Initiation in the AEon of the Child 3

嘆息の民よ! 苦痛と後悔の苦しみは、死者と
死に行く者、未だわれを知らぬ民に任された。

死んでいる、こやつらは。彼らは感じぬのだ。われらは貧しさや
悲しみの為にあらず。地上の支配者たちこそが、われらの親族なり。

神が犬の内に住まうであろうか? 否、あるまい! だが、地上のものたちは、
われらよりなるもの。われらが選びしものたちよ、喜ぶべし。悲嘆に
暮れたるものは、われらに属さぬ。

美と強さ、跳ねる笑いと快い気だるさ、力と火こそ、われらよりなるもの。
法の書』第二章 17-20節


Do what thou wilt shall be the whole of the Law. 

ヘブル文字”シン”。この文字はタローの22枚の大アルカナの内「アイオン」と呼ばれる20番目の札に対応しています。”原初の火の精霊”と呼ばれるこの札はマルクトとホドを繋ぐ小径に対応し、またヘブル文字”シン”の数値は300です。旧来のアイオンでは、この小径に対応する札は「審判」、または「最後の審判」と呼ばれていました。”どうしてあなた方の中に、死者の復活はない、といっている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。”  ”聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのでなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者たちは朽ちないものに蘇り、私たちは変えられるのです”(コリント人への手紙 第一)。

新しい子供のアイオンでは、カタストロフィ---破局の後の復活---という概念は存在しません。従って、この小径には「最後の審判」を表す新約聖書の世界観は完全に払拭されていて、単に「アイオン」と呼ばれる札が対応しています。この「アイオン」の札にはThelemaの三神が描かれています。まず、札全体を覆い尽くす無限の空間にして薔薇=女神ヌイト。彼女は無限に拡大していく形無き女神です。そして下方には、有翼の光球、薔薇に対する十字架であるハディートが描かれています。彼は無限に収縮するエネルギーの核です。この二神はThelemaの宇宙観における偉大なる”父”と”母”です。彼らは未顕現の宇宙の二つの極ですが、この両者が劇的に結合することによって、征服し、戴冠せし子供が誕生します。「アイオン」の札には子供の二つの形態である、<ラ・ホール・クイト/陽>と<ホール・パール・クラァァト/陰>が描かれています。この図像は、新アイオンの宇宙観を図示した「啓示のステーレー」のデザインに基づいています。クロウリーは、”火による破壊”によって旧来の神(オシリス)は後退し、代わりに子供である新たなる時代神(ホルス)が君臨したと説明しています。クロウリーは、この出来事は1904年に起こったと説明し、そのターニング・ポイントを「神々の春秋分点」と命名しました。

いずれにしても、「死の眠り」から人々を呼び覚ます魔法とは何でしょうか? 「大作業」(Great Work)に従事することなく、また自らの意志の本質にも無関心な人々を「覚醒」させることはできるのでしょうか? Guntherは、こう説明します。”眠れる「意志」を覚醒させるために、イスラフェルのトランペット、あるいは聖守護天使からの覚醒の言葉を聞くために、志願者はまず最初にその無気力な状態を自覚しなければならない” 私たちの多くは、未顕現の自己の本質とその能力、そしてなによりも眠れる「真の意志」を発見できずに、ただただ葛藤を続けています。私たちは、まるで他者に突き動かされているように迷い、絶望し、また歓喜するのです。

アレイスター・クロウリーが受け取った謎に満ちた一冊の書物『法の書』 (Liber CCXX, Liber AL vel Legis )が提唱するThelemaのエッセンスは下記の三つの言葉に収斂されています。

“汝の意志することを行え、それが法の全てとなろう”
“愛は法なり、意志の下の愛こそが”
“全ての男と全ての女は星である”

全ての人間の欲望は、人間が原初から保有する唯一の「真の意志」(True Will)から派生しています。この抑圧された「真の意志」を自覚、あるいは想起し、自らの欲望と願望を超越した根源としての「唯一の意志」を見つけ出す行為こそが、「覚醒」です。この意志は明らかに愛による結合を求めています。人間の内奥に秘められた「真の意志」とは、即ち愛による完全なる充足、自己実現であり、「超個」的で根源たる「無」へと回帰することです。またその行為は、人間が数千年に渡り抑圧し続けてきた自己の神性を肯定し、秘められた神を開放する行為となります。全ての人間は無意識的に自己の神性を否定し、霊性を矮小化し、外在する偶像と、自らの想像より派生した神のイメージを投影し続けてきました。Thelemaの体系は、それらの古き時代の因習から自らを脱却させるために、また古き時代の支配的圧政と呪縛から自己を解放するために、新しい時代の到来を宣言し、その時代を「ホルスのアイオン」と呼んだのです。そして、その時代を表象する図像こそが、前出の「啓示のステーレー」であり、また「アイオン」の札だと云えるでしょう。その教義の全ては『法の書』に書き記されています。「全ての男と全ての女は星である」という言葉は、全ての人間が本質的に神であることを表明し、その中核的な神性は決して抑圧されるべきではないことを示唆します。OTOでは、この信念を下記の言葉で断言しています。

    “Deus est Home, Homo est Deus”

その意味は”神は人なり、人は神なり”であり、この言葉は世界と宇宙の観察者としての人間存在抜きには、神の存在そのものが意味を成さないという事実も伝えています。OTOは個と集団の為の「社会的・科学的啓明主義」の結社として、この教義を探求し続けています。

「死の眠り」からの「覚醒」は、実際に「大作業」に挑むことによって開始されます。しかし、この崇高な霊的覚醒は、常に私たちの肉体の制限を受けることになります。或いは、自分が置かれている社会的な条件、要因、立場によっても大きく制限されるものです。クロウリーは、常に人間は大作業に挑むべきだと主張していました。そしてそれは遥か彼方にある高邁な何かではなく、今正にここにある現実の作業であると強調しています。「大作業」に挑む者は、霊的世界と現実社会という一見相反する人生における対立物を調和させなければなりません。

Guntherは古代エジプトのセトによるオシリス殺害の神話を魔術的に解釈します。バラバラにされたオシリスの遺体は、妻であるイシスによりかき集められ復元されます。しかし、オシリスの男根だけは、三匹の魚に食べられてしまったために復元できませんでした。イシスは、ここで失われたオシリスの男根の代わりに、魔術の杖—象徴的男根によってオシリスを再生させ、やがて懐妊し、復讐神ホルスを産むことになります。女神イシスは、失われた形骸としての男根を、その自然の秘力により、「真に創造的な男根」として蘇らせたのです。この変性の神話は、我々が「大作業」へ従事することによって、自己を「生ける神の神殿」へと変性させる「大作業」の寓意です。そして私たちの中にはその「意志」たる「真に創造的な魔法の杖」が潜在しているのです。Guntherは、男根(Phallus)とピラミッド(Pyramis)がゲマトリア変換によって共に831という数値を有することを指摘しています。また彼は、これらの二つの言葉が共に「創造的力」を意味することを指摘しています。伝統的にピラミッドは秘儀参入の神殿として考えられてきましたが、Guntherは「ピラミッド」は参入者の「霊的な身体」であり、同時に男根は志願者の「肉体」を表していると興味深い指摘をしています。つまり「男根」は専ら生物学的で自然界に顕現する創造性であり、「ピラミッド」は、幾何学的・図形的な「意志の方向性の定まった」創造的力の発動の象徴となります。クロウリーの魔術体系の中では、前者は「聖霊のミサ」と呼ばれる性魔術に、また後者はA∴A∴の内部で、霊的発達の象徴・地図として用いられています。A∴A∴の外陣(Outer College)の象徴は、<「黄金の夜明け」の紋章>と呼ばれる、三角形の上に十字架を頂いた図像です(それは、旧「黄金の夜明け」団の象徴から受け継いだものです)。十字架を意味するヘブル文字はタウで、その数値は400です。また上向きの三角形=「火」はヘブル文字シン=300を表します。両者の合算である700はA∴A∴外陣と内陣の間に横たわる帳、パロケスの数値であり、従ってこの紋章は、A∴A∴の外陣における「大作業」の性質を表しています。更には、A∴A∴の1=10ニオファイトの入門儀礼は、このピラミッドと大変強い関連があり、その開式と閉式は、A∴A∴内部で一般的な神殿の開閉に用いられています。

「死の眠り」からの「覚醒」は、今人類に求められている次なるステップです。ここで小宇宙たる人間=「星」の性質を考察してみましょう。西洋の魔術では人間に表象される小宇宙は五芒星で、神的要素である大宇宙は六芒星で表されます。小宇宙たる五芒星の各々の各には5つの元素が対応しています。「火」(右下)、「水」(右上)、「風」(左上)、「地」(左下)、そして頂点には「精霊」(Spirit)が位置し、下部の四大を統治・均衡・支配しています。またこれらの5つの各にはヘブル文字のヨッド(火)、ヘー(水)、ヴァウ(風)、ヘー(地)、シン(精霊)が対応しています。テトラグマトン(聖四文字)にシンを足したペンタグラマトン(聖五文字)は一般にイヘイシュアと発音されます。そうあのユダヤ敬虔派で、後に「救世主イエス」となった男の名前です(とはいえ、当時のユダヤ社会ではイヘィシュアはありふれた名前でした)。ここでA∴A∴では、重要な教義の一つである「スフィンクスの諸力」が登場します。クロウリーエリファス・レヴィの著作から、それを採用し、後にその理論を定義しましたが、一般的にはそれはあまり知られていません。ここではGuntherの定義を見てみましょう。

“達人の四つの美徳。それらは「意志する」、「敢行する」、「知る」、そして「沈黙を保つ」である。「意志する」力は「火」に対応し、「敢行」は「水」に、「知る」は「風」に、そして「沈黙を保つ」は「地」に対応する。それらの内に均衡が確立した時、第五元素「精霊」が達人の内に目覚め、「行かん」(To Go)と呼ばれるスフィンクスの第五の力が授与される。それらの諸力のラテン語名は、Velle(意志する)、Audere(敢行する)、Scire(知る)、Tacere(沈黙する)、そしてIre(行かん)である”

Guntherは、これらの諸力と元素の対応は、適宜的に相互交換されることがある、と指摘しています。何故なら上記の対応は、伝統的な西洋魔術、旧「黄金の夜明け」団に由来するものですが、例えばクロウリーは『アレフの書』では上記とは全く異なる対応を解説しています。即ち、クロウリーは「大作業」における「スフィンクスの諸力」の働きは、その宇宙観と、作業の内容によって変化すると考えたのです。この奥深い教義についてはGuntherは敢えて、解説を加えることはありません。しかし、「スフィンクスの諸力」の教義は、クロウリーの実践魔術と宇宙観を知るためには、とても重要な教義となっています。Guntherは「死の眠り」からの「覚醒」は、五芒星の頂に「精霊」が君臨することによって確立されると考えます。”シン”の数値300は、またルアク・エルヒムの数値で、「神の息」を表すこの言葉は「聖霊」(Holy Spirit)を示唆します。イエス・キリストが処女である母マリアに降臨した「聖霊」によって懐妊したという伝説は、そもそもヘブル語からギリシャ語へと旧約聖書の預言書(イザヤ書)を翻訳する際に、生じた誤訳から生まれています。「若い女」を意味する”アルマ”を、「処女」を意味する”パルテノス”という言葉に誤訳してしまったことから発生した<誤解に基づく神話>であることは今日ではよく知られているのです。Guntherは、この「聖霊」は、決して天から降臨するものではないと断言します。「聖霊」=”シン”は、そもそも「星」たる人間の中核に存在し続けている「神の栄光」、「神の火花」に他ならないのですから。「我れ、行かん」Ireは、「星」たる人間の心臓(ティファレト)の中心、核の中で発動=覚醒するのを待ちわびています。A∴A∴の外陣では、四大の均衡によって確立するこの「聖霊」の「覚醒」を実現すべく、「大作業」へと挑むのです。

さて、ここでも私たちは問わなければなりません。「スフィンクスの諸力」とは、単なる象徴・寓意の類なのか? 単なる魔術上の机上論、ないしは思考法にしか過ぎないのか?と。
スフィンクスの諸力」が機能する場は、人生を生き抜くという広義の意味での「大作業」のあらゆる局面で実際に機能させるべきものです。単なる思考法ではなく、「行動学」であることは強調すべきだと思います。例えば、貴方が30日間の連続瞑想を完遂するという目標を抱いたとしましょう。もし、貴方が作業半ばで頓挫してとしたならば、それは「スフィンクスの諸力」をうまく用いることができなかった証拠です。その作業のために「意志」を鼓舞し、誘惑に左右されない作業への実行力を行使し、そのために必要なあらゆる知識の収集に失敗したのです(大抵は「意志」の持続に於いて人は失敗するものです)。また貴方が、理想とする職業への転職を思い立ったとしましょう。もし、貴方がそれに失敗したのだとしたら・・・。同じことです。貴方は、いずれにしても目標を実現するための適切な行動と知識の習得に失敗したのです。「聖霊」は天から舞い降りるものではありません。あなたの中心で、発動し、覚醒するのを待ちわびているのです。新しきアイオンの教義は、「死と再生」の美徳を必要以上に祭り上げることはしません。しかし、最初から貴方が「死の眠り」から目覚めている、とは考えていないのです。「覚醒」のために”汝自身を知れ”と号令を発し、また真に創造的な神の火花が、貴方の内面で眠っていることだけを正しく伝えるのです。”意志し、敢行し、知り、そして沈黙を保つ”。それの力が機能・均衡した時、貴方の中心からスフィンクスの第5の力、”いざ、行かん”が発動・覚醒するのです。

Love is the law, love under will.