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Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

アレイスター・クロウリーと、過去この日記でも取り上げたことのある彼の弟子、チャールズ・スタンズフェルド・ジョーンズ(フラター・エイカド)の蜜月関係が崩れた本当の理由をご存知でしょうか? ジョーンズは、自費出版された彼の幾つかのカバラに関する著作の中で、「黄金の夜明け」団が確立した生命の樹とタローの対応を逆さまにしました。クロウリーのジョーンズの著作に対する評価はなかなか辛辣で、時にジョーンズは師の怒りを買ったといえます。とはいえ、『法の書』の秘密の鍵である”AL = 31 =LA” を発見した有能な弟子にして、魔術的な息子でもあるジョーンズをクロウリーは特別視し、常に賞賛していました。クロウリーは当初、深淵横断を誓い、「神殿のマスター」8=3を宣言したジョーンズに狂喜していました。ジョーンズは、クロウリーにとって『法の書』の真偽に対する回答でもあり、生き証人でもあったのです。ことO.T.O.内においては、1921年ジョーンズは北米のグランド・マスター 第10位階を団の長であるセオドア・ルイスから拝命し、同じく英国圏のグランド・マスターであるクロウリーと肩を並べるまでになっています。
1929年、ローマ・カトリックの堅信礼を受けたジョーンズの精神は、徐々に変質していきます。驚くことに彼は、ローマ・カトリック教会で授かったJohnを自分のフルネームの中心に配置し、Charles Robert Iohn Stansfeld Iohes、即ち “CHRISTI” を自負するようになります。挙句の果てに、後年彼は<真理と正義のアイオン>、Aeon of MAATの幕開けの開始を宣言しています。

さて、クロウリーとジョーンズの間に亀裂が走った真の原因は、実は”魔術的”な要因ではありませんでした。渡米時代のクロウリーは、彼が所有する重要な書物をジョーンズが管理するデトロイトの倉庫に預けていました (ジョーンズは一時的にカナダからデトロイトに転居してきていました)。アメリカ生活に終止符を打ち、ヨーロッパへと帰還したクロウリーは、件の書物が倉庫で紛失していた事に気付いたのです。哀れジョーンズはこともあろうか、師から<書籍泥棒>の嫌疑をかけられたのです。身の潔白を訴えるジョーンズに対して、クロウリーは弟子への疑いを深めていきます。

結果的にいうとジョーンズは潔白でした。クロウリーとジョーンズの死後何年も経って、書籍は同倉庫で発見されています。現在はクロウリー・コレクションの一部としてオースティンのテキサス大学にあるハリー・ランソン人文研究センターに保存されています。

さて、この亀裂が生じた後に、ジョーンズの研究成果と論考の出版が始まります。クロウリーが、ジョーンズの本を手に取りながら、自分が大切にしていた書籍を盗んだ憎い男が書いた本、と怒り冷めやらぬ体で読んでいたのかどうかは想像するしかありませんが、いずれにしてもジョーンズは、クロウリーからこういった誤解を受け続けていたのです。

魔術師の知識の拠り所である書物は、時にこのようなトラブルに発展する可能性があるぐらいに魔術師にとっては重要なものなのです。かくゆう私の私室も壁一面が魔術の専門書で埋め尽くされています。特に年代もの、絶版もの、少部数限定もの、著者直筆サイン入りもの等、大切にする要因は様々にあります。私に限っていうと、魔術書を沢山所蔵していても、定期的に本棚から取り出している最重要な書物、「読む」本は実は10冊にも満たないことに気付きました。そう他の多くの書物は、殆ど私に読まれることはないのです!

今日は、そんな大切な本の中から三冊だけ簡単に紹介したいと思います。


1. The Holy Books of Thelema, (Equinox, Vol 3, No 9) Samuel Weiser 1990

これはほぼ毎日手に取る最重要文献です。クロウリーが1904年に受け取った『法の書』を始め、A∴A∴の全てのA級刊行物が一冊に纏められています。ちなみにA∴A∴には魔術文書の等級付けに関して一般的に下記のような分類が存在しています。

・A級刊行物は、文字のスタイルすら大幅に変わることがないであろう書物から成る。つまり、それらは、団の可視なる首領の批判さえ受け付けない完全なる達人の発言を表現している。
・B級刊行物は、通常の研鑽、ないしは啓発、熱意の結果得られた書物または随筆より成る。
・C級刊行物 は、他に比べ、むしろ示唆的な内容から成る。
・D級刊行物は、公式の儀式群と指導から成る。
・E級刊行物は、公式発表と広範配布物から成る。

この本は、当時のO.T.O.のカリフであった故グラディー・ルイス・マクマートリーの素晴らしい序文付きで出版されました。ただ近年になって、実はこの序文を書いたのは、現在のO.T.O.の国際的リーダーであるハイメナエウス・ベータであることが暴露され、驚かされました。A級刊行物は、カバラ的な符号が散りばめられた散文詩であり、その内容は一読しただけでは到底理解できない代物です。多くのセレマイトにとって、『法の書』を除く、他の12の書物は放置されがちです。ところがクロウリーが残した膨大な魔術遺産にアクセスする為には、13種のA級刊行物を隈なく熟読する必要があります。これらのA級刊行物は、何度読んでもその度毎に新たな発見の絶えない稀有な魔術書群です。

この本を入手したのは、確か1990年頃だと思いますが、本当の意味で深く読み始めたのは大体10年ぐらい前からです。この本を深く読み進めることによって、今までの自分のクロウリーの文献理解がいかに表層的だったかを思い知らされることになりました。


2. Commentaries on the Holy Books and Other Papers: The Equinox (Equinox, Vol 4, No 1) Samuel Weiser 1996

上記 A級刊行物の中から『第65の書』を取り上げ、またその書に対するクロウリーの詳細な解説を含んでいます。『第65の書』、即ち、『蛇を帯びる心臓の書』は志願者と彼/彼女の聖守護天使との関係に言及した美しくも難解な書です。A級刊行物の中では聖守護天使は常にアドナイ Adonai と呼ばれます。この書の中には、志願者が天使への憧憬と歓喜に打ち震える様が壮麗に描写されています。ここに描かれている天使と志願者の関係はアドナイの<口>である<彼>によって仲介されます。これもまた神秘のヴェールに包まれたパズルの断片です。A∴A∴の0=0プロベイショナーは、五章からなるこの書の内の任意選択の一章を全て原文で暗記し、指導者の前で一語一句正確に復唱する義務があります。

魔術結社としてのA∴A∴の概略やマニフェストも含むため、主にクロウリーが捉えたA∴A∴のイデオロギーや解説を読むことができます。この本に初めて収録されたクロウリーの『オカルティズム』は短くも有益なエッセイでA∴A∴の0=0 プロベイショナーの試験 (事実上のA∴A∴の最初の入会試験)のサンプルも含まれています。またニオファイト1=10のアストラル幻視の試験サンプルも収録されています。

貴重なのは、A∴A∴の自己参入儀礼「ピラミッドの書」のフルカラー オリジナル手稿です。クロウリー独特のあのタッチで描かれた儀式の象徴群と儀式文を読むことができます。構築されたピラミッドの内部で体験される畏怖と驚嘆の参入儀礼クロウリーによって『門の書』として書き記されました。『ピラミッドの書』は、『門の書』を下敷きにした自己参入版ですが、同時に『門の書』を想起するための反復儀礼としても活用されます。『ピラミッドの書』自体は、インターネットでも簡単に見つかりますが、恐らく秘密の解説書がない限り、その内容は解読不可能だと思います。

この本は、出版直後に入手しました。その後、A∴A∴を理解する為の最良の解説書として何度も何度も読み続け現在に至っています。ちなみに私が所有しているこの初版本にはA∴A∴のプレモンストレーターとインペレーターに直接目の前で直筆サインをいただきました。外部にはイニシャルでしか公表されていない彼らの真の魔法名が書き記されており、その意味でも私にとってはとても貴重な本です。


3. Initiation in the Aeon of the Child: The Inward Journey
J. Daniel Gunther, Ibis Press 2009

今まで何回この本を推薦してきたか分からない程にイチオシの本がこれです。発表されて5年経っても、全く色褪せない名著中の名著です。ただここ日本は勿論のこと、世界を見渡してみても、この本の価値を本当に理解している人はかなり少数だと思います。その理由はまず単純に極めて難解な本であるということが挙げられると思います。確かにダニエルは、既にクロウリーの主要書籍に精通し、A級刊行物を読み、クロウリー流のカバラに長けた読者を想定している節があります。更に、ユダヤ-キリスト教古代エジプト学、ユング心理学錬金術等のセオリーにもある一定の知識があることが要求されます。また更にA∴A∴の参入者でなければ意味不明であろう記述も散見されます。従って、この本は何度も何度も繰り返し読むことが要求されます。そしてこの本が有している魔術的な叡智は、おそらく近年出版された無数の魔術書群(クロウリーの死後〜)の中で文句なしの突出No.1です。比較し得る書籍は他に全く存在しないというのが私の意見です。

では何故そこまで突出していると感じるのか? 端的にいうと彼は、西洋秘教伝統の「目的」と「方法論」をすっかり刷新してしまったからです。勿論、ベースとしてクロウリーの文献があったことは確かですが、彼の際立った点は、クロウリーは勿論、クロウリーの追従者達が陥った間違いを明確に指摘し、そこに新たな視点を齎したことです。勿論、ダニエルに対するこのような評価は、日本ではまだ理解されないでしょう。ちなみに私は本当の意味でこの本を深く読みこんだ人に日本ではまだ会ったことがありません。しかし、近い将来、その真の価値を理解した人と思う存分、この本について語り合える日がくると信じています。

この本の出版の噂が出てから2,3年してようやく現物を手に入れた時の感動は忘れられません。想像していたよりも薄い本だなとは思いましたが、その内容にどんどん引き込まれていきました。本が出版されて2年後に、本の著者ダニエルに会ったわけですが、その時は緊張しました。連続講義の一日目が始まる前日の渋谷。私はオーストラリアのグランド・マスター、兄弟Shivaと共にホテルの一室にいました。暫くするとShivaは私をDanielの部屋へと連れて行きました。大柄なダニエルは、快くこの本にサインしてくれました。ただし、彼は少し怪訝そうに私が差し出した本を眺めています。何故かって? 出版されてから2年。私は何度も何度もその本を読み、付箋を付け、傍線を引きました。そう私の本は、まるで古書屋で売られている2,30年前のくたびれた古本のような有様になっていたのです。
そして私は、今もこの本をほぼ毎日読み続けています。

Love is the law, love under will.