『法の書』はその筆頭に置かれます。全部で13冊あるA∴A∴の聖なる書物、加えてクロウリーの魔術記録『霊視と幻聴』(それ自体、極めて難解な代物ですが。) は必ず並行して学習されなければなりません。むしろクロウリーの人生は、それらA級刊行物の理解に捧げられていたといっても過言ではありません。実際にそれは、魔術師の人生に大きなヒントを与えるだけではなく、膨大な叡智を内包しています。
5. 魔術を体験すること。『Oの書』に含まれている「五芒星小儀礼」や「六芒星儀礼」などから始めることができます。また魔術の入門書を頼りに独習するもよし、魔術団体に入団を求めるもよし、いずれにしてもあなたは魔術を実際に体験し、その内的感覚を体感し、願わくは魔術がなにを制御し、なにを達成しようとしているのかを知っていなければなりません。『魔術-理論と実践』に書かれている様々なセンテンスがあなたの琴線に触れる、といったような体験をあなたは恐らくするでしょう。
6. アレイスター・クロウリーの人生を理解すること。クロウリーの人生において、いつ何が起こり、どういった出来事、または変化が起こったかをつぶさに検証することは彼の魔術を理解する上で、とても大きな助けとなります。私のお勧めは、先に述べたタビアス・カートンの『アレイスター・クロウリー バイオグラフィー (『Aleister Crowley: The Biography 』Watkins Publishing 2012)』です。

思えば『魔術-理論と実践』を含む完全版『アバの書, 第四の書』は、つねに自室の机の上、儀式の祭壇の上に置かれていました。それは書物である以上に、私にとってはとてつもなく強力な魔法武器でした。30年ひたすら読み続け、それはいまだに私の日々の学びに大きく役立っています。

私のこの拙い文章が少しでも皆さんの探究に役立つことを祈りながら、この日記を締めくくりたいと思います。

Love is the law, love under will.

Journey to the East 東遊記

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.



イベントのお知らせです。関東を中心に活動中の東方聖堂騎士団(O.T.O)東京支部ヒル・オアシスは、2019年4月6日〜7日の2日間、オースルラリア・グランドロッジのグランドマスター、フラターSHIVA X°と他3人のメンバーを迎えての魔術講義を開催します。イベントのホームページとして下記urlが開設済みです。
またチケットのご予約は、2018年3月21日の春分の日より開始の予定です。

http://otojapan.org/nihil/event2019.html

講義はすべて英語で行われますが、日本語の翻訳も用意されるとのことです。
ただし、団外から参加をご希望される方については、下記の注意点があります。

「日本在住の聴講希望者様は、招待制となっております。予約スタートとなりましたら、面識ある当団メンバーに聴講希望の旨をお伝えいただき、「紹介者欄」に団員の名前をお書き添えの上お申込みください。」

今回のイベントは、東洋と西洋のエソテリシズムの双方に焦点をおく他、おそらくフラターSHIVA X°からは濃厚なO.T.O.論が展開されることと思います。

皆さんと会場でお会いできることを楽しみにしております。

Love is the law, love under will.

Path of Magician

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

魔術師とは意志と想像力を駆使し、世界を変化させるクリエイターであると同時に内なる探究の旅を続ける冒険者でもあります。魔術師は、広大で未知なる宇宙、そして自身の魂の本質を理解するために、象徴的縮図としての「生命の樹」を活用しながら、それを長い旅路の地図として用います。魔術師の径は永久への憧憬に対する霊的帰巣本能によって初めて開かれ、自分自身の真の意志の発見とその実現に向けて緩やかにその歩みを開始します。しかし、魔術師の径は起伏に富み、峻烈な壁と多くの落とし穴にみちています。20世紀最大の魔術師アレイスター・クロウリーは、その径を可視化し、明確化するために様々な象徴と寓意、思考の糧と試練にみちた一連のイニシエーションを提案しました。その根幹にある哲学は、イニシエーションを通じた人生の旅路において、新たな知恵を獲得し、自分自身を刷新するための生き方を学ぶというものです。秘密の知識やサインの伝達は、その一要素にはなり得ても、決してその変革の主軸にはなり得ません。

だれもが瞬間的に経験したことのある自由への渇望、人々が求める自己変容のための柔軟な哲学、新しい神学を打ち立て、恍惚の門を押し開くための学び。その目的を定めた熱望者のために『法の書』は”罪の言葉は抑制である”と私たちに問いかけます。自由とは、気まぐれで散発的なOpusの累積の途上にはなく、フォーカスされ、意志された孤独な自己分析と戦闘の先に横たわっています。マスター・セリオンが述べる通り、意志とは即ち法であり、その根本的性質は愛です。”愛は法なり、意志の下の愛は”とは多義的な意味合いを含んだ人生の金言でもあります。マスター・セリオンは、汝の意志を見出し、一点集中と超然と平和とともにある意志によって、それを為せ、と厳命します。とはいえ、これは人々を途方に暮れさせるに十分な厳格な命題です。

魔術師は現代社会の画一性と価値観に抗う反逆者にして破壊者であり続けます。その一方、彼は一つ一つの煉瓦を積み上げ、天を目指す神殿建設者でもあります。黄昏の回廊をくぐり抜け、魂の霊薬を抽出する現代魔術師は、第2の身体を駆使し、視えざるものを可視化し、世界を刷新します。魔術師の径とは、永久へと続く驚嘆の旅路なのです。


その一方で、人はなぜ魔術師の径を目指し、そこを歩もうと欲するのでしょうか? つまり魔術師を目指す目的はなにか? という単純な問いかけです。この問いは単純すぎるがゆえに、答えるのがとても難しいかもしれません。私自身もそうでしたが、ほとんどの初心者はその問いに対する明確な答えをもってはいないのです。とはいえ、それが悪い、というわけではありません。魔術師の径という未知の道程との出会いは人それぞれですが、ほとんどの人たちは、それを明確に定義できないまま、この径に踏み込むのです。

魔術師を志す多くの人たちはすぐに途方に暮れてしまうかもしれません。彼、または彼女はいったい何からはじめればよいのでしょうか? 魔術の教師はどこにいるのでしょう? どんな本を読み、何を実践すればいいのでしょう? また同好の志、仲間と出会う方法はあるでしょうか? 魔術を教えてくれる専門団体とは、どうやって連絡をとればよいのでしょう?
私の個人的な体験においては、まず真っ先に魔術の師匠を探し、然るべき団体に入団を乞うことから始めました。またある人は、先に入手し得る限りの専門文献を読み漁り、十分な情報をかき集めた上で、次の行動について熟慮しようとするでしょう。

魔術結社を探し当て、その門戸を叩くことに関しては、以前「魔術結社への参入に際して」という日記に綴ったことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/20150417
その中で、私はこう書いています。「ところで魔術結社への参入を希望するということに本当に意味があるのでしょうか? この問いに答えることは実はそう簡単なことではありません。なぜでしょう? もしその問いに対してシンプルに答えるとするならば、「魔術の実像を描けない志願者は、容易に落胆し、容易に結社から去る」という事実を挙げることが出来ます。実際、そのような場面を沢山見てきました。」さらに私は次の文章で日記を締めくくっています。「そして最も重要なことは、常に作業に貪欲であり続けることです。維持する力は、なににも増して強大な意志の技です。魔術の最大の才能とは「常に自分を燃え立たせる能力」です。常に自分自身を鼓舞し、熱望を抱くことが出来なければ、すべての魔術的行為はいずれ空虚なものになっていきます。誰も他者に修行を強要することが出来ないがゆえに、個人が抱く大望の大小がその人の魔術的能力を決定します。」


ある種の人たちにとっては、魔術結社の門戸を叩くこと自体が大きなチャレンジかもしれません。そしてたとえ結社に入れたとしても、ほとんどの人たちは修行を継続することができないのです。「魔術」とは方法であり、私たちが達成すべき目標は「大作業 Magnum Opus」として定義されています。錬金術における「大作業」は卑金属を金へと変成させる一連のプロセスの総称、または「哲学者の石」の完成を意味します。またJ.ダニエル・ガンサーはA∴A∴の「大作業」の過程をシンプルに3つに分割しています(それはA∴A∴の3つのOrderにそれぞれ対応しています)

●第一段階ニグレド黒化: 魂の暗き夜、腐敗による解体、または破壊 第1団 G∴D∴
●第二段階アルベド白化:霊的啓発、腐食と減衰からの解放、浄化 第2団 R∴C∴
●第三段階ルベド赤化:神への昇華、統一、完成、哲学者の石、沈黙 第3団 S∴S∴

またガンサーは、この大作業の過程を「回帰の大いなる径」と命名しました。その過程は、秘儀参入の道程、すなわち「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」として定義されています。参入者はまず死せる神オシリスとして祝祭され、人生の径を歩みます。やがて彼は深淵において赤子となり、さらに宇宙的な子宮に回帰し、その先にある原初のエデンに向かってさらなる回帰を果たすのです。この径は錬金術的な破壊と統合、そして神秘主義的な無化への変成のプロセスです。


錬金術の素朴で、基本的なイデオロギーはこうです。
宇宙はすべて単一の聖なる原因より流出している。「全」= 「一」。
振動率の低い粗雑な物質を変性し、その振動率を高める技法を適用し、卑金属(低振動) を金(高振動) へと変成させる。また哲学者の石に含まれるPANACEA (宇宙の霊薬) を抽出し、不老不死を獲得する。

もちろん、物理的な銅を金に変成させることは不可能です。中世の難解な暗号文書と美しくも蠱惑的な版画の数々は錬金術に対する夢想と憧れの産物なのでしょうか? 一方、20世紀以降の近代魔術の歴史において、彼らはどのように錬金術へアプローチしたのでしょうか? 代表的なものはおおよそ下記のようになります。


1. ユングに代表される心理学的アプローチ: 個性化のプロセス
2. 実験工房における実践的アプローチ: 植物、鉱物、金属からエッセンスを抽出
3. Psycho Spiritual Yoga : 精神と肉体の統合。哲学者の石を脳内に生成
4. アレイスター・クロウリーの性魔術的アルケミー: OTO (Fraternitas Lucis Hermeticae)

ユングは難解な錬金術の暗号が表象するものこそ個性化のプロセスであり、いわば魂の精錬による人間性の完成を表していると考えました。若き日のイスラエル・リガルディーが『Philosopher's Stone』を上梓したとき、彼の考え方はユング同様に、心理学的な解釈に傾いていました。ところが、そんなリガルディーの錬金術理解を一変させた人物が現れます。1911年生まれのFrater Albertus Spagyricus、ことアルバート・リチャード・リデル博士その人です。米国のソルトレイクシティーに「パラケルスス調査協会」を設立したリデル博士は、そこで実験工房型の錬金術の研究と指南に従事します。「パラケルスス調査協会」を訪れ、リデル博士と議論したリガルディーは実験工房での錬金術実験を見学し、大きな衝撃を受けます。それによってリガルディーは錬金術に対するアプローチを一変させます。晩年の彼は、正に実験工房型の錬金術の虜となってしまったのです。
Psycho Spiritual Yogaは7つのチャクラと独特の象徴を用いた瞑想をそのベースに置いていますが、その技法はジョン・ウッドロフ卿のタントラ・ヨガ的著作『The Serpent Power』に強い影響を受けています。アレイスター・クロウリーの性魔術的アルケミーはOTOの第7位階以上で教示される一連の技法を土台として、20世紀後半に一気に有名になった、いわゆる性魔術の体系です。


A∴A∴の「大作業」における3つの過程、ニグレド黒化/ アルベド白化 /ルベド赤化はそれぞれ「聖守護天使のヴィジョン」/ 「聖守護天使の知識と会話」/ 「深淵横断」という3つの試練の達成を要求します。私は個人的にこの錬金術的作業に従事し、その径の途上にいますが、あらゆる魔術団体は団の作業と目的を定義し、その径を目に見える形で提供しています。そして団に参入した魔術師たちは、団で規定されたOpusに従事し、魂の精錬作業に没頭することになります。とはいえ、ここに問題が潜在しています。団に入団するにしろ、ソロとして教程書に従って学習・実習するにしろ、ほとんどの志願者たちは自らのモチベーションを、そう長くは維持できないという問題です。なぜでしょう?

魔術の訓練とは、あなたの日常に従来、「非日常的」であったものを持ち込むことを意味します。日々の生活の中に唐突に浸入してきた新たな生活習慣は、長年培ってきたあなたのリズム、思考、感情、行動に少なからぬ影響を与えることになります。それらの影響が、新たな刺激となって魂の変性の第一段階が開始されるのです。とはいえ、人間はそう簡単に今までの自分と決別することは困難です。社会生活においては、誰でも大切な人間関係があります。緊張と緩和、社会生活の中の厳しさと、それを癒す親しき人たちとの談笑。それが大切なものであることは確かです。しかし、ここで立ち止まって考えてみることが重要です。この世の中には魔術訓練から逸脱させるための誘惑がいかに多いことか! クロウリーは人類の進化の最大の障害物は、一言で表現すると「ノイズ」であると断言しています。そしてこの厄介な「ノイズ」があなたの周囲に渦巻いていることを、まずは最初に認識することが重要です。訓練をおざなりするための理由はいくらでもあります。基礎訓練の代わりに寝そべってテレビや映画を観ること、親しい友人と週に3回飲み歩くこと、新刊の小説を読み耽りたい願望、ギャンブルやドライブ・・・あなたの周りは魔術訓練を無化してしまうもので埋め尽くされているのです。魔術の才能とは、優れた視覚化能力でもなければ、類まれな知性の閃きでもありません。「意志の持続力」なのです。あなたが最初に抱いた大望を維持し、自分自身を鼓舞し続けることが出来る才能こそが重要な力なのです。

“今こそ「だから」とその同類に呪いをかけよ!”
“ 願わくは「だから」が永遠に呪われんことを!”
“もし「意志」が立ち止まり、「だから」を召喚しつつ「何故」と叫ぶならば、「意志」は停止し何をも為さぬ”
“もし「力」が何故と問うならば、「力」は「弱き者」となる”
                    『法の書』 第二章 28〜31節


単純で退屈な魔術訓練のつまらないことといったら!
すべての志願者が訓練の初期に抱く正直な感想こそがそれです。「なぜ?」を自分に問いかけることは決して悪いことではありません。しかし、訓練をサボるための「なぜ?」は、あなたの意志を減退させ、やがては作業の放棄へとつながることを十分にリマインドしなければなりません。魔術の入門書の多くが、魔術の実践的側面についてコメントするとき、最初に決まってリラクゼーションについて触れるのには理由があります。リラクゼーションとは、第一に、魔術的意識へと埋没する際の不可避の前提となります。リラクゼーションとは肉体と精神双方のリラックスを表し、それは相互に関連しあってしています。精神のリラクゼーションを抜きにして肉体の緊張を緩めることは困難であるに違いありません。また仕事や学業、人間関係の軋轢に心惑わされていては、肉体の隅々の筋肉は硬直してしまうでしょう。この硬直は意識と無意識の門、その境界線さえも硬く閉ざしてしまうことがあります。つまり、精神の緊張は肉体の緊張を生み、より深い無意識領域での精神活動を拒否し、現実社会での活動の準備のために肉体を臨戦体制のままブロックしてしまうのです。心身の相関関係を鑑みれば、肉体だけに的を絞ったエクササイズは大抵の場合、効果を得るまでに時間がかかります。したがって重要なことは、まず精神を解放し、喧騒と反射いう名の戦闘態勢から脱却すべく、肉体に指令を下すことから始めなければなりません。

その前に、実践魔術において果たすリラクゼーションの意味を考察してみましょう。魔術の行為の多くは実のところ、現実社会における活動とは別のスペクトルに意識の焦点をあてています。あるいは日常生活におけるそれとは異なった脳の領域にアプローチする必要があるのです。もちろん、修行を推し進めた経験豊かな魔術師ならば、特にこれらの意識のスペクトルの区分を気にかけることもなく、ごく自然に適切な能力を駆使することができます。というよりもこれらの意識のスペクトルの区分や階層は徐々にとり払われて、いついかなるときもマジカルでいられるようにすらなるのです。いずれの場合でも、魔術的オペレーションの主導権を掌握しているのは、あなた自身です。他人の決裁を仰ぐ必要はありません。あなた自身が世界の中心に座し、あなたの内面に眠る小宇宙と対面し、探索し、制御する者になる必要があります。この場合、必要な能力はスムーズに魔術的意識を喚起し、象徴言語を把握する為の直観力を呼び醒まし、異世界の門を開く為の第一段階としてのリラクゼーション作業です。つまりそこから魔術作業が始まるのです。

したがってリラクゼーション作業そのものは、異世界への門となることに注目しなければなりません。この前提作業抜きには魔術作業自体が成り立たなくなると認識することも重要です。また、ヨガの体系によれば、肉体が真にリラックスした状態に移行すればプラーナはイダやピンガラではなく、スシュムナに直接流れ込み、火の蛇クンダリーニを活性化する、と指摘しています。この事実は呼吸とリラクゼーションが相互に関連していることを私たちに教えてくれます。また、瞑想や儀式作業、アストラルの門をくぐるに際してもリラックスは、その基礎作業となります。

魔術師の径への参入を希望し、その峻厳なる道を歩み始めた冒険者の多くが道半ばで径から離脱していくさまを私はたくさん見てきました。魔術結社に入ること、あるいは魔術の修行を開始することは、そんなに難しいことではありません。繰り返しますが、達成へのモチベーションを維持し、自分を鼓舞し続けることこそが難しいのです。私は、自分自身の経験から魔術師の径を歩む上での重要な留意点を下記に述べたいと思います。それは4つの事項と1つの重要な質問からなっています。


◆目的を定めること
◆目的を達成するためのPathを定めること
◆具体的な計画を作成すること
◆生活基盤の安定
◆幸福であるかどうか?


少し解説が必要でしょう。まず「少年よ、大志を抱け この老人の如くBoys, be ambitious like this old man」と述べた米国の教育者ウィリアム・スミス・クラークは偉大だったということです。魔術師を志願する者は、大志を抱くべきです。そしてなにを目指し、どこへ向かうのかを明確に知っていなければならないのです。これは魔術修行の目的を明確化し、ゴールを定めることを意味しています。まず目的が不明確だと、修行者のPathそのものものも曖昧になり、前進は難しくなります。もちろん、魔術の道に入りたての初心者が、いきなり「深淵を横断」することをその目的とすることは馬鹿げたことのようにも思えます。しかし、魔術師の目的は具体的である必要があります。ただ、もし、あなたの目的が「惑星の護符を作成し、財を得ること」だったり、「大天使を召喚し、恋愛を成就させること」であったならば、あなたの魔法修行は3ヶ月と続かないでしょう。私たちはなによりも長期間にわたって自分自身を鼓舞し続けることができる大志を抱く必要があるのです。テクニックや方法論を越えた無窮への憧憬を摘み取り、その衝動を「大作業」への邁進の燃料として燃え上がらせなければならないのです。多くの志願者たちが脱落していく最大の原因は、無目的にその径に踏み込み、自分を律することの意味について無知であり続けることによって顕在します。したがって退屈で緩慢な基礎作業にすぐに根を上げ、失望してしまうのです。躊躇する必要はありません。大胆にあなたの大志を明言してみて下さい。さて、あなたの魔術の目的はなんでしょうか?

目的が明確になったとき、はじめてゴールに到達するための道のりが、おぼろげながら見えてきます。その径を想定し、把握し、視覚化することに果敢に挑戦して下さい。あなたの大志を実現するための、あなたにとって最善最適の径を見出すことはできるでしょうか? またその径を提供してくれる団体はみつかりそうでしょうか? しかし、ことはそう単純ではありません。この最善の径を発見するまでに数年かかることはよくあることです。自分の目的に則した訓練体系、実践カリキュラム、団の構造など、それらについて幅広く情報を収集し、ゴールまでの長い道のりを想定するのです。この点、A∴A∴は非常に明確です。位階構造、実践カリキュラム、団の指南書などはほぼ公刊されており、またネットでも簡単に手に入ります。魔術師の径を歩むことは、書籍の中の誰かの出来事ではありません。それは、あなた自身のあなたのための固有の径なのです。

続いて、魔術師は目的達成のための計画を立てます。これは多くの魔術修行者がもっとも苦手とする作業です。目的が定まり、その径が想定できたならば、それを自分の人生上に計画としてあてはめるのです。曖昧で、恣意的な行動を避け、意志の力とともにある計画に則って径を邁進するよう努力するのです。目的達成のための計画は魔術師が径を踏破するための必須の要素であり、計画不可能な目的は決して実現しないのです。たとえば、あなたが、とある団のプロベイショナーとして迎え入れられたとしましょう。その教程を終えるためには、おおよそ9カ月かかるとしてみましょう。あなたは、その教程を計画通り9カ月間で修了すべく努めるべきです。その教程を1年半かけて修了することを、私は決してお勧めしません。もちろん、人にはそれぞれ個人のペースがあります。また9カ月間で教程を終了することは、必須条件ではないでしょう。実習に疲れたならば、中休みし、気持ちをリフレッシュすることも大切です。ただ私は、そうして魔術の径から結局は離れていってしまった多くの人たちのことを知っています。「魔術修行にノルマはない」。確かにそうでしょう。ただし、一旦ペースを緩めてしまい、自分を鼓舞することを忘れてしまったら、あとはお決まりの妥協への道をまっしぐらです。あなたは毎月提出する魔法日記を放棄し、机の上にあった団のテキストを引き出しの奥深くに仕舞いたくなるでしょう。
あなたは、いつプロベイショナーを終了し、いつニオファイトへと進み、いつ内なる団に迎え入れられるのでしょうか? あなたは、そのスケジュールをあなたの人生の一部として設計すべきです。達人とは、すべからくそれが可能な人たちのことをいうのです。繰り返しますが、計画を立て、それに基づいて行動することは、多くの魔術修行者たちがもっとも苦手としている作業なのです。

さて魔術修行の基盤は、修行者の安定した社会的立場の確立によってはじめて機能します。社会生活をおざなりにする修行者はむしろ自由を失い、長期にわたる魔術師の径を踏破する基盤を失ってしまいます。これが4つめの事項「生活基盤の安定」です。これは自由をはき違えてはならないという警句でもあります。マクレガー・メイザースアレイスター・クロウリーはさておき (彼らはまるで憑りつかれたかのような魔術の天才たちであったわけですが)、私は修行過程の進んだ現代の達人たちが社会人としても、盤石な立場を築いていることをよく知っています。不安定な経済状態は生活基盤の安定を阻害し、修行に没頭する魔術師に障壁をもたらすでしょう。「生活基盤の安定」はマルクトの神殿の完成を補完し、あなたに自由に飛翔するための翼を与えてくれます。この事項は決して軽視してはならない最重要事項といえるでしょう。

そして私は、最後にあなたに問う事になります。あなたは、いま幸せでしょうか?
もしあなたが不幸の只中にあるならば、魔術修行は苦痛以外のなにものにもならないでしょう。儀式は機能せず、瞑想は頓挫し、魔術師の径は崩壊してしまいます。私は、魔術に関心を抱く志願者のほとんどが、精神に何らかの問題を内在させていることを熟知しています。彼らは心の闇を直視する恐怖と現実回避のために魔術の世界に救いを求めています。しかし、自発的な規律と制御を要求する魔術師の径は、「癒し」よりもむしろ「破壊」をもたらします。もちろん、それは再生のための不可避の創造的破壊の作業ではありますが。
もし、あなたが今、幸せでないならば、魔術師の径に踏み込むことは止めておいた方がいいでしょう。反対に、もしあなたが、人生の荒波の中で心を強く保持し、小さな幸せに対する感受性に敏感であるならば、あなたの径は、その遠い道のりを照らしだす力を持っているといえます。そう、魔術師は幸せでなければならないのです。

“ 汝ら一同、覚えておくがよい。存在は純粋なる喜びであるという事を。全ての哀しみは影の如きものにすぎぬという事を。それらは通り過ぎついえるものであるが、留まるものもあるという事を。”
『法の書』 第二章 9節

「大作業」に対して真摯に向き合わず、計画と戦略と喜びを持たない志願者たちはすべて魔術師の径を歩むことなく脱落していきました。さてあなたは、あなた自身の魔術師の径とどのように向き合い、またどのようにしてそこに幸福を見出すのでしょうか? いまあなたの眼前には未踏の宇宙と、か細い光の径が横たわっています。あなたに幸福が訪れんことを!

Love is the law, love under will.

After this

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

2018年はOTO Japanにとってひとつの記念すべき年です。というのも、日本で初めてO.T.O.のイニシエーションが挙行されたのが、今を遡ること30年前の1988年であるからです。30年という月日は決して短いものではありません。日本における東方聖堂騎士団O.T.O.の歴史は正に起伏に富んだものでした。その間、合計10もの活動拠点が開設され、各地方に根差した活動が展開されたのです。それらの地方支部( キャンプ、オアシス、ロッジ ) における活動には当然濃淡があり、数多くの参入者を誕生させたニヒル・オアシスのような中核的拠点もあれば、ほぼ何も具体的な活動を行うこともなく半ば自然消滅した拠点もありました。

過去のO.T.O. Japanの活動の中でもっとも着目すべきイベントは、やはり2011年9月に開催された「The Path of the Great Return, the Path in Eternity: The A∴A∴ and The O.T.O.」ということになるでしょう。クロウリーとジョージ・セシル・ジョーンズが設立した実践魔術結社A∴A∴の棟梁たる世界的達人J.ダニエル・ガンサーと、O.T.O.のグランド・ロッジのグランド・マスター第10位階の秘儀参入者、兄弟シヴァの二人が揃って講義を行うことは世界初のことでしたし、3日間に渡って計8本の講義( ガンサー 6本、シヴァ2本) が展開されるという規模感も過去、例がなかったのです。彼らが聴衆に与えた膨大な知識や分析的視点、感動は特筆すべきものでしたが、その中で兄弟シヴァが列挙したO.T.O.の性質に関する解説は、斬新な切り口に満ち、当時の私も唸った記憶があります。
ガンサーとシヴァのタッグによる講義は、その後、米国、欧州、オーストラリア、香港などでも行われましたが、日本での講演こそが初めて二人が演壇に立った記念すべき場所だったのです。



クロウリーが1919年に刊行した所謂、『青の春秋分点』で明示されたA∴A∴とO.T.O.の性質の差異は実に明確なものでした。それはすなわち、「O.T.O.はグループを鍛え、A∴A∴は個人を鍛える」という差異です。O.T.O.は複数の司管と儀式装置を用いた集団による物理的イニシエーションを通して、または啓明と解放の儀式「グノーシスのミサ」を通して専ら集団活動を主体として志願者に教示し、示唆を与えます。O.T.O.には個人向けの高等魔術テクニック伝授や魔法日記を通じた個人への魔術指導という概念はありません。O.T.O.における魔術カリキュラムは、志願者の「意志」に基づき、志願者自身が決定しなければならないのです。O.T.O.の最高責任者、兄弟ハイメナエウス・ベータの言に従えば、O.T.O.のカリキュラムは次のように定義されます。 “ 東方聖堂騎士団は、古きアイオンの時代に「セレマの法」を受け入れた最初の結社である。それはアレイスター・クロウリー ( バフォメットXI°)によって、再構築され、とりわけセレマの法の公布に於ける宗教的、人道主義的使命を活性化し、聖別した。 OTOは、A∴A∴と同様な感覚で教え、また参入させるのではない。明確なカリキュラムは未定義で、またほとんどの位階において試験されることもない。OTOの真のカリキュラムは、各個人の人生と不可分であり、それぞれの参入者のカリキュラムはそれぞれにユニークである ”。


一方、A∴A∴にはロッジという概念そのものがなく、その訓練カリキュラムは厳然と定義され、また徹底して個人を鍛える構造を保持しています。各位階には厳密な試験が用意され、また記録として魔法日記に結果が記されていなければ、その訓練はすべて無効となります。とはいえ、A∴A∴に挑む者は、決して孤独ではありません。彼には霊的なリンクを有した兄弟姉妹のうちの一人が指導者としてつくのです。
ふたつの団の訓練に対する極端な差異は、以下のように定義可能でしょう。

O.T.O.  各自の人生に則ったカリキュラムを自由に制定可能
★ A∴A∴ 位階毎に明確に定義された任務をくまなく修了することが義務付けられ、個人による恣意的変更は許されない


クロウリーは、O.T.O.の目的を明確に表す計画書として簡潔な『オズの書』を書き表しました。それは、道徳的、肉体的、心的、更には性の自由と虐殺者からの防衛という観点における人間の権利に関するO.T.O.の新しい声明書でもありました。この計画書が明確に宣言していることは、自らの意志にもとづいて個の自由を獲得し、社会のモラルに変革をもたらすことによって、不感症で硬直した偽りの倫理観を撃破する、という決意です。兄弟シヴァは更にO.T.O.がメイガスの < ロゴス > = 法を人類に伝えるための乗り物であり、普遍宗教としてのグノーシスカトリック教会を建立するというミッションを有することを示唆しています。「グノーシスのミサ」が参列者に与える重大な示唆は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人間性の主体の奪還にあります。「我の中にありて、神に非ざるものなし」という宣言、新たな神学に基づく人間の主体性の自覚と解放こそがミサの重要な働きであり、それは人々に微睡からの「覚醒」をもたらします。「グノーシスのミサ」にはA∴A∴で貫かれている「大作業」の理念が内包され、それが魔術儀式として完璧に表現されているのです。グノーシスカトリック教会とは、単なる新興宗教ではありません。永久の真理としての人間の本質を発見し、その普遍的叡智を体感する生ける教会 = 魔術神殿なのです。そして、O.T.O.こそは、アイオンの真の魔術の術式 (第9位階)を保持しています。この術式は、「愛の下にある意志」が描く科学的創造による能動的なOpusを実現します。


O.T.O.はA∴A∴と緊密な同盟関係にあり、また恐らく前者は後者のために特別なミッションを有しています。O.T.O.はアイオンの洗礼を受けたクラフト3位階、ロイヤル・アーチ、薔薇十字、カドシュ位階の叡智に加え、第7位階以上の魔術の術式 (「光のヘルメス的兄弟団」の各知識) を保有しています。O.T.O.の魔術師達は、定められた多くの位階のイニシエーションを物理的に授与されます。儀式は変更されることなく特定の叡智を伝え続けます。それでも、O.T.O.における彼らの魔術カリキュラムは、各個人の人生と密接に結びつき、それぞれに完全にユニークなものになるのです。


いずれにしてもA∴A∴は、その独自の運用システムとカリキュラムの峻厳さから独特の団であり、O.T.O.はアイオンの調律によって変化した数多くの位階の秘密と共に独特の魔術団体であり続けます。そしてふたつの魔術結社は密接な二重性によって結び付き、コインの表と裏を形成しています。A∴A∴は個の霊性を高めるために内なる旅を開始し、徹底した自己破壊と再構築の過程を辿りながら、驚異的な錬金術的変成力のただ中にその身を置くことになります。自らの源への回帰、自己の放棄、転生の終焉を目指したその径は、ガンサーによって「The Path of the Great Return」と名付けられました。一方、O.T.O.の一連の劇的儀礼は、それ自体がひとつの壮大な物語として連続性を形成し、個の人生における思考の糧となります。その径は、クロウリー自身によって「The Path in Eternity」と名付けられています。2011年のイベントは正に、このふたつの径に対する卓越した議論の場であり、その関連性に対する気付きの場でもありました。J. ダニエル・ガンサーは、A∴A∴の秘儀参入の過程を「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」という序列として定義し、死と誕生においてA∴A∴とO.T.O.は逆転の関係にあることを示唆しました。それは過去一度も議論されたことすらない、重要なテーマであったことは間違いありません。


イニシエーションとは秘密を保有する何らかの秘教的グループが、隠匿された知識を主に寓意と象徴を通じて、短時間のうちに志願者の意識と無意識に刻印、あるいはインプラントする一連のメソドロジーです。もっとも一般的な例を端的に述べると、「死して蘇る」神オシリスについて十全に理解したいのであれば、その神話上の行動を志願者に逐次模倣させ、その内的変容と変容そのものの意味を「直接知」=体験によって志願者に理解させる、などといったプロセスが適用されます。志願者は、イニシエーションに対する予備知識を持たず、むしろグループの魔術師達が構築した神殿とグループ・ソウルのエネルギー領域に無造作に放り込まれ、混乱、ときには恐怖とともにその儀式を体験します。魔術師達のイニシエーション儀礼が一読しただけでは意味が汲み取れない主な理由は、深遠な知識・体験は決して言葉では伝達できず、むしろ一見難解で支離滅裂とも思える象徴のアンサンブルによってしか伝えることができないという事実に由来しています。この場合、象徴とは無意味なオカルト・パズルの断片ではなく、有機的、かつ変容力に富んだ「生きたエネルギー」として機能します。まず、イニシエーションの儀式のプロセスを通じて、これらの活動的な象徴群が志願者の意識と無意識に提示され、印象付けられます。当初、無意味で混沌としたこれら埋め込まれた象徴群は、少しずつではありますが、志願者の無意識の中で消化され、醸成され、やがて新しい叡智の直感的理解の源泉としてその存在意義を増大させていきます。


少し話が脱線するかもしれませんが、イニシエーションにおける現実的な問題は、儀式を行う神殿の準備です。イニシエーションを行うためには、まず一定のスペースを確保し、そこに団固有の装飾品と道具、象徴を配置しなければなりません ( つまり、それなりにお金がかかるということでもあります )。O.T.O.で行われるイニシエーションもこの現実的な問題との戦いの上に成立しています。そしてそれは団固有のイニシエーション・システムを有するあらゆる魔術団体に共通した現実的問題でもあります。思えば、日本では「黄金の夜明け」団のような複雑な儀式装置が必要とされる集団儀式魔術スタイルはまったく流行らなかったといえます。魔術ファンたちは専ら書籍やWebを通じた懐古趣味的傍観に終始し、日本では「黄金の夜明け」団スタイルの集団儀式魔術 = イニシエーションが実行に移されることがありませんでした。ただ個人的に適用可能な五芒星儀礼六芒星儀礼がかろうじて「黄金の夜明け」流として実践されてきたに過ぎないのです。
日本での唯一の完全な例外は米国に本拠を置く、Fraternity of the Hidden Lightの日本支部ということになるでしょう。この日本支部は、正真正銘の達人に指導されており、また定期的な活動を継続している数少ない本格派です。その活動は、日本で唯一瞠目すべき「黄金の夜明け」流儀式魔術と西洋秘教伝統の画期的な展開といえます。



設立30周年を迎えたO.T.O. Japanは、今後どのような活動を行うのでしょうか? もちろん、継続したイニシエーションの場を提供し、アイオンの真意を伝え続けていくことがその活動の基底となるでしょう。『オズの書』に基づいた個の権利の確立とモラルの変革を意図しつつ、団員にはカバラや魔術、占星術、タロットなどの学習の場が定期的に用意されるでしょう。またセレマの原理に関心を持つ、未参入の志願者の皆さんには出会いと交流の場が提供されるでしょう。そして今、もっとも精力的で熱意あるニヒル・オアシスのマスター、姉妹Ravenは、皆さんのために素晴らしい企画を温めている最中です。


O.T.O.の理念、基本構造、目的と意義は、その団が時代と共にその形態を変化させていくであろう、ことを示唆しています。50年後のO.T.O.は現在の儀式をすべて撤廃し、違う形態、媒体で活動しているかもしれません。O.T.O.はA∴A∴とは異なり、不変の団ではありません。現在は、専らクロウリーが改変した位階の儀式を保持し、アイオンの教会を醸成しながら、小さな運動を続けています。私達の変化は、人間の真理の理解と実現によって深化させられることでしょう。

“人の他に神はなし
一. 人は己自身の法に従い生きる権利を有す
己の意志に従い生き、
己の意志のままに働き、
己の意志のままに遊び、
己の意志のままに休息し、
己が望む時と方法により死ぬ権利を有す” 『オズの書』


さて、己の意志に従い生きることが、実はどれほど難しいことか? 私達は、ときとして己の星の軌道すらも見失い、帰還の径を喪失してしまいます。私達の眼前に広がる永久の径は、ときに霧のように霞み、陽炎のように消失してしまいます。真の意志をあなたに告げる天使が、沈黙の聖堂に訪れ、騎士たるあなたたちを鼓舞することを祈りつつ。


Love is the law, love under will.