On the Formula of Life

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

OTOの真の魔術カリキュラムは、個々の人生に依存し、また個々の人生の諸問題に対処でき得るような普遍的な魔術の術式によって成立しています。この術式は、「人生」の体験である第二位階の参入儀式の場で明確に示唆され、またイニシエーターによって、その「知」が伝授されます。OTOの第二位階の団員は「魔術師(Magician)」と呼ばれ、その普遍的術式を正に個々の人生に適用することを奨励されます。これは魔術そのものを個々の人生哲学の基盤として駆使することを意味し、またこの普遍的術式は、啓明を得る為の魔術的発達論としても明示されます。

多くの魔術志願者を結果的に魔術修業から遠ざけてしまう要素は多岐にわたります。その筆頭に挙げられるものは、固定されたカリキュラムを段階的に踏むことを推奨される学習システムそのものにあります。ここには日々の魔術の結果を記録に残すという単純明快な、しかしながら油断できない重荷が課されることになります。アレイスター・クロウリーは膨大な著述を行う傍ら、記録魔と呼んでも遜色ない程に、日々の魔術の結果と思索を日記に綴り続けた人物です。それは彼の中では科学的なアプローチであると理解されていました。A∴A∴内部では記録されていない魔術実践の結果は、その存在すら認められることはありませんでした。クロウリーは、新しく魔術修業の径に踏み込んだ学徒に対して、_Magick Without Tears_の中でこう述べています。

“あなたはまず、両親と家系について、誕生時の状況や教育、あなたの社会的ポジション、経済状況、体型、健康面、病歴、性的な履歴、趣味や娯楽について書かなければならない” ”なぜ大いなる術に関心を抱くに至ったか? 過去、あなたが隷属していたもの(神智学、人智学、まがい物の薔薇十字団などの偽りの探求などがあれば)との関連、そしていかにして私を見いだし、なぜわたしの助力を得ようと決心したのかを”
 
つまりクロウリーは、初期の魔法日記を通じて弟子に対して過去の自分を全て曝け出すように要求したのです。一方、OTOの内部では、魔術の記録であれ、私生活の記録であれ、それを第三者に開示する必要は全くなく、またそもそも魔術日記を記す義務もありません。これはOTOが魔術の教育団体ではないことを示唆しています。しかし、OTOの第二位階の参入者は、正しく「魔術師」と呼ばれています。「魔術師」である以上、参入者は生活の中に魔術を適用し、また日々その法則に従い、人生の基盤とすることを強く推奨されます。
では、魔術日記を記すことのない一介の魔術マニアとOTOの「魔術師」の差異はどこにあるのでしょうか? それは前述した魔術の普遍的な法則を実践するか否かによって厳密に区別されるということになります。そこには明確なMagickの法則があり、その法則、または術式が彼をして「魔術師」たらしめているのです。彼は自信を持って、自らが「魔術師」であることを宣言することでしょう。

このように書くと、多くの人はOTOの内部には、秘めたる崇高なFormulaが存在していると誤解するかも知れません。クロウリーが明示したこの魔術の術式は決して特殊なものではありません。その術式を明確に知っていようがいまいが、それは人生を生き抜く為の極めて普遍的で語り尽くされた法則なのです。その法則は、あなたの創作活動に、ビジネスに、恋愛に、人間関係に、その他の大小様々な人生の諸問題に対処することができます。とはいえ、それを厳密に実行することは、そうそう容易なことではなく、OTOによる指導は優れた人生哲学の基盤となるでしょう。ちなみにクロウリーは、彼の代表的な著作である『魔術-理論と実践』の中で堂々とその術式について述べています。ただし、その記述方法にはヴェールがかけられているので、混乱を齎すものでしかないでしょう。

黄金の夜明け」団から発展したクロウリー自身の魔術結社A∴A∴は、厳格な試験団体であり、その目標はGreat Workの完成にあります。志願者は厳密精緻で固定的なカリキュラムに挑み、それを一つ一つ打破していかねばなりません。言わば、「生命の樹」の上昇という目標に対して、類まれなる思惟と行動で少しずつそれを実現していく力が必須です。A∴A∴は垂直上のGreat Workを指導し、そこからの逸脱を非難します。ただし、一つの転生における魂の発達に対しては、絶大なる力を持っています。西洋の秘教団体としては、東洋の洗練された修業体系に対抗できる唯一の体系であるといっても過言ではありません。対するOTOのアプローチは垂直的な上昇ではなく、平面的な敷衍を実現します。彼らは厳密な意味で、マルクト以上に飛翔することはありませんが、それ故にその対象は現実社会(マルクトたる王国)そのものに置かれています。その骨格には18世紀以降のフリーメイソンリーの秘教的枠組みが配置され、それを「セレマの法」によって刷新しています。OTOは、「セレマの法」を公的に受け入れた世界で最初の団体でもあります。

もしあなたが、「セレマの法」を微塵も受け入れるつもりがないならば、勿論OTOへの入団など及びもつかないことでしょう。他方、「セレマの法」に対する絶対的な関心がなくとも、OTOは志願者に対してその門戸を開放しています。この点に於いて、OTOが関心を持つ事柄は、あなたの最初の動機ではありません。「セレマの法」の四つの贈り物である<光>、<生命>、<愛>と<自由>は、OTOの第二位階の「魔術師」に開示される術式とリンクしています。私達は、それによってイニシエートの壮麗なピラミッドを建築するのです。

Love is the law, love under will.