Initiation in the AEon of the Child 4

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

「大作業」(The Great Work)は、クロウリーによって霊的なピラミッドの建設に譬えられています。天の星々にまで届く程の巨大なピラミッドを建設するためには、一体どれ程巨大な基礎が必要でしょう? クロウリーはこうも述べます。”魔術とは、層から層へ積み上げられるピラミッドである。光体の作業とヨガの技術---それは全体の基盤である”(Liber ABA, p505) 「大作業」に従事する魔術師は、自らの努力と忍耐によって、また作業への「結果を求めない」純粋な献身によって、自らの手でこの霊的ピラミッドを建設していなければなりません。ピラミッドの四つの面は四大元素を表し、その頂点は「精霊」の統治を表すことから、このピラミッドは小宇宙である人間そのものの象徴であると考えられています。この霊的ピラミッドは、一つ一つの巨石を積み上げていくことから形成されていきます。その寓意が意味することは、「大作業」における一つ一つの作業によって、「死せる巨石」を「生ける巨石」へと変性し、調和を保ちながら積み上げていく地道な作業を示唆しています。そのプロセスが膨大であればあるほど巨大なピラミッドの建築に繋がっていきます。A∴A∴の志願者が行う各位階での「宣誓」は、一つ一つのプロセスを達成するための意志の強化であり、揺るぎない作業への「献身」を確かなものします。彼の「言葉」(Word)は「宣誓」(Oath)として彼を「大作業」へと邁進させます。そして彼の「行動」(Deed)は各位階の「任務」(Task)として遂行されるのです。「第一物質」(Prima Materia)、即ち「変性」の為の素材は志願者たる人間そのものです。彼は永きにわたる「死の眠り」から覚醒し、自己を解放するために「大作業」に従事しますが、その径は決して平坦なものではありません。Guntherはこの「大作業」の遠大なる径を「回帰の大いなる径」(The Path of the Great Return)と呼んでいます。そして、そのゴールは「無」への回帰、本質たる神域への回帰です。

A∴A∴の「大作業」の径は、まず最初に、志願者が「大作業」に従事する用意ができているかどうかを確認します。彼は既に西洋と東洋の秘儀に関する十分な予備知識を有している事を団に示さなければならないのです。そのテストは、A∴A∴の司官によって「生徒」(Student)に与えられることになります。「生徒」はA∴A∴の志願者に与えられる最初の称号で、彼の任務は前出の通り、オカルトに関する全般的な知識の習得にあります。これは、公開されているA∴A∴のWebsite (http://www.outercol.org/)にアクセスし、団にコンタクトを取ることによって誰もが到達可能な準備位階であると云えます。もし、彼が三か月以内に団のテストに合格し、入会を許された場合、彼にはプロベイショナーという位階が与えられます。この位階は<0=0位階>として、A∴A∴の全位階を構成するカバラの「生命の樹」の10(正確には11)のセフィロトには属さない最初の独立した位階となります。つまり彼は「生命の樹」の最下層であるマルクトの下、「クリフォト」の領域におり、「光」の降臨であるA∴A∴のピラミッドのイニシエーション(1=10ニオファイト)に備えていると考えられます。とはいえ、最低でも一年間の継続した魔術作業を義務付けられているプロベイショナーの作業は、それ自体とても重要なものです。A∴A∴のニオファイト儀礼は、別名「ピラミッドの儀式」であり、ここでは参入者はオシリスとして秘儀参入の間に参入し、「死」から「L.V.X.の秘儀」によって蘇ったその瞬間に「完全なるオシリス」<アサール・ウン・ネフェール>として再生します。Guntherが何度も指摘している通り、現在のアイオンでは「L.V.X.の術式」はマルクトの術式に変化しています。

古代エジプトで、巨大ピラミッドがナイル河の西側に建設されたことには何か意味があるのでしょうか? エジプト人にとっての「西」とは、日没=闇の方向であり「死」の概念と直結していました。「西」とは即ち「地下世界」「黄泉の国」(Amenta)と同義なのです。また数あるオシリスの形容語句の一つは”西の最果て”であり、オシリスはそれ故に「死者の神」、「黄泉の国の王」と呼ばれています。エジプトの「死者の書」においても、死に行く神オシリスは、「西」を表し、再生する太陽神ラーは「東」を表しています。また、オシリスは死者の代表であり<昨日>(Yesterday)を表し、再臨するラーは<明日>(Tomorrow)を表します。つまりオシリスは「過去」を、ラーは「未来」を表象していると云えます。このためA∴A∴の「ピラミッドの儀式」でも西にはNEKPOS(死せる者)が対応し、東のLOGOS(太陽たる言葉)と対を成しています。では、新アイオンの子供であるホルスは、この象徴体系にどのような変化を齎したのでしょうか?

ホルスの太陽神としての形態は様々です。クロウリーとレディー・フリーダ・ハリスが作成したトート・タローで第19番目の札「太陽」に描かれている形態は、双子のホルスたるヘル・ラ・ハです。Guntherは、このヘル・ラ・ハを「現アイオンの主」と定義しています。ヘル・ラ・ハのゲマトリア変換数値である”418”は、クロウリーのThelemaの全体系の中で最重要な数値で、アイオンの言葉である「ABRAHADABRA」と同じ数値となります。地平線に顕現するホルスは、ホール・クイトまたは、ヘラ・クティと呼ばれています。『法の書』にも登場するフルマキス(Hrumachis)、或いはハルマキス(Harmachis)は<地平線のホルス>、或いは<二つの地平線のホルス>であり、Guntherはこの神格を重視しています。新アイオンの「戴冠し、征服する子供」であるホルスは、その座を西と東の二つの地平線上に占めることになります。このことからGuntherは、この二つの地平線に顕現するホルス=フルマキスを対極同士の「統合」であると主張します。即ち、フルマキス=ホルスは男神でも女神でもなく、両性具有の神だと主張しているのです。また、この太陽神フルマキスは父オシリスの遺骸を超え、二つの地平線の守護神となったのです。

"フルマキス,Hrumachisが出現するであろう時、対の杖を
携えたる者がわが玉座と地位とを引き受ける。別の預言者
現れ、空より新たなる熱病をもたらすであろう。別の女が蛇
の欲望と崇拝を呼び覚ますであろう。別の神の魂、そして獣が
球体の司祭の中で混じるであろう。別の生け贄が墓を染める
であろう。別の王が支配するであろう。そして、鷹の頭をした
神秘的なる主に祝福が降り注ぐことは最早無い!”

『法の書』第三章34節

フルマキスは<対の杖>(Double-wanded one) を携え、その王座と地位を引き受け、二つの地平線を支配します。フルマキス=ホルスは両性具有の神として、あらゆる相反物を結合させ、二極性を打破すべく<生=東>と<死=西>を統合する神としてその座についたのです。

では”全ての男と全ての女は星である”と宣言される我々人間の性質についてのGuntherの考察に移りたいと思います。新アイオンにおいては、「戴冠し、征服する子供」であるホルスは、「大作業」に献身する魔術師の内側に受肉し、顕現します。ホルスは魔術師自身であり、その個的な神となります。神は常に内在し、私たちは決して外在する神の偶像を崇拝することはありません。

“わが秘密の中枢たる汝ハディート,Haditよ、わが心臓、そしてわが舌となれ!
見よ!それはホール,Hoor-パアル,paar-クラアト,kraatに仕える、
アイワス,Aiwassによりて啓示された。
クハブス,Khabsはクー,Khuの中にあるのであり、クー,Khuが
クハブス,Khabsの中にあるのではない。
さればクハブス,Khabsを崇めよ、そして、わが光がおまえの上に
降り注がれるのを見るがよい!”

『法の書』第一章 6-9節


ここではクハブス、クーという聞き慣れない言葉をGunther自身の記述に従って解説してみたいと思います。

クハブス: 「星」。個々の星であり、個々の人格。クハブスは、無限の可能性/潜在性からくる 「個」の霊的顕現。クハブスはハディートの住処とも呼ばれる

クー : 参入者の魔術的外衣。ヌーの可能性/潜在性の顕現であるクハブスにより形態化される

Guntherが指摘している通り、クハブスとは本来「星」を意味する言葉ではありません。旧「黄金の夜明け」団ではクハブスは「光」と翻訳されていました。「覚醒」のための中核の炎ハディートはクハブス=「星」の 中心に「秘めたる自己」として脈動しています。クハブスは無限の可能性であるヌーが「個」に顕現した「星の体」です。クハブスは、クーのように曖昧な存在ではなく唯一の真実です。しかし、私たちはこのクハブスを直接知覚することができません。クハブスが発散する「光」=「外衣」=「クー」によってのみ、間接的に知覚(イメージ)しているのです。『法の書』の第一章の中で、女神ヌイトを代弁するアイワスは外衣である「クー」のイメージではなく、本質たる「クハブス」を崇拝するように命じています。人間は、この「空気のような私」であるヌーの偏在にもまた気付かないままです。私たちは固有の「星」として「天の星々が織りなす無限の身体」であるヌーの中に居住しています。個たる「星」の中核ではハディートが燃え盛り、「星」たるクハブスはクーを纏い、そしてクハブスもクーも個々の星々の「無限の可能性」であるヌーの中にいるのです。Guntherは、「個たる星」を四重の存在として図式化しています。内奥の炎=核であるハディート、そのハディートの住居であるクハブス、クハブスが発散する外衣クー、そして全てを包含する無限の潜在性/可能性たるヌーです。Guntherは、即ち「個」たる「星」=人間は、「無限」と直結していることを教えてくれます。また「星」=クハブスと、その核であるハディートを内包していることも教えてくれます。ただし、どちらの存在も魔術師は直接知覚することはできないのです。ヌーとハドは、「クー」と呼ばれる媒介を通してのみ間接的に知覚されるのです。それぞれの経験値に則って、「本質」の上にイメージという名の「形態」を与えることによってのみ、私たちはそれを知覚しているに過ぎません。従って私たちは、この外衣を脱ぎ捨てクハブスを直接崇めなければならないのです。

Guntherは『法の書』第三章37節に登場するカーKaは、その象形文字の形態から聖守護天使を表すものであると述べています。その形態は、両手を横に広げた形で表されます。Guntherによるとカーは「魂、霊、精髄」であり、クーの両手は<「東」と「西」>=<「生命」と「死」>を統合するヒエログリフとなり、対立物を統合する聖守護天使の性質を表しているということになります。

新アイオンの太陽=フルマキスは、東と西の二つの地平線を支配します。この統合たる太陽は「生」と「死」を融和し、その永続性を表象します。フルマキスは「星」を守護し、魔術師にその本質を崇めるよう諭します。私たちは「星」としての本質を探求すべく、「大作業」=ピラミッドの建築に人生を賭して挑むことになるのです。

Love is the law, love under will.