Hadit Rising in the East

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

東京と大阪に本拠を置くO.T.O.の二つのロッジのメンバーは、先の秋分に京都のほぼ中央に位置する美山町に集合しました。日本において初めてのイニシエーションが行われ、O.T.O.の活動が開始されてから25年が経過したことを祝うことがその主目的です。このイベントは”Hadit Rising in the East”と名付けられ、Facebookや世界最大のセレマ情報サイトLashtal.com等を通じて世界に向けて情報発信されました。

O.T.O.は、日本において途切れることなく四半世紀もの間、活動継続している稀有な魔術団体だと云えると思います。勿論、四半世紀の間に中心となって活動しているメンバーの入れ替えはありました。ただ団としての活動は25年間一度も休止されることなく綿々と続いてきました。

日本おけるO.T.O.の活動は1988年に端を発しています。ではそのきっかけとなった団との最初の接点は何でしょうか? それは当時I∴O∴S∴によって発行された機関誌『ホルスの槍-O.T.O.特集』でした。I∴O∴S∴の主催者であった秋端さんが87年6月17日にカリフォルニア州バークレイにあった旧O.T.O. グランド・ロッジに送付した一枚の手紙と『ホルスの槍-O.T.O.特集』が日本とO.T.O.の最初の接点です。これに応ずる形でカリフォルニアの兄弟L.E.A.が、88年4月に日本を訪れることになります。その際の顛末は、秋端さんの手によって「魔術結社OTO日本支部結成ドキュメント」と題され、今は亡きトワイライトゾーン誌に掲載されました。この記事を読むと国際的な魔術結社の日本進出とO.T.O.の概要がコンスタントにまとめられており、当時のインパクトはそれなりに大きかったであろうことが想像できます。

日本で最初に設立されたO.T.O.の活動拠点は、東京のソティス・キャンプで89年2月のことでした。二番目の活動拠点は、現在も活動を続けるニヒル・キャンプで91年に活動を開始しています。95-96年になると三つのキャンプが活動を開始します。私がかつて大阪に開いたSky Goddess Nuキャンプは、この時に設立された三つのキャンプの内の一つです。この当時、1990年代後半は五つの活動拠点が並行活動していたのですが、関東エリアでは統廃合によりニヒル・オアシス(当時)に吸収されていくことになります。後に川崎にマスガタ・キャンプが設立されますが(2004年)、5年弱の活動でその幕を閉じています。
現在はご存知の方も多いでしょうが、東京地区にニヒル・ロッジが、大阪地区にSky Goddess Nuロッジがそれぞれ本拠を置き、オープンな勉強会も含め定期的に活動しています。

我々O.T.O.が四半世紀もの間、日本で活動を継続できた最大の要因は、常に新しいメンバーが加わり続けてきたことにあります。とはいってもO.T.O.のアクティブなメンバーが年々増加している訳ではありません。O.T.O.の活動から離れる人も一定数いて、それと同時に新参入者が入ってきますので、大凡O.T.O. Japanのメンバーの数は、ここ10年一定していると云えると思います。今回の25周年イベントは、参入者のみ参加可能な外部には閉じられたイベントでしたが、5つのワークショップとグノーシスのミサによって構成された贅沢なものでした。次のO.T.O. Japanイベントについては、詳細は未定ですが公開のイベントも企画できるよう頑張ります。

O.T.O. Japanは今後も休むことなく活動を継続していきます。前述したように常に新しいメンバーが加わってきますし、日本人だけの団体ではありませんので、恐らくその活動が休止されることはないでしょう。今後はグノーシスカソリック教会(E.G.C.)の活動がより強化され、また公開の勉強会にも面白い題材を採り上げていきます。O.T.O. Japanは少しずつではありますが、常に成長していっていると実感しています。

Love is the law, love under will.