Initiation in the AEon of the Child 6

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

“わが書のこれら全ての古き文字は正しい。しかしTzaddiは星にあらず。
これもまた秘密である。わが預言者はそれを賢者らに啓示するであろう。”
              『法の書』第一章 57節

Guntherの_Initiation in the Aeon of the Child_の第五章「Christeos Luciftias」は、第八章「Wormwood」と並んでもっとも難解な章になっています。それ故に、その内容の全体像を掴むためには、特に二つの要素について解説を加えなければなりません。一つは「ツァダイは星にあらず」の検証、そしてもう一つはGuntherが<新アイオンの救世主>と定義したマジスターV.V.V.V.V.の教義です。このうち後者の理論はGuntherの著述の中で、もっとも刺激的で、また謎に満ちたものになっています。

「Christeos Luciftias」はアレイタスー・クロウリーの5=6小達人の魔法名ですが、その名前の中に「キリスト」と「ルシファー」の二つの名前を見出すことができることは興味深いことです。クロウリーが魔術の基礎、そしてカバラの基礎を学んだ「黄金の夜明け」団は、西洋魔術の理論と実践の骨子ともなる魔術的カバラ、そしてその万物照応の手法を幅広く定着させてことは皆さんご存知のことと思います。22枚のタロットの大アルカナには、それぞれ元素記号、惑星と黄道12宮のサインが整然と対応しています。この配列そのものは勿論「黄金の夜明け」団のカバラ的綜合の成果の一つです。さて、大アルカナに占星術のサインを一つずつ対応させていく過程において、カードの性質と黄道12宮のサインがうまく折り合わず、「剛毅」と「正義」の二枚のカードはその順番を入れ替えられています。つまり本来の大アルカナの並びの順番が、そのままでは「生命の樹」に対応する22枚の絵札として整然と収まらなかった為、その8番目と11番目の大アルカナが相互置換されているのです。詳しくは専門の研究書に譲るとして、クロウリーが受け取った『法の書』の教義に従えば、更にもう一組、「ツァダイ」が対応する大アルカナ「星」がいずれかの大アルカナと置換される必要があるということになります。クロウリーは紆余曲折の末、結果的に「ツァダイ」を「星」の大アルカナから分離し、四番目の大アルカナである「皇帝」に帰属させることにしました。つまり、「ツァダイ」は「皇帝」に、そして「ツァダイ」が本来対応していた「星」には「皇帝」の対応物「へー」が対応することになったのです。

・「皇帝」札番号 IV ツァダイ
・「星」 札番号XVII ヘー

クロウリーは晩年の作品である「トートの書」には黄道12宮の二か所が捻じれる図形、所謂「12宮のダブルループ図」によって、全体としてはシンメトリカルな二か所の置換が発生すると説明していました。しかし、Guntherはその点には一切触れず、独自の観点から「ツァダイは星にあらず」の解析を進めていくことになります。Guntherの手法は明快です。「ツァダイ」とは「釣針」を意味し、また古きアイオンを表象する「魚」の概念を想起させます。「ツァダイ」=「釣針」は、「釣り人」イエス・キリストの道具であり、初期のキリスト教徒が用いた隠れシンボルである<イクトゥス>の意味は「魚」です。イクトゥスは、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡの頭文字ですが、これらの言葉は順に「ジーザス・クライスト、神の御子、救世主」を意味しています。またキリストの弟子(使徒)達の内、シモン、ヤコブヨハネの職業はガラリア湖の漁師でした。更に「皇帝」に対応する白羊宮のサインは、やはり同じ意味で古き父のアイオンを想起させます。「子羊」は迷える者の代名詞であり、主イエス・キリストは神の羊飼いということになります。またキリスト自身が「世の罪を取り除く神の小羊」と呼ばれることもあり、更には「ヨハネの黙示録」の中では、”「屠られたような」「七つの目と七つの角」を持つ小羊の姿”としてのキリストが登場します。Guntherは、救世主を「魚」や「羊」に同一視する概念は西洋精神史の中ではアーキタイプとして古くから機能し、また無意識的に、それらは同一のものとして分類されていることを指摘します。つまり<「父のアイオン」= 救世主 = 子羊 = 魚、>として「皇帝」と「ツァダイ」は深く結びつくのです。「皇帝」は明らかに父性による秩序の維持と硫黄に代表される峻厳さを誇示しています。旧来の対応では、この大アルカナに女性的な「ヘー」が対応していたわけですが、クロウリーのこの訂正により、その矛盾は解決されたといえます。「古き父のアイオンの救世主」は、こうしてネツァクとイェソドを繋ぐ小径として、「ツァダイ」と<完成された硫黄>が帰属されることになりました。

さて「ヘー」は、ヌイトが描かれた壮麗な「星」の大アルカナに結び付けられました。そして、この「ヘー」には新しいアイオンの救世主の星である八条光星が帰属させられることになったのです。Guntherは、この8本の線からなる「星」を<救世主の星>として定義し、また更にそれを「揮発物の凝固」あるいは「凝固した水銀」と呼んだのです。この錬金術用語は『霊視と幻聴』に登場します。では「凝固した水銀」とは、何なのでしょう? Guntherの書き方が決定打に欠けるため、読者は多少戸惑ってしまいます。「凝固した水銀」とは、<第五元素>である宇宙の「精髄」(Quintessence)の形成であり、その「精髄」は聖なる婚礼(Hieros Gamos)、即ち達人と彼の聖守護天使の結合により生起します。またそれは新アイオンのイニシエーションの最高の境地を表し、クロウリーの体系の中では「砂漠たる深淵に咲く花」として譬えられるものです。また希薄で不安定な気体としての「意志」が完全に<凝固し定着する>事象を表し、それは「大作業」の完成を表しています。そこには、「古き父のアイオンの救世主」とは対照的な、「新しい子供のアイオンの救世主」が君臨することになります。Guntherは、このアイオンの救世主の名を5文字のアルファベット「V.V.V.V.V.」として紹介しています。

V.V.V.V.V.と聞く大抵の方は、クロウリーが「神殿のマスター」の位階、即ち8=3マジスター・テンプリの位階で宣言した魔法名「Vi Veri Vuniversum Vivus Vici 」(真理の力によりて、我は生ある内に宇宙を征服せん)を想起することと思います。つまり、クロウリーの魔術的人格の内の一つ、あるいは単にクロウリーの異名として捉えてしまうかもしれません。しかし、Guntherは、V.V.V.V.V.は個としてのアレイスター・クロウリーとは全く独立する形で存在しており、クロウリーは天才であったかもしれないが、マジスターV.V.V.V.V.の書記にしか過ぎなかったと断言しています。V.V.V.V.V.は単にイニシャルで知られているのみで、クロウリーの他の重要な魔術作業、『霊視と幻聴』の中では、”Via Vita Veritas Victoria Virtus”(径、生命、真実、勝利、美徳)、あるいは”Vir Vis Virus Virtus Viridis”(人、力、毒、大胆、緑)と呼ばれることもあります。A∴A∴の『第33の書』では、”彼らの首領は、彼自身としての言葉の光 V.V.V.V.V.であり、光という聖油で清められたる人類の唯一の教師にして、径、真実、そして生命である”と表現されています。またクロウリーに数々の「聖なる書物」を授けた人物であり、実質的なA∴A∴の指導者がこのV.V.V.V.V.です。

V.V.V.V.V. = 救世主の星である八条光星 = 「凝固した水銀」は、『霊視と幻聴』の6番目のアエティールの叫びの幻視では「生命の樹」の第11番目の径<アレフ>から光とともに「ヘー」=「星」の小径に下ってきた、とされています。「神との対面」とも呼ばれる<アレフの径>ですが、A∴A∴のA級刊行物である『第10の書 / 光の門』の中では、V.V.V.V.V.は、アドナイのメッセンジャーであり、<小さく暗い球形>(マルクト、または地球)へ送られたアドナイの光の光線であることが明らかにされています。また『第813の書 アラリタの書』では、アドナイの<奉仕者>であり、アドナイの<栄光の反射>と呼ばれています。V.V.V.V.V.は、A∴A∴のA級刊行物を、書記であるアレイスター・クロウリーに伝える為、クロウリーをサマディーの状態に引き上げた後に、自動筆記(クロウリーの肉体)を通して、それらの知識を伝えたと云われています。クロウリーは、この点から『セレマの聖なる書物』の作者は、明らかに自分ではないと断言しています。このようにして、5700語以上ある全7章からなるA級刊行物『第7の書』は、わずか3時間でクロウリーによって自動筆記されました。達人と彼の聖守護天使との関係を全5章に渡って美しく謳いあげられた『第65の書』は、『第7の書』の筆記の直後に開始されています。クロウリーの創作のエネルギーとは別の所で、これらの『セレマの聖なる書物』は書かれたとクロウリーは断言せざるをえなかったのです。

V.V.V.V.V.という名前は13種類ある全ての『セレマの聖なる書物』に13回登場してきます。13という数字はクロウリーの『777の書』によれば、”愛による統一の結果”を表します。ヘブル語では「愛」を表すAHBHと「統一」を表すAChadのゲマトリア数値は、共に「13」です。V.V.V.V.V.は「統一」たる<アレフ>より光とともに降下し、「コクマー」と「ティファレト」を連結する小径<へー>にて「凝固した水銀」として、その八条光星を輝かせるのです。

「救世主の星」(The Star of the Messiah)に関してGuntherは、8つのVから形成されるもう一つの星の形態を紹介しています。Guntherによると、8つのVとは『第7の書』第四章に登場する” Vervum Vervum Vitriol and V.V.V.V.V.”によって形成されるといいます。Verbumは「言葉」であり、Vitriol(錬金術の硫酸)は『霊視と幻聴』の第24番目のアエティールの叫びの中では”Vir introit tumulum regis, invenit oleum lucis”(人をして王の墓に入りしとき、彼は光の聖油を見つけたり)と表現されています。V.V.V.V.V.とはまた秘儀参入の授与者である新アイオンのハイエロファントの名前なのです。8つのVは、アドナイの奉仕者としての「言葉」と「秘儀」を示唆しています。そして、この救世主は深淵の守護者でもあります。「ツァダイは星にあらず」の教義は、「古き父のアイオンの救世主」=<ツァダイ>と「新しい子供のアイオンの救世主」=<ヘー>の二人の異なる救世主の教義として確立したことになります。

よく誤解されていることですが、A∴A∴には(血統)という概念は存在していません。A∴A∴のどの系統が正しく、また他の系統はそれより劣っているなどという論争は馬鹿げています。何故ならA∴A∴には、唯一V.V.V.V.V.を祖とする霊的な(鎖)のみが存在しているからです。その意味では、A∴A∴とは<一つ>であり、現代の達人たちはV.V.V.V.V.との繋がりにおいてのみ正統なA∴A∴に連なっていると云えます。A∴A∴とは、実在する魔術結社であり、Guntherは間違いなくその最も卓越した指導者であると云えます。

Love is the law, love under will.