J. Daniel Gunther & Frater Shiva連続講義終了

  

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

このBlogで継続的に情報をお知らせしてきたイベント、J. Daniel Gunther/ Frater Shivaのシリーズ講義は盛況の内に無事終了いたしました。このイベントは多くの方々の協力の下に企画・準備・運営されてきました。当日、このイベントに参加された皆様は、世界最高峰の達人が、この時期にわざわざ極東の地まで足を運んで我々のために為した偉業について理解されていることと思います。このイベントは、日本のOTOにとって正に歴史的なイベントでした。イベントの規模はさておき、その内容は驚嘆の連続でした。

 このイベントの為に海外から足を運んでいただいた兄弟・姉妹にまずは感謝を。特にオーストラリア・グランド・ロッジの参画抜きにこのイベントは成立しなかったと思います。最初にガンサーの来日を示唆し、また企画のきっかけを作っていただいた兄弟Shivaの情熱によってOTO Japanは変革の時を迎えることができました。心から感謝いたします。また未熟な日本代表(FSR)である私を支えてくれたOTO Japanのオフィサー達、そして兄弟・姉妹達に感謝いたします。勿論、OTOに共感いただき、今回のイベントに参加いただいた友人の皆様にも大感謝です。自分の無力さを痛感するとともに周囲に支えられ、このイベントを乗り切れたことを誇りに思います。

A.’.A.’.とOTOの断絶の歴史は複雑であり、恐らくそれは50年程度の歴史考察を必要とします。クロウリーの死後、両団の後継者と見做されたカール・ヨハンネス・ゲルマーは熱心なセレマイトでしたが、彼は自分の後継者を指名する責務を怠ったといえるかも知れません。ご存じの通り、OTOは第9位階の参入者であったグラディー・マクマートリーによって1970年代末から世界中に拡大していきました。彼は、どちらかというとゲルマーとは疎遠だった人物です。A.’.A.’.はゲルマーの弟子であったマルセロ・モッタによってその命脈を保ちました。そしてグラディーとモッタはクロウリー著作権とOTOの正当性を巡って激しく対立し、合衆国において法廷闘争へと突入します。グラディーのOTOは正当な唯一のOTOとして勝利しましたが、逆に彼が主張したA.’.A.’.は、貧弱な小グループでしかありませんでした。モッタのSOTOは、衰退の一途を辿り、しかしA.’.A.’.については水面下でその機能を十分に果たしていたと思われます。A.’.A.’.とOTOは、双方が相互関連して作用するという重要な機能を長らく失うことになります。1990年代になって、あからさまには語られることはないものの同盟関係が修復されるまでは。今回のイベントは正にA.’.A.’.とOTOのコラボレーションによって実現されたものです。そして、これは両団の名前を冠した世界で初の共同イベントだったと云えると思います。ここにおいて、私達は一つの重大な歴史の一幕を垣間見たことになります。どうかこの意味を忘れないでください。

一日目の講義は、オーストラリア・グランド・ロッジのグランド・マスターである兄弟Shivaによる深遠な考察から幕が開きました。彼は、A.’.A.’.とOTOの相補性を強調しながら、類まれなる「OTO論」を展開したのです。それは彼が定義した13項目からなるリストに結実しています。このリストを知ることは、当日参加した皆さんに与えられた特権です。それについて熟考すれば、本来のクロウリーの意図が浮き上がってくる筈です。この社会的科学的啓明団の働きと狙いは何か? ということです。兄弟Shivaは、その理解を補足する為に1919年に出版された『春秋分点 第三巻一号』、所謂『青の春秋分点』の存在に光を当てます。何故なら、そこには1915頃のクロウリーの計画と意図が、生々しく刻まれているからです。そしてその表紙の秘密についても。クロウリーの『青の春秋分点』が、物議を醸すものであったことは、私も認識しています。ただし、兄弟Shivaの講義は、クロウリーの計画の真義を探究するための最高のイントロダクションでした。彼の講義に参加した多くの人達にとっても同様の変化が生じていると私は確信しています。

彼の二つ目の講義は、これまであまり考察されることがなかったOTOのイニシエーションの過程を分析心理学と発達論に基づいて明確化するというものでした。この作業には、当然ながら曖昧さと複雑さが付きまといます。兄弟Shivaは、自身の意見を述べるとともに、個々のイニシエートが咀嚼し、独自に解釈するための有益な材料を提供してくれたと云えます。私達は、その題材を慎重に扱い、また宇宙大の曼荼羅を描くための、または個性化のための独自のPathを視界に捉える必要があります。このPathは「永久」へと繋がっています。またそのためにOTO Japanも大いに努力し、邁進しなければなりません。彼は、これまで公に語られることのなかった様々な思考の材料を残していってくれました。

この日の夜、東京に本拠を置くOTOのニヒル・ロッジの主催で「グノーシスのミサ」が執り行われました。この美しいミサは、正にこの日を締めくくるのに相応しいものでした。またこの日のミサは、国内で行われたミサの中で、もっとも多くの参列者を集めて行われました。多数のご参加ありがとうございました。

二日目と三日目の講義は、勿論ダニエル・ガンサーを講師としてお招きしてのものです。2日間で6本の講義。そこにはA.’.A.’.に35年間献身してきた薔薇十字団の達人の生々しい声がありました。人々の中にあって名前を持たない教団、それがA.’.A.’.です。その位階制度やカリキュラムは、クロウリー自身の手によって公開されています。それでも、これまで語られたことのない秘密がどれほど存在することか! ダニエルの講義は、正に驚きの連続でした。彼の著作_Initiation in the Aeon of the Child_よりも、かなり噛み砕いた会話調で講義を進めていただいたことも大きな効果を齎しました。「スフィンクスの諸力」については、彼の著作にも記述があります。また私達はクロウリーの『アレフの書』を読むことによって混乱に陥った同教義を順序立てて、系統的に学ぶことができました。その概念はA.’.A.’.に於ける発達論であり、技法であり、また統合論でもあり得ます。彼が提示するA.’.A.’.のイニシエーションの過程、「大いなる回帰の径」の順序が、OTOのプロセスと逆になるという考察に私達は驚かされました。この過程を知り、彼が提唱する「逆行論」を分かりやすく知ることが出来たということも当日講義に参加した皆さんの特権です。そう、A.’.A.’.のイニシエーションの過程は、古き神オシリスの死の祝祭から始まるのです。そして私達は「逆立ち」しながら歩むことの奇妙さに心を奪われました。

「子供のアイオン」の救世主論は、ダニエルが提唱する最も刺激的な主張の一つです。ですが、私は、救世主に対する彼の講義の内容をここで紹介しようとは一切思いません。それは、クロウリーにとって、ダニエルにとって、そして私達にとっても霊的に謙虚にならざるを得ない内容だからです。

彼の二つの講義、Self Beyond self 「私を超える自己」とBlood in the Cup of Babalon   「ババロンの杯の血」は連続した講義でThe Angel and the Abyss 「天使と深淵」と題されています。そしてThe Angel and the Abyssはダニエルの次の著作の題名でもあります。ここで私達は、更なる驚嘆に包まれることになります。彼は聖守護天使の問題を、まず歴史的観点から、続いてセレマ的な観点から考察します。それは、いかなる存在なのか? そして誰もが聖守護天使を持っているのか?という重要な疑問へと私達を誘います。彼の答え、そしてその理由を知っている皆さんはどうかそれを秘密にしておいて下さい。あの衝撃と感動は、あの日あの場所にいた人達にしか理解できないと私は考えます。これは私達に託された沈黙の美徳への献身です。
深淵を越える? この現象について、ここまで分かりやすくまた説得力のある説明を為した魔術師が今までいたでしょうか? 全くいなかった、と言わざるを得ません。そしてAngelとAbyssのそれぞれの頭文字はA.A.です。深淵の辺境で警護する光の前哨基地、二つの小径の重要性、そして深淵を越えることによって破壊される何か。。そこには私達を興奮させずにはいられない怒涛の教義が濃縮されていました。

このイベントに参加された全ての皆様に改めて感謝いたします。そして、このイベントによって何かが確実に変化していく筈です。最後にOTO Japanの活動にご関心のある方々は、下記のサイトからコンタクトしてみて下さい。近い将来、またお会いいたしましょう!
http://www.otojapan.org/contact.php

Love is the law, love under will.