Initiation in the AEon of the Child 5

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

「大作業」における主要な要素は、関連する事象間の「均衡」を保つことです。A∴A∴のA級刊行物の一つである『タウの書』(Liber TAU)によれば、A∴A∴の三つの大いなる「均衡」は「殻の中の均衡」、「小径における均衡」、「立法石における均衡」と呼ばれています。『タウの書』は22文字のヘブル文字と各ヘブル文字に対応する短い言葉のみで形成される書物ですが、書物といってもたったの1ページに過ぎない短いものです。ヘブル文字は7文字ずつ三段に分割され、全体を大きなタウ(宇宙)が囲っています。実は、この短い書物の中にこそ、A∴A∴のエッセンスが隠されています。三段に分割されたヘブル文字は、それぞれがA∴A∴の三つのオーダーに対応しています。一段目のシンからサメクまでの7文字はA∴A∴の<外陣>である「G∴D∴」に、二段目のヌンからケスまではA∴A∴の<内陣>である「R∴C∴」に、そして三段目のザインからアレフまでがA∴A∴の<サード・オーダー>である「S∴S∴」にそれぞれ対応しています。そして各ヘブル文字は、それぞれのオーダーに顕現する作業の性質と責務を表しています。Guntherの本、_Initiation in the Aeon of the Child_は、この『タウの書』の構造に則って構成されています。は、タウを含めた一段目の7つのヘブル文字が各章に対応しています。従って、このBook IはA∴A∴の外陣である「G∴D∴」に重点を置いた解説書ということになります。『タウの書』は、極めて短い内容ながらも実に深遠な内容を秘めた書物です。

「殻の中の均衡」とは、バランスのとれた「生命の樹」と、アンバランスな「クリフォトの樹」の間に「均衡」を打ち立てる作業を指します。この二つの対立する要素は、大宇宙に顕現すると同時に、小宇宙たる魔術師の内面にも顕現します。両者は意図的に均衡・調和させられる必要があります。「クリフォト」は「Thelemaの聖なる書物」の中に「古き灰色の世界」または「馬鹿げた世界」という名で登場します。

さて、汝自身を知れ!"---という自己知のプロセスの中で魔術師は、ネフェシュの浄化を推し進めます。ネフェシュは「低次の自己」、「動物魂」とも呼ばれ、人間の本能を司ります。この人間の「本能」的要素は、集団生活の中では、とりわけトラブル・メーカーとして機能してしまうことがままあります。とはいえ、それを忌み嫌い避けて通るわけにはいきません。人間の生存にも関わる極めてプリミティブなエネルギーの流れを制御、統合すれば魔術師は 無敵の戦車を手に入れることになるのです。

 ネフェシュの完全なる統合は肉体を有して社会生活をしている以上、殆ど 不可能に近いでしょう。特に異性を支配したいという欲求、自己を高めるという高邁な目標を掲げながらも、他者よりも優位に立とうとして不毛な 競争や闘争に突き進んでしまうことはよくあることです。これらの衝動は 本能から突き上げられる生命の流れを間違って受け止めてしまうことによってしばしば発生します。自己の鏡としての外世界には、その本質とは異なる イメージ化された幻像が無数にオーバーラップされています。自分が最も忌み嫌う行為・言動を外部の人が行っていると、志願者は自分がその衝動を「抑圧」していると認識できないまま、その対象を「悪」としてラベリングしてしまうのです。 また異性を支配したいという空虚な衝動によって、どれ程の悲劇が生み出され 無益な時間が浪費されたことでしょう。いずれにしても、内面の衝動を 歪んだ鏡に映したところで、その幻像は本質とはかけ離れたものになってしまうのです。 Guntherは、このような鏡像に惑わされ、また彼が「自然の致命的なイメージ」(Fatal Image of Nature)と呼ぶ「虚像」と恋に陥る愚行を戒めています。「自然の致命的なイメージ」はネフェシュに反映された「邪悪なペルソナ」のイメージで、魅惑的な吸引力を持つ独特なエネルギーです。そして大抵の場合、それは「魅惑的な異性」として人生に登場します。まず志願者が一人の魅力的な異性と巡り合ったと仮定しましょう。その異性が魅力的であればある程、その本質とは一見乖離した都合の良い「虚像」がネフェシュの機能によって、志願者の内部に形成されてしまいます。志願者は、自分が投影した「イメージ」にますます魅了され、その虜となってしまうのです。とはいえ、それが実在とはかけ離れた虚像で、その底辺には人間の制御し難い本能が脈々と活動していることに志願者は気付かないのです。そしてその強い(性的)魅力に、志願者は疲弊し、やがてこの自傷行為によって「大作業」への意志は衰退していきます。

 ネフェシュを彷徨える衝動から、一つの神聖な目的へと方向付けする作業、またはその変成のプロセスは「聖守護天使のヴィジョン」と呼ばれています。 Guntherの体系の特徴は、この聖守護天使の顕現が魂の最下層の浄化から開始されると定義したことです。それは「ピラミッドの儀式」を起爆剤とし、偽りの鏡の反射機能を無化するプロセスによって実現します。志願者は、そのプロセスの中で幾度となく「均衡」の作業を実施するのです。

A∴A∴における「均衡」の作業は、団の入会時にプロベイショナーの「宣誓書」の四隅に書かれた言葉の分析と理解から開始されます。Guntherがと呼ぶこの教義は、A∴A∴の「均衡」による魂の発達の径を定義しています。

Pyramid L.P.D.

Life 生命      Liberty自由   Love 愛    Light 光
Putrefaction腐敗   Power 力    Passion 情熱  Perception 知覚
Death 死      Destiny運命   Debauch放蕩  Darkness 闇

Pyramid LPDのPとDは、それぞれヘブル文字のペー(P)とダレス(D)、即ち「火星・男性原理」と「金星・女性原理」を表し、相反する二力を表しています。Lはラメド、即ち両者間の「均衡」の機能です。Pyramid LPDとは、能動と受動という二つの相反する原理間を均衡させるThelemaの四つの贈り物(愛、自由、生命、光)に関する教義です。

“情熱と放蕩は、愛によって均衡する
運命と力は、自由によって均衡する
死と腐敗は、生命によって均衡する
闇と知覚は、光によって均衡する”

火星と金星は相克し、四つのラメドの天秤=「愛」「自由」「生命」「光」がピラミッドの冠石となり、全ての均衡を確立します。ラメド、ペー、ダレスの三文字が形成するヘブル語LPDの意味は”燃え盛る、光輝く”であり、それは天井に輝く不朽の炎、”ランプ”を示唆しています。A∴A∴の外陣でその四大の均衡の作業が完成し、「ドミニス・リミニス」と呼ばれる予備門の位階に到達した魔術師はこの魔法武器「ランプ」を作成する義務があります。Pyramid LPDの四つの面にはそれぞれ四大元素が対応していて、A∴A∴の外陣における四つの元素位階(ニオファイト、ジェレイター、プラクティカス、フィロソファス)が対応しています。ピラミッドは、一つ一つの巨石を自らの手で積み上げねばならず、その作業のプロセスは膨大なものです。まず彼は、死と闇と放蕩という決して望んではいない運命の中にいる荒廃した魂を直視します。そして、腐敗を経由することによって起こる魂の変性の最中に彼自身の霊的な感受性を鍛え上げ、その情熱と力で自己を知る作業を推進します。「愛」「自由」「生命」「光」は全てのバランスを維持する4大原理で、ピラミッドの最上段に置かれる冠石となりPyramid LPDは完成されます。この作業はA∴A∴の外陣における「大作業」の性質を明確に伝えています。「ピラミッド」の象徴は、A∴A∴内部では常に「大作業」と関連付けられ、昇華された魂を象徴しています。

「大作業」に従事する全ての志願者は「魂の暗い夜」と呼ばれる霊的枯渇状態に陥ることがよく知られています。霊的な向上心とともに「回帰の大いなる径」を歩む崇高な修行者が、どうしてこういった魂の腐敗を体験するのでしょうか? 「魂の暗い夜」、その原因や症状は人によって様々です。共通していることは、もうこれ以上の霊的成長などとても期待できないという焦燥感、また前にも一歩たりとも進めないと感じる空虚感、絶望的な霊的な「渇き」です。可能ならば、誰もが陥りたくはない苦しい枯渇状況ですが「大作業」に従事する者はすべからく皆この苦境に陥ることを避けては通れません。この過程は錬金術では「黒化」(ニグレド)と呼ばれる腐敗の周期に相当するものです。「大作業」の第一物質たる<人>は、再生に向かう前段階として<腐敗>を経験し、続く<夜明け>である「白化」(アルベド)へと変性の歩を進めていくことになります。この「魂の暗い夜」は、トート・タロットの中では18番目の札である「月」に表象されています。この光無き夜の航行は、しかしながら「闇」とは自分自身が作り出した幻想であるということを理解するまで、また「恐怖」とは自らが投影した迷妄であることが、十分に理解されるまで続くことになります。全ての問題の原因は常に自己の内面に発見されます。そして、それらの諸問題と向き合う決意と努力がなければ、更に状況を冷静に分析し判断する明晰さがなくては志願者は暗い闇の中で行き場を失ってしまいます。それゆえに「魂の暗い夜」の体験は、必須であると同時に計り知れない価値を有していると云えます。それは自己成長のための欠くことのできない作業の一プロセスです。「大作業」の従事者は、全ての希望が消え失せ、自己を見失いかけた正にその絶望の瞬間にこそ、次の新たな希望の前触れが到来することを知ることになるでしょう。

「大作業」の変性のプロセスは浮世離れしたオカルトと象徴の世界だけで起こるのではありません。「魂の暗い夜」は、通常に生活している社会人の身にも自然に訪れます。重要なことは”汝自身を知れ”という至上命令を全うすべく、まずは自己を客観的に観察することです。魂の内容物が往々にして外部に投影されているのを自覚する時、あなたは「魔法の鏡」の危険な罠を潜り抜けることができるのです。苦しんでいる自分に苦しみを与えている張本人が鏡の中のもう一人の自分だということを自覚すれば、あなたの苦しみは半減されるに違いありません。

"決意の減退する事なく、結果ばかりを求める抑え難き欲望より解放された純粋なる意志とは、あらゆる点において完全である故に。” 『法の書』第一章 44節


Love is the law, love under will.