魔術学講座vol13 アレイスター・クロウリー 解体新書

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

イギリス帝国が絶頂期を迎えていたヴィクトリア朝後期の1898年11月、23歳の才気溢れるひとりの若者がロンドンにあった「黄金の夜明け」団イシス=ウラニア・テンプルで参入を果たしました。フラター・ペルドゥラボーと名乗る無名の新米魔術師アレイスター・クロウリー。彼はのちに魔術に関する膨大な著作を著し、20世紀最大の魔術師と称されると同時に、同時代人たちからは好奇の目でこう揶揄されていました。「世界最大悪人」「黒魔術師」「悪魔崇拝者」「獣666」。魔術実験のために麻薬を駆使し、性のエネルギーを魔術的に応用し、饗宴を繰り広げ、挙句の果てに破産し、自滅した退廃的異端主義者。クロウリーは、ある意味、表層的で偽善的な抑圧された道徳社会に住む民衆が投影したシャドーとの格闘を余儀なくされました。

彼は、プリマス・ブレザレンというキリスト原理主義の家庭で育ちました。閉塞的なカルト教団の硬直した聖書解釈の洗礼を受けた彼は、やがて自らの獣性を育み、「世紀末の獣666」の真の価値を悟ります。


「汝の意志するところをなせ、これぞ法のすべてとならん」「愛は法なり、意志の下の愛は」。1904年、28歳のクロウリーはエジプトのカイロで、彼の聖守護天使アイワスによって新時代の福音を授かります。『法の書』、あるいは『第220の書』とよばれるこの異端預言書は、現在までに多様な版が刊行され、また世界中で翻訳されています。『法の書』は一読するとまさに悪魔の福音書と呼ぶにふさわしい背徳的な散文詩です。それは難解な魔術哲学とカバラの鍵に支配された解読不可能な暗号文書のような書物でした。クロウリーは、一見悪魔主義的なこの書物を、人生を賭して紐解き、人々に教示してまわりました。クロウリーの述べる「意志」とは内奥に眠る真の自己の神性を表す尊いロゴスであり、「愛」とは反発し、排斥し合うふたつの事象をひとつへと結びつける霊的・化学的公式の鍵となる概念でした。彼は、その主著『魔術 理論と実践』の中でこう宣言します。

 「悪魔など存在しない。それは拡散という名の自らの無知と混乱に陥った「黒い兄弟たち」が「統一」を暗示するものとして考案した不誠実な名前にすぎない。悪魔が統一を獲得したならば、その存在は神となるだろう。」


クロウリーにとって、民衆が悪魔として排斥する存在こそがまさに神であり、逆に神として崇め奉る存在こそが排斥すべき不毛なる虚像「悪魔」だったのです。「黒い兄弟たち」とは、神の本質を理解することなく、自我の欲望によって深淵に落下する堕落した魔術師を指すクロウリーの専門用語です。そう、彼はこの逆説的神学を一生追い求めて死んでいきました。そして彼の「意志の芸術」セレマ主義の本質は、彼が率いていた魔術結社「東方聖堂騎士団」よってこう定義されています。”Deus est Homo Homo est Deus”、その意味は「神は人なり 人は神なり」です。なぜならば、「人」としての主体なきところに客体としての「神」は存在し得ないからであり、また「人」には秘められた「創造」という名の真のギフトと霊智が宿っているからです。人間とは霊的に完全に平等な神性の光であり、卓越した霊智のマスターでもあります。この事実は『法の書』によってこう伝えられています。「すべての男とすべての女は星である」。永久に光を放出し、自らの軌道を進む完全性の種子、それこそがクロウリーが捉えた真の人間観です。

7月16日の祝日、銀座のBAR十誡で、聖ヴァニラ学園の魔術学講座vol13「アレイスター・クロウリー解体新書」が行われます。本イベントにおける私の役目は、クロウリーの側にたった観測地点からアレイスター・クロウリーを解体し、考察することです。彼が述べる神と悪魔の関係、彼が追い求めた非物質的知性体との接触、儀式とカバラ、「大作業」と楽しい修行生活!? 私にしか奏でることができない聖クロウリーへの鎮魂歌、皆様とお会いできることを楽しみにしています。

https://www.vanilla-gakuen.com/kouza/1807/

Love is the law, love under will.