let it kill me!

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

“Raの玉座の上に現れよ! Khuの道を開け!
Kaの道を照らせ!,Khabsの道がかけ抜ける!
われを奮起させるべく、またはわれを静めるべく
オウムよ!われを満たさせよ!”

これは『法の書』第三章37節に引用される「啓示のステーレー」の表側の碑文の意訳です。最近、OTOの首領である兄弟Hymenaeus Betaは、この37節の一部の文章の改定を正式に発表しました。37節の最後の一文、「われを満たさせよ!」(原文 Let it fill me) が正しくは「われを殺めさせよ!」(原文はLet it kill me!) であると発表したのです。
※2013年4月10日付け O.T.O. International ARCHIVAL NEWS
http://oto.org/news0413.html

もともと『法の書』に引用される「啓示のステーレー」の表側の碑文の意訳は1911年春分に公刊されたA∴A∴の機関誌『春秋分点』第一巻7号では”Fill me”ではなく、”Kill me”と印刷されていました。そしてこの記述は、1936年にロンドンのOTOが発行した『神々の春秋分点』(第三巻3号)にも引き継がれています。しかし、その後クロウリーやOTOによって出版された幾つかの主要な版に関しては”Fill me”と印刷されており、それが一般的化し、近年出版された様々な『法の書』は全て”Fill me”で統一されています。

しかし、南アフリカのOTOを指揮したトーマス・ウィンドラムの一人息子であるクライヴ・アレイスターが2012年にOTOに寄贈した多くの重要資料 (例えば、クロウリーとレイラ・ワッデルが署名したOTO南アフリカの特許状、ウィンドラムのA∴A∴の法衣、クロウリーのサイン入り初版本などなど) の中にそれがありました。1913年にロンドンから南アフリカに帰還するウィンドラムにクロウリーが贈った一冊の本、1909年に印刷された_Thelema_がそれです。_Thelema_はA∴A∴の正式団員のみに手渡された自家出版本で、この本には幾つかの「セレマの聖なる書物」が含まれていました。件の本には『法の書』、『聖三文字の書』、『アラリタの書』の3書が収録され、A∴A∴の2=9 ジェレイターに授与されるものでした。クロウリーから、ウィンドラムに贈られたこの本の『法の書』第三章37節の余白にクロウリーの直筆による”Fill me”から”Kill me”への変更が書き記されていたのです。

ウィンドラムは、1910年の8月にA∴A∴のプロベイショナーとなり、ハイスピードで団の6=5アデプタス・メジャーになった人物です。特にロンドンでクロウリーと共同で行ったエノク魔術の実践が有名です。また少し遅れてOTOにも参入、後にヨハネスブルグに拠点を置き、OTOのロッジを運営、団の第十位階を授与されました。ウィンドラムは1939年にこの世を去ります。彼の未亡人は多くの書籍や書類の処理についてクロウリーに相談しました。クロウリーからのアドバイスは、ウィンドラムの息子 (クライヴ・アレイスター) の為に、南アフリカで保管したらいかがだろうか、というものでした。そして数多くの魔術資料が長らく南アフリカの地に保管されることになったのです。

OTOオーストラリア・グランドロッジのグランド・マスター兄弟Shivaは、南アフリカの地に復活したOTOを長年支援しており、現地のクロウリー研究家クリント・ウォーレンを経由してクライヴ・アレイスターとの友好関係を築きました。そして2012年になってクライヴは、父トーマス・ウィンドラムの魔術遺産を米国にいるHymenaeus Betaへと寄贈したのです。_Thelema_に書き込まれた”Fill me”から”Kill me”の変更の書き込みは、正に100年後に現代OTOの首領に引き継がれたのです。

“Raの玉座の上に現れよ! Khuの道を開け!
Kaの道を照らせ! Khabsの道がかけ抜ける!
われを奮起させるべく、またはわれを静めるべく
オウムよ!われを殺めさせよ!”

アンク・アフ・ナ・コンスは、<満たされる>のではなく、<殺される>のです。彼は自ら死を選択するのですが、この死とは正に再生の為の<自我の死>となるでしょう。そして彼は畏怖すべき太陽の神として蘇生します。”Fill me”から”Kill me”への変更は、クロウリーが作成した、とあるA∴A∴の魔術儀式に正統性を与えるものです。

今後世界中で発行される『法の書』は、全て”Kill me!”に訂正の上、発行されることはいうまでもありません。

Love is the law, love under will.