The Path in Eternity完了報告

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


オーストラリアのグランド・マスター、兄弟Shivaをお迎えしての「The Path in Eternity」は無事終了しました。彼の講義は、彼が長い年月をかけて取り組んだ研鑽と献身の賜物であって、正直、魔術にあまり詳しくない方にとっては、とても難解なものであったかも知れません。そこで、簡単に講義を振り返りつつ、当日参加された皆さんの為に、若干の解説を書かせていただこうと思います。


『聖なる団に志願して』

50頁、三時間半超えのこの講義は、A∴A∴とO.T.O.の現在進行形の関連性に焦点を合わせた重厚な講義でした。同名の講義は、2011年9月にも実施されました。しかし、2015年度版の講義は、2011年版に対して大幅な改定が加えられており、全く別物の講義といっても過言ではありませんでした。兄弟Shivaは、まず我々が知り得る歴史上に顕現したフェニックスの蘇生の秘密から語り始めました。600年にも亘る主たる魔術の潮流と300年の副次的潮流の中に垣間見られる不可思議なリンクは、遠大なるフェニックスの回帰として語られました。ヤコブス・バーガンダス・モレンシス(ジャック・ド・モレー)の殉職の600年後に行われた悪名高き「パリ作業」。クロウリーとその弟子ノイバーグによって取り組まれた一連の魔術作業は、蘇生した現代の騎士団の復活の雄叫びでもありました。クロウリーは、続く1915年のある魔術作業に於いて、春秋分点の言葉を受け取ります。その言葉こそが、「Duplex」であり、それはA∴A∴とO.T.O.の神秘なる結婚を示唆する言葉でした。現在では「Duplexity 二重性」として、我々に知られることになった両団の相互関連性の魔術的、且つ象徴学的考察を示す言葉です。兄弟Shivaは、現在Duplexityの最も前衛的な研究家であり、そのジャンルの世界的権威です。オーストラリアは勿論、アメリカ、イタリア、そしてここ日本で、二重性に主眼を置いた連続講義を開催しています。彼の魔術的知識の根幹として、二重性の神秘が縦横無尽に語られ、その奥深い教義は、世界規模で受け入れられつつあります。彼は、TAOに於ける太極図、ユング心理学ニールス・ボーアの相補性理論を駆使しながら、遠大なる象徴の旅をリードします。

1919年にデトロイトで刊行された「春秋分点」第三巻一号、所謂「青のイクイノックス」は、クロウリーが試みた二重性の確かな証左となっています。重要な点は、なぜA∴A∴という一つの団だけでは不十分だったのか? なぜO.T.O.は、メイガスのロゴスの乗り物としてロッジを必要としたのか? クロウリーが改変したO.T.O.の古いメイソニック儀礼は、なぜ忘却の彼方へと葬られることになったのか? それは決してクロウリーが独断的に、恣意的に決定したことではありません。その必然的流れは、一体誰によって、またどのようにして作られたのでしょうか? このことに関しては、既にダニエル・ガンサーが多くの示唆を与えています。兄弟Shivaの講義は、この深遠なる教義の影響の下、更なる両団の関係性について切り込んでいます。

この講義の白眉は、BAPHOMETの正体、即ち時にカドケウスを保持する「獅子頭の神」への言及です。「父ミトラ」を表すBAPHOMIThRの数値が、現代に息づく新しい教会の礎であること、「獅子と蛇」の結合の意味、「8と3の結合」の真意、これらは「グノーシスのミサ」の秘密を解く「神秘の神秘」を形成します。兄弟Shivaは、BAPHOMETの数値から獣666 = V.V.V.V.V.の数値を導き出します。これらの一見難解な知識群は、長年に亘る研究を有する課題です。

彼は語ります。O.T.O.は、魔術とヨーガを教えるには適していないと。O.T.O.は、明らかにA∴A∴が保有していない、ある要素を強調します。その径は、イニシエーションによる集団の教育と、新しい「教会」の建立に献身する径です。一方、A∴A∴は、魔術とヨーガが十全、且つ体系的に教えられる魔術と神秘主義の学舎です。この二者は、コインの表と裏であり、その二重性こそがDuplexityです。この講義を理解するには、未翻訳のクロウリーの著作群を読み、またダニエル・ガンサーのAeonic Psychology (兄弟Shivaの造語)を理解していることが前提となります。この講義について、兄弟Shivaは、日本に於ける代弁者として私を指名しました。また近い内に、これらの遠大なる径を皆さんと共に語り合える機会を設けたいと思います。


『既知および未知のあらゆるものの隠された泉』

O.T.O.の中核的儀式である「グノーシスのミサ」への解説は、しかしながらこれまで語られることのなかった特別な視座で語られました。そうDulexityです。「グノーシスのミサ」は、O.T.O.の公的な儀式です。しかし、そこには「大作業 Great Work」の大いなる叡智が脈動していることが今回明らかになりました。「グノーシスのミサ」を紐解く鍵は、クロウリーが「愛の完全な数学的表現」と呼んだ「テクトラグラマトンの術式」です。処女として入場した女司祭は、やがて祭壇に於いて、大いなる母となります。司祭の役割は、処女との婚礼により、娘を母の玉座へと上昇させることです。東に設置されたヴェイルは「深淵」の象徴であり、やがて司祭も象徴的に深淵を超え、不可視の存在となります。「グノーシスのミサ」に於ける「テトラグラマトン」の対応は、この他にも多岐に渡り、それこそ長年の研究が必要とされます。

兄弟Shivaは、「グノーシスのミサ」を私達の啓明と参入の公的礼拝であり、O.T.O.の神学による解放の祝祭であると述べます。また新たな神学による人間の主体性の発現は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人の運命の開示へと参加者を導きます。そして、聖化された秘蹟を摂取する時、正に「聖人達との霊的交流」が実現します。

グノーシスのミサ」の神殿は、正しく「生命の樹」そのものです。クロウリーの意図は、司祭と女司祭が織りなす恍惚の祝祭を、確たる魔術のフォーミュラで定式化することにありました。兄弟Shivaは、更に四元素とO.T.O.の初期の四位階を対応させ、また「ペンタグラマトン 聖五文字」とスフィンクスの対応にまで言及します。現在のアイオンの「聖五文字」の教義は少なからず難解で奥深い象徴になっていますが、ダニエル・ガンサーの『天使と深淵』の第三章という最良の解説がありますので、今回の講義に参加した皆さんは、是非、手に取って読んでみて下さい。

今回の講義での類まれなる指摘は、「グノーシスのミサ」の参加者達が、「秘蹟」(光のケーキと葡萄酒)を摂取している間中、司祭が不動のままうずくまる理由です。彼はフードで覆われ、石のように静寂で沈黙したまま献身の為に跪きます。彼は正しくNEMO (その意味はNo Man) であって、深淵を超えた「ピラミッドの都市」に於いて沈黙に埋没する「人ならぬもの」です。従って、そこには何者も存在していないのです。今回の兄弟Shivaの「グノーシスのミサ」の解説は、間違いなく最も示唆に富むDuplexityの研究成果の一つです。


私の講義『社会的科学的啓明主義』は、端的に述べると、O.T.O.の魔術の本質への考察です。その為に、私はO.T.O.に於ける「三つの真の位階」をタローの札を用いて解釈してみました。そう、私達の魔術の本質は「創造」です。そして「創造」という名の魔術は、クロウリーが様々なオブラートに包みながらも懸命に伝えようとしたものです。「グノーシスのミサ」はその好例です。この講義で、私は『アレフの書』の86章「魔術の完全術式」を引用した後、こう述べました。

“これがO.T.O.に於ける魔術作業です! 私達の魔術とは「創造」であり、それは神だけの特別な技能でありません。「神は人なり、人は神なり」、これこそが私達の「聖なる団」のモットーです。 あなたの位階が然程高くなくても尻込みする必要はありません。あなたの「意志」に従い、この「創造」の作業を執り行うのです。魔術とは、あなたの「意志」に従い変化を引き起こす「科学」にして「芸術」なのですから。”

次なる魔術イベントが既に私の脳裏の片隅にあります。では、また皆様とお会いできる日を楽しみにしております!

Love is the law, love under will.