『門の書』を越えて

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.




合衆国の地方都市、テキサス州オースティンのバーグストロム国際空港に降り立ったのは2008年5月21日の深夜のことでした。そこに辿り着くまでの行程は、うんざりするようなフライトと空港での時間つぶしの連続でした。関西国際空港から、サンフランシスコ国際空港までのフライトが約9時間、そこからデンバーを経由してオースティンへと向かう機内で、私は孤独に『第65の書 蛇を帯びた心臓の書』を読みふけりました。この美しくも抒情的な散文詩は、クロウリーがV.V.V.V.V.から受け取った一連の『聖なる書物』の中でもひときわ神秘的、かつ魅惑的な書です。さらに私は、もう一つの書を熱心に、まるで瞑想するかのように読みふけっていました。クロウリーがA∴A∴のニオファイト1=10用に書き下ろした自己参入儀式『ピラミッドの書』です。20時間近い移動の旅は、私の心身に疲労と眠気をもたらしていました。しかし、私の心は反面、押さえようもない興奮で満たされていました。そう、私はA∴A∴のニオファイト儀礼『門の書』を受けるためにオースティンを目指していたのです。

思い返せば、本格的な西洋の魔術体系 (アレイスター・クロウリー黄金の夜明け団カバラ、儀式とヨガ) と邂逅したとき、私の心を魅了したものは、クロウリーが提唱した「科学」にして「アート」としてのMagickの可能性でした。ふと、私はずっと忘れていたものに再び巡り合ったかのような異常な興奮を覚えました。そこには、私を鼓舞する何かがありました。私は、自分の不安定なエネルギーの照準を再び絞り、注ぎ込む魔法の宝箱を手に入れたのです。当初、私が影響を受けた本は、なんといってもクロウリーの『第4の書』です。日本では、膨大な『第4の書』の第1部から3部までが翻訳されていたのですが、いわばそれらの本が、私を無謀なクロウリーの魔術哲学の探究へと駆り立てた原因でした。クロウリーが設立した魔術団体A∴A∴は、その位階制度を「黄金の夜明け」団から借用しているとはいうものの、そのカリキュラムは大幅に変更されていました。読者がA∴A∴に挑む意志を削がれる要因はいくつもあります。例えばクロウリーは、2=9 ジェレイターが3=8プラクティカスに昇進するための試験についてこう述べています。昇進を望む者は、ヨガの姿勢をマスターしたことを証明するために、水がなみなみとつがれたお椀を頭に載せて1時間耐える必要がある、と。もし水を一滴でもこぼせば、彼は試験に落第します。さらに彼は『第3の書』に挑む魔術師は、失敗する度に、腕を剃刀で傷付けよ、と命じています。このような過酷な条件が、A∴A∴という壁に挑もうとする志願者達の意志を削いでしまうのです。このような理不尽な条件をクロウリーは、真剣に考えていたのでしょうか? お椀の試験は、なんといっても個人の頭の形状に依存しています。頭頂が、平らではなくとんがっている人は、なんとも不利です! そして魔術師は、曲芸師を目指すわけではありません。確かにそうです! クロウリーが述べる試験は、なんともナンセンスなのです。

私がO.T.O.に入団したての頃のことです。私は、団の優秀な先輩魔術師に数々の質問をぶつけ、魔術師としての身の振り方を逐一相談していました。クロウリーの儀式の実際の動き、象徴の背後にある意味、曖昧なクロウリーの魔術用語、カバラと儀式の関係などなど。先輩魔術師は、e-mailを通じてほぼ全ての質問に親切に答えてくれました。そして、彼の存在によって、O.T.O.とMagickは、私にとってより身近な存在になっていきました。ある日、私は『第3の書』の剃刀の罰について彼に質問しました。もし、私が『第3の書』の修行にトライしたとしても、剃刀で二の腕を傷付けることは躊躇する、と。彼の回答は明快でした。「そういった馬鹿げた指導に従ってはならない。」 先輩魔術師は、実に常識的な人物で、また魔術とカバラの傑出したエキスパートでもありました。私は、後に彼の意見が正しかったことを理解しました。

いずれにしても、私はA∴A∴は手に負えない難関として傍観してきました。そして、A∴A∴という魔術団体は、厳密には世界に実在していないのではないか? と考えるようになりました。もちろん、90年代にもA∴A∴を標榜するグループは複数存在していました。その筆頭は、姉妹メラルが率いていた「ジェーン・ウルフの血統」です。ジェーン・ウルフはクロウリーの「セレマの僧院」に滞在したこともある有名な魔術師で、姉妹メラルはクロウリーと交流を保ちながら、ジェーン・ウルフに直接の指導を受けた人物です。私は、彼女が刊行している魔術雑誌 (にして「セレマ大学」の機関誌)『In The Continuum』を全号とりよせ、また姉妹メラルにA∴A∴への入団を乞いました。恐らく、彼女は私のような問い合わせを世界中からたくさん受け取っていたに違いありません。彼女は、A∴A∴を直接志願するのではなく、まずは彼女が運営する「セレマ大学」の教程を受けるか、もっとじっくりと勉強するように、と私を諭しました。当時の私は、もちろん、この回答にがっかりしました。とはいえ、彼女は正しかったのです。私は、後に彼女に感謝するようになりました。

2000年以降、状況は少しずつ変化していきます。私は、私が邁進すべき道に対して、極めて正直でなければならない、と考えるようになっていました。魔術の世界には、クロウリーよりももっとお行儀の良い良識的な流派もあれば、もっと極端なレフト・ハンド・パスもあります。しかし、私は日々の魔術作業の中で、明らかに「なにものか」を抑圧している自分に気が付いたのです。それは、ある意味気持ち悪い症状でした。そしてもうA∴A∴の門を叩くことに躊躇することはやめようと閃いたのです。例え、その入団試験が難しかろうとカリキュラムが過酷であろうと、この霊的フラストレーションを昇華する方法は、A∴A∴しかないと感じ始めていたということです。私は改めて本棚から『春秋分点 第4巻1号』を取り出しました。それは1990代の半ばになって、とあるA∴A∴の流派がサミュエル・ワイザー社から刊行した出版物でした。その時になって初めて、私はその本と本気で向き合ったと言えます。なによりもまず、その本にはA∴A∴のプロベイショナーになるための試験問題 (過去問!) が含まれていました。さらにニオファイトがジェレイターに昇進するための「霊視の試験」も含まれていました。クロウリー直筆のイラスト入り「ビラミッドの書」、A∴A∴の外陣の法衣のデザイン、印象深いフラー大佐の魔術的絵画、そしてクロウリーによる『第65の書 蛇を帯びた心臓の書』の解説も含まれていました。そして巻末にはA∴A∴の連絡先が記載されていたのです。

当時、私は一つの噂に心を躍らせていました。「A∴A∴にはO.T.O.の首領をも凌駕する凄腕の魔術師がいて、彼は世界一クロウリーに詳しく、また卓越した真の達人である」という噂です。私はその達人の名前をはっきりとは知りませんでした。しかし、やがて件の達人はジェームス・ワッシャーマンが編纂した『アレイスター・クロウリーと魔法日記の実践』に序文を書いたガンサーという人物だ、ということが判りました。その本が出版されたのは2006年のことですが、正にそれは私がA∴A∴に連絡をとった年でした。私は、問題のたった4ページの序文を何回も読みふけりました。さらにワッシャーマンは、その本の序文でガンサーが、『内なる旅路』という画期的な著作を用意していることを明かしていました。その本は、私がA∴A∴のニオファイトに参入した翌年である2009年に『子供のアイオンの秘儀参入』という題名で出版されました。この画期的な著作こそが、私の人生の径を決定付けた忘れることのできない本になるのです。

A∴A∴に連絡をとった私に、団のプロベイショナーになるための試験問題が送付されてきました。それはとても「やりがい」のある試験でした。私は、私の持ち得る限りの魔術の知識を総動員してその回答をタイプしました。試験の出来はそれなりに満足のいくものであったものの、私は落第しないかどうかヒヤヒヤしていました。数か月後、団から私をプロベイショナーとして受け入れるという嬉しい返信が届きました。団のプロベイショナーは「0=0」位階と呼ばれ、「生命の樹」のセフィラに未だ対応しない予備的位階です。プロベイショナーの努めは、毎日何らかの魔術作業を行い、最低1年間以上、その結果を魔術日記に記録することです。プロベイショナーには、クロウリーの『Eの書』や『Oの書』の実践が推奨されますが、基本的に彼は自由に自身のカリキュラムを設定することが可能です。そして魔術の日記は、毎月指導者へと送ることが義務付けられます。

A∴A∴にはロッジやテンプルという概念が存在しないため、私が団で直接知り得るメンバーは唯一、私の指導者だけでした。当初、団が私にアサインした指導者は某国に住む先輩魔術師でした。私は正式なプロベイショナーになるため、彼と会わなければなりませんでした。そして彼に正式な「受け入れ」を行ってもらわない限り、私はプロベイショナーとして修行を開始することができないのです。指導者は私にこう手紙を書いてきました。「君は、私と会うためにXXXXに来る必要がある。もしくは将来、私が日本に行き、受け入れを行おう」。彼が指定した都市は、もちろん日本から遠く離れた異国の地でした(とはいえ、彼は後に本当に来日しました。しかも1回や2回ではありません)。私はしばらく待つしかない、と決め日々を送りました。そんなある日、私のもとにA∴A∴から連絡が入りました。曰く、「近く団のメンバーが日本に行くから、彼に受け入れを行ってもらうように」とのこと。そこにはまだ一度も会ったことはないものの、私が過去何度も目にしたことのある有名な魔術師の名前が書かれていました。私は彼の手によって滞りなくプロベイショナーとして受け入れられました。私の指導者は、経験豊かで真摯なセレマイトでした。彼は、私にA∴A∴の訓練を指導し、また私の日記を添削してくれました。適切なコメントを与え、また適切に評価すると同時に、適切に批判してもくれました。この関係は現在まで途切れることなく続いています。

プロベイショナーの作業に没頭していた私のもとに、ある日1通のインビテーションが届きます。それは『門の書』への招待、即ちA∴A∴のニオファイトとして正式なメンバーになるために参入儀式を受けよ、というものでした。私はそのためにオースティンまで旅する必要がありました。私は迷うことなく、承諾の連絡を団に返信しました。参入儀式の準備のために私は指導者から指示された瞑想作業に没頭し、日々を過ごしました。それは私が長らく望んでやまなかったA∴A∴への正式な参入への序章でした。私は一人静かに心を落ち着け、団の作業を継続しました。プロベイショナーの訓練で既に培った定常的な作業の積み重ねによって、私はその準備作業を問題なくこなしていくことができました。


こうして私は、オースティンのバーグストロム国際空港に降り立ちました。私を出迎えに来てくれた二人の魔術師とテキサスのハイウェイの上で奇妙な体験をし、いずれにしても私は自身の隠遁の場でもある町はずれのモーテルに辿り着きました。そこはキャッスル・ロックにほど近い荒野の中にポツンと存在していました。翌朝、荷をほどくとともに、私は更なる準備作業に没頭しました。A∴A∴の『門の書』について書かれた、とある解説書によれば、その儀式は開始から完了まで1週間という時間を要します。それは正に隠遁と呼ぶべき、心静まるひとときでした。私は、過去この日記で『門の書』について、こう書いています。

「マルクトは、「生命の樹」の最下端にあり、霊と物質が渾然一体となり存立する<王国>であると同時に、我々が日々暮らす霊的・物質的宇宙の辺境でもあります。その象徴の一つは、意味深くも「門 (Gate)」であり、四分割されたマルクトの門、即ち「祈りの門」、「正義の門」、「死の影の門」、「涙の門」は『法の書』の第一章51節にこう描写されています。“一つの宮殿へと通じる門が四つある。その宮殿の床は銀と金より成る。瑠璃(ラピスラズリ)と碧玉(ジャスパー)があり、あらゆる珍しき香りに満たされ、ジャスミンと薔薇、そして死の紋章がある。彼を四つの門から順番に、もしくは同時に入らせ、宮殿の床の上に立たせよ。”クロウリーは『法の書』の解説の中で、この描写を特定のイニシエーションを表すものである事を示唆しています。そしてそのイニシエーションとは間違いなくA∴A∴のマルクト位階であるニオファイトのための集団参入儀礼「門の書」です。」



『門の書』が執り行われる神殿へと連れ去られる(!) 瞬間は不意にやってきました。私は、自分の準備が完璧に整っているかについて不安を覚えました。とはいえ、既に舞台の幕は上がっていたのです。いずれにしても、私はその名状し難き魔術の神殿へと連れ去られました。儀式は正に表現不可能な魔術的変成作業を私の心身にもたらしました。私は、自身が錬金術の第一物質となって、「変容」を召喚する触媒と混ぜ合わされたのです。私はこの体験が「聖守護天使のヴィジョン」と呼ばれる真の理由を理解しました。ダニエル・ガンサーは「聖守護天使のヴィジョン」を正しくもこう伝えています。

「聖守護天使のヴィジョンは、幻視やトランス状態とは何の関連性もない。それはネフェシュを無益で未制御なままの状態から、“固有の言葉”への注意深い状態へと変成させることである。その言葉は知られざるものであるが、確たるものであり、真の熱望の実証によって自明の理として宣言される。」 「ネフェシュの領域で生起した”聖守護天使のヴィジョン”よりイニシエーションの結果が生じる。変化の触媒、また同様に変成のプロセスそのものは探求者の無意識のうちに始まる。」
『子供のアイオンの秘儀参入』第六章


ところで、ガンサーが述べる「変化の触媒」、即ち変成を助長し、促進する「触媒」とは一体何を表しているのでしょうか? ガンサーは、この触媒を『新約聖書』の『黙示録』に登場する破滅の星 「苦よもぎ」 であると説明しています。『ヨハネの黙示録』にはこう預言されています。”第三の御使がラッパを吹き鳴らすと、苦よもぎというたいまつのように燃えている大きな星が落ちて、水の3分の1が苦くなり、そのため多くの人が死ぬ” 。
『門の書』では、この畏怖すべき災いの星が、志願者のいる神殿に降ってくるのです。そしてその忌むべき災厄の星は変成のための触媒になるのです。それは一体どういうことなのでしょうか? この 「苦よもぎ」 は、クロウリーの体系では逆五芒星によって表象されています。一般的にこれは悪魔主義者達の邪なシンボルの一つです。しかし、A∴A∴の「大いなる作業」の解釈では、この邪星は聖守護天使を表す比喩として登場します。錬金術の、そして「大いなる作業」の第一段階 「黒化」 は、現象として 「腐敗による解体、または破壊」 を参入者にもたらします。「苦よもぎ」 は、その意味において変成のための強力な触媒となります。そしてこの場合の破壊は、再生のための、浄化と啓発の前段階としての破壊に他なりません。これはまた<汝自身を知れ!>という勅命に他ならないのです。「聖守護天使のヴィジョン」は、前述のガンサーが述べるように天使に関するアストラル・ヴィジョンやトランスによる聖守護天使とのコミュニケーションを指すものではありません。「苦よもぎ>」に表象される聖守護天使が破壊力を伴って、ニオファイトのネフェシュ(動物魂)に降下し、魂の根底から変成作業を開始する現象、またその変性の過程そのものを指しています。

この体験は、いくら文字で説明しても無意味化かもしれません。「聖守護天使のヴィジョン」がもたらす変容のプロセスは、『門の書』の体験後、じわじわとニオファイトの無意識を侵食していきます。結果、ニオファイトはたいへん過酷な試練と直面し、喘ぐことになります。「聖守護天使のヴィジョン」という最初の変成作業は、聖守護天使による容赦ない破壊の作業だからです。この作業によって、ニオファイトの旧来の価値観は崩れ、新しく獲得した魔術師の <眼> と <視点> は天使の意志を反映するようになります。志願者と聖守護天使は共鳴し、愛をはぐくみより濃密な霊的交流が生じることになります。活性化された熱情は、その結果として 「聖なる婚礼」 を生起させ、「聖守護天使の知識と会話」のための強固な基盤 (イェソド) を形成していきます。「聖守護天使のヴィジョン」は、ニオファイトの意に反して強制的に発動され、ガンサーが述べる通り無意識に発芽します。そして、この試練によって、ニオファイトは世界を刷新することになります。あらゆる投影・投射によってエゴの周辺に形成された鏡面世界を破壊するのです。この鏡面世界は放置しておくとあらゆる執着と渇愛の原因となり、ニオファイトをして「大いなる作業」から逸脱させようと画策を続けるのです。そして、クロウリーが 「ネフェシュの試練」と呼んだ動物魂と理性の葛藤に呑み込まれ苦悩することになります。魔術師が大いなる作業において失敗する多くの原因は、この「聖守護天使のヴィジョン」の試練の敗北に起因しているといっても過言ではありません。


さて、参入儀式を受けた後、この変容と苦悩、無意識と自我の格闘が本当に私の身の上に、(文字通り!) 降りかかってきたことは言うまでもありません。いまさらながら、それは本当の意味での自分との過酷な闘いでした。私の魔術修行の内でもっとも苦しい時期が、『門の書』の参入後に続いた数年間だったのです。ユング心理学における「シャドー」に相当する「邪悪なるペルソナ」が、ネフェシュに反映されると、それはそのものの本質を破壊し、異質な虚像を産み出します。ネフェシュはそれらの形態を曲解し、破壊し続けることによって永久に存在しようとするのです。動物魂たるネフェシュに災厄の星 「苦よもぎ」として降下する聖守護天使は、これら人間が無限に紡ぎだす虚像と曲解のメカニズムそのものにメスを入れます。それは連続した「シャドー」との戦いであり、ニオファイトを疲労困憊させます。しかし、その戦いに勝利したとき、それまで曇っていた魂に微かな光が輝き始めます。この瞬間、ニオファイトは、この序章に過ぎない最初の試練が、(ある程度) 克服されたことを実感するのです。肉体を有したまま、この試練を完全に克服することは不可能です。とはいえ、「大いなる作業」のこの第一の試練を踏破することによってのみ、続く試練を継続することが可能となります。このことは、多くの志願者がニオファイトよりも上の位階に進めず、そこで挫折してしまうことを意味しています。聖守護天使が一体なにものであるのかは誰にもわかりません。ただ、私はこの自分自身の体験を通じて、A∴A∴が紛うことなき「天使の団」であることを実感しました。それ以来、私はA∴A∴、『聖なる書物』、聖守護天使に対して一切の疑いを持つことを止めてしまいました。私には、それしか選択肢がなかったのです。あまりにも熾烈な試練が、団が予言した通りに私に襲いかかったからです。その参入儀式は、多くの魔術団体が得意とする象徴とプシュケの交わり以上の、よりリアルで不可避な変容体験を私の人生に投げかけたのです。それは私にとって、このうえもなく現実的な体験でした。

A∴A∴が過酷であるのは、一時間アーサナを保ったままプラーナヤーマを続ける必要があるからではなく、また『聖なる書物』を一語一句暗記して、試験を受けなければならないからでもありません。「光の体」に意識の星を移して、アストラル界をあまねく探索しなければならないからでもなく、そして位階の魔法武器を独力で作成しなければならないからでもありません。それは人生に逃れられない過酷な試練を与えるからです。『門の書』の体験を通じて私はそのことを実感しました。そして2009年に出版されたガンサーの一冊目の本を読みました。ガンサーは、クロウリーが才能ある人物には違いないが、単なる救世主の筆記者に過ぎない、と述べました。その記述を読んだ私は、その夜、一睡もできませんでした。私には、それが事実であることが実感できたからです。その事実を改めて突き付けられた私は、それでも大きなショックを受けのです。そして私は、真の意味でA∴A∴を設立した当事者はクロウリーではないと悟ったのです。私は、『門の書』を深く研究し、後にその成果を論文としてまとめあげました。

オースティンでの体験は、私の人生における一つのターニング・ポイントでした。『門の書』の参入を終えた私は、荒野のモーテルを引き払い、オースティンのダウンタウンに繰り出しました。テキサスの容赦ない太陽は、私の皮膚に鋭く突き刺さります。しかし、私は瞬間的に驚異的な解放感に満たされていました。ただその瞬間は、いずれ訪れる過酷な試練の前の一瞬の安らぎにしか過ぎませんでした。私は続く数年間、この過酷な試練のただ中に放り込まれたのです。私は、自分の不完全さ、弱さと直面し、もだえながら試練を克服すべく、ただただ奮闘したのです。その奮闘が報われたとき、私はより自由に飛翔する為の不可視の翼を手に入れたかの如く、そっと自分の胸を撫で下ろしました。

私の「大いなる帰還の径」の内なる旅は、これからも生涯続いていくことでしょう。


Love is the law, love under will.