V.V.V.V.V.

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


“ 時折『旅人たち』が砂漠を横切る。彼らは『大いなる海』からやってきて、そしてまた『大いなる海』に向かうのだ。
彼らは進む度に水をこぼす。いつか彼らは砂漠に水を撒くだろう。花が咲くまで。
見よ!5つの『駱駝』の足跡を!V.V.V.V.V. ”
『虚言の書』 42章


1900年1月15日、パリのアハトゥール・テンプルNo7.でアデプタス・マイナー位階に参入した際にアレイスター・クロウリーが選択した内陣の魔法名は「Christeos Lucifitias」でした。この魔法名はエノク語を使って命名されており、その意味は「光あれ」です。この魔法名は面白いことに二つの相反する神の名前を合体させたものです。そう、「キリスト」と「ルシファー」です。ただし少し補足が必要でしょう。「キリスト」は、ギリシャ語の「クリストス」に由来しており、この言葉は確かに「キリスト」の語源ではありますが、その本来の意味は「油を注がれたもの」です。ヘブライ語の「メシア」は、後にギリシャ語に変換され「クリストス」となったのです。即ち、「救世主」とは「油を注がれたもの」なのです。またイエス・キリストは「救世主イエス」という意味になります。ルシファーは、「光を運ぶもの」であり、クロウリーはそこにある種の崇敬の念を抱きつつ、その存在を肯定していました。この魔法名にはクロウリー独特のアイロニーが含まれていたと考えるべきです。なんといっても彼は、イエス・キリストというパウロの妄想が生んだ捏造された神の像を破壊したくてたまらなかったのですから。彼は伝説のイエス・キリストを偽りの救世主と見做していました。「頭上に聖油を注がれた光の運び手」クロウリーは、やがて名状し難い方法によって彼の救世主と邂逅します。



「子供の時代」の守護神ホルスの秘儀参入を扱った歴史的著作の作者、J.ダニエル・ガンサーは、アデプタス・マイナーであった兄弟Christeos Lucifitias、アレイスター・クロウリーが獲得した聖守護天使の神聖な名前が「V.V.V.V.V.」であったと述べています。2011年9月の来日公演『新しいアイオンにおける救世主の教義』の中で、ガンサーは印象深い話を披露してくれました。ガンサーは、クロウリーが彼の聖守護天使の名前を明かすつもりは全くなかった、と語ったのです。そしてガンサーは最初の著作『子供の時代の秘儀参入 (Initiation in the Aeon of the Child)』の中で、クロウリーは「V.V.V.V.V.」の筆記者に過ぎなかったと述べたのです。クロウリーはこの謎の救世主「V.V.V.V.V.」に関して『虚言の書』の41章でこう書いています。


“ V.V.V.V.V.において大いなる作業は完璧である。
それゆえ V.V.V.V.V.に関わらぬものは何もない。
彼が明示するあらゆるものに、彼が明示すべく選んだものにも、
『兄弟ペルデュラボー』の同僚を通して『A∴A∴ の作業への権威の印』の
『彼』の指輪を与えよう。”


それでも彼は「V.V.V.V.V.」の秘密を明かすつもりはありませんでした。「V.V.V.V.V.」はクロウリーが受け取った13種類のA級刊行物、つまり「セレマの聖なる書物」に13回登場します。その一例を見てみましょう。「光の門の書」から引用します。


“ 私は、無限の宇宙の深淵で回転する小さく黒い宝珠を見た。それは無数の巨大なるものの間では些細なものであり、無数の輝かしいものの間では暗きものだ。
自分自身の中の全ての巨大なものと些細なもの、全ての光り輝くものと暗きものを理解する私は、私自身の言い様のない壮麗な輝きを和らげ、V.V.V.V.V.を私の光の一条として、あの小さな黒き宝珠への使者として、送り出した。
そして V.V.V.V.V.は言葉を運び、語りて曰く、地上の男と女、君たちに、私は『時代を超えた時代』から、君たちの想像を超える『空間』からやってきて、この言葉をもたらそう。
しかし彼らには聞こえなかった。彼らは受け取る用意が出来ていなかったからだ。”



クロウリーの弟子達や追従者達が混乱せざるを得なかったのは、彼が自身の8=3位階の魔法名として「V.V.V.V.V.」を選択したからです。クロウリーは、自身の魔法名V.V.V.V.V.は「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」の頭文字であると述べました。その意味は「『真実』の力によりて私は生ける間に『宇宙』を征服せん」です。クロウリーは何故、彼の聖守護天使と同じ頭文字の魔法名を名乗ることになったのでしょうか? それは『霊視と幻聴』のアエティールの作業で彼自身が深淵を越えたと認識していたことに関連していると考えるべきでしょう。ただし、クロウリーの魔法名「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」は、あくまでも彼の個的なマジカル・モットーに過ぎません。ガンサーは「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」と彼の聖守護天使「V.V.V.V.V.」は全く独立した存在であると明言しています。いずれにしてもクロウリー死後の研究者たちが、この「Vi Veri Vniversum Vivus Vici」と「V.V.V.V.V.」を文脈上区別できなかったことは明白です。少なくともダンサーが最初の本を出版するまでは。

クロウリーは、「V.V.V.V.V.」をどう捉えていたのでしょうか? 「セレマの聖なる書物」以外にもその痕跡を辿ることは可能です。クロウリーは、若かりし日々に大いに触発されたフォン・エッカルトハウゼンの「聖域の上の雲」の一文を書き換え、A∴A∴のために『第33の書』を執筆しました。この「聖域の上の雲」こそは、クロウリーが「隠れたソサエティ」を探し当てようと志したモチベーションとなった本です。エッカルトハウゼンのオリジナルの文章にはこう書かれています。


“ このソサエティは光を多く受け入れることのできる人々、即ち『選ばれた者たち』の共同体なのだ。『選ばれた者たち』は真実の元に統一され、彼らの『長』は『世界の光』自身たる、イエス・キリスト、光の中で『油を注がれた者』、人類の唯一の調停者、『道』、『真実』、『命』...なのである ”


クロウリーはエッカルトハウゼンの文章を保ちつつ、言葉を置き換えました。


“ このソサエティは光を多く受け入れることのできる人々の共同体なのだ。彼らは真実の元に統一され、彼らの『長』は『世界の光』自身たる、V.V.V.V.V.、光の中で『油を注がれた者』、人類の唯一の導師、『道』、『真実』、『命』...なのである ”


クロウリーは選民たる『選ばれた者たち』を削除し、『彼ら』たる「男と女」( =「星」) に入れ替えました。そして「イエス・キリスト」を「V.V.V.V.V.」に置換しました。
クロウリーは、本当に世界の救世主が「V.V.V.V.V.」だと信じていたのでしょうか? だとしたら、彼は自らの妄想によって破滅してしまうのでは、と皆さんはお考えでしょう。さて繰り返しますがクロウリー = 兄弟Christeos Lucifitiasは彼の救世主 / 聖守護天使が「V.V.V.V.V.」であることを生涯秘密にしていたのです。

彼は血迷っていたのでしょうか? そうではありません。とにかく彼は、「V.V.V.V.V.」が世界の「救世主」であると公的に断定することを頑なに避け続けたのです。彼は、< そのように存在していた > かも知れない「イエス・キリスト」という偶像が世界中に巻き起こした一大センセーションをあざ笑っていました。なによりも「イエス・キリスト」こそが、非科学的な妄想の産物であると彼は確信していたのです。死者を蘇らすどころか、自身もゾンビのように肉体ごと復活した「イエス・キリスト」、それは西洋社会を支配した偶像の呪術として今なお世界に君臨しています。クロウリーは考えました。ご都合主義によって脚色にまみれた「救世主キリスト」に比べれば、私にとって「V.V.V.V.V.」ほど確たる救世主はいないと。驚くべきことに「V.V.V.V.V.」は、時折、兄弟Christeos Lucifitiasの意識を乗っ取ることがありました。これは彼にとっても半ば信じ難い現象でした。

クロウリーが「V.V.V.V.V.」に意識を乗っ取られると、それは自動書記という形で彼に様々な叡智 = 書物を授けました。その文体は、難解なシンボムに溢れた抒情的な散文詩で構成されていました。クロウリーは、これらの書物が決して彼自身の意図によって書かれたものではないと断言しています。彼が一種の恍惚状態、正確にはサマディーの最中に、彼を媒体として伝えられた聖守護天使の言葉の数々がそれです。そう、クロウリーは筆記者に徹したのです。それらの聖なる書物はA∴A∴のA級刊行物と定められ、A∴A∴の魔術師達の研鑽の対象となったのです。

1907年のクロウリーの日記によれば、同年10月30日に『第7の書』(Liber Liberi vel Lapidis Lazuli)を一気に記述しています。『法の書』よりも若干長い5,700語の書物をたった二時間半で一気に書き上げるのです。そして『第7の書』を書き記した直後、A∴A∴のプロベイショナーの為の研究書物であり、クロウリーが受け取った書物の中でも、その美しさにおいて際立つ『第65の書』( Liber Cordis Cincti Serpente )の記述が始まります。『第7の書』の場合とは異なり、単独あるいは複数の章毎に日を分けてクロウリーに伝えられています。続いて11月25日には『第66の書』(Liber Stellae Rubeae)を、12月5,6日には『第231の書』(Liber Arcanorum)を、14日には同書の22種のシジルを、また12日から14日の短期間に『第10の書』(Liber Porta Lucis)、『第400の書』(Liber TAU vel Kabbalae Trium Literarum)、『第27の書』(Liber Trigrammaton)を連続して受け取ることになるのです。正に怒涛の霊的攻勢が「V.V.V.V.V.」からクロウリーに降り注いだことになります。

冷静になって考えてみて下さい。性行為なく処女から生まれ、病人を癒し、死者を蘇生させ、水を葡萄酒に変え、パン五個と魚二尾で5,000人を満腹にさせ、人類の罪を背負って十字架上で朽ち果てたにも関わらず、三日後には肉体ごと復活した救世主のお話を。世界は「救世主キリスト」の愛によって打ちのめされ、ひれ伏し、その実在を疑う事すらなかったのです。キリスト教原理主義の家庭で抑圧と共に育ったクロウリーは幸運でした。彼は「救世主キリスト」のお伽噺を破壊し、人類を霊的昏睡状態から救い出そうと本気で思ったのです。やがて彼は西洋の伝統のみならず、ヨガを学び、仏教を学び、易経をまなび、西洋と東洋の秘儀をバランス良く配置するA∴A∴を設立しました。そしてそれは「V.V.V.V.V.」の意志でもありました。A∴A∴設立の時期に合わせ「V.V.V.V.V.」はその殆どの「聖なる書物」をクロウリーに授け、それらの書物をA∴A∴の中核に据えさせたのです。この場合、兄弟Christeos Lucifitiasは単なる書記にしか過ぎませんでした。

救世主「V.V.V.V.V.」が、私達にもたらしたものとは何でしょうか? その答えは非常に簡単です。それは人間が人生を賭けて挑む「大作業」の径です。ガンサーが「回帰の大いなる径」と呼んだ秘儀参入の道程、即ち「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」の径です。「大作業」は、あなたの外側に存在する偽りの神のイメージと迷信を拒絶し、粉砕します。人類が一神教の呪縛に従う奴隷である限り、アレイスター・クロウリーは悪魔の権化以外の何ものでもありません。多くの人達にとってクロウリーは偽預言者にして詐欺師であり続けます。そんな人達にとって、彼の言葉は世迷言であり、信じるに値しない空想なのです。

クロウリーの思いを代弁したメアリ・デスティ・スタージスの次の言葉は印象深いものです。

「他の者はこう述べる。「私を信じよ!」と。彼は「私を信じてはならぬ!」と述べる」

この言葉は、紛うことなきクロウリーの本心だと私は確信しています。彼は詐欺師、黒魔術師と非難されることを全く意に介していませんでした。もし彼が「私を信じよ!」と叫んだとしても、そこには常にクロウリー一流のユーモアが内包されていたことでしょう。彼は霊的自由を知らず、信仰をはき違え、多数派に倣う古き人々から嘲笑されることをむしろ喜んでいました。彼はきっとこう思っていたことでしょう。

時代が進めば自ずと全ては明らかになる、と。


Love is the law, love under will.