日本語Gnostic Mass

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


2016年6月26日東京都内某所。さして広くない神殿スペースはO.T.O.の中核儀式「グノーシスのミサ」の美しい装飾と海外・国内から参集した40人程の参列者で溢れ返っていました。この日行われたミサは、本邦初となる日本語による「グノーシスのミサ」です。これまでNihil Lodgeを中心として日本で祝祭されてきた「グノーシスのミサ」は全てアレイスター・クロウリーが書き記した言語、即ち英語で祝祭されてきました。今回の日本語のミサは私のFacebook pageで簡単な告知が出されるや否や、瞬く間に世界中からお祝いと激励の書き込み、メッセージを頂きました。またO.T.O. 米国グランド・ロッジのBlogでも取り上げていただき、その反響の大きさに驚きました。日本人が、彼らの第一言語でミサを祝祭する、そのことは我々が追及するThelemaの径が確実に日本で拡大していくであろう一つの証左として彼らの眼に映ったのだと私は想像しています。


グノーシスのミサは、我々の啓明と参入の公的礼拝であり、OTO の神学による解放の祝祭である」と定義した兄弟Shivaは、ある時私にこう言いました。「多くの人が、O.T.O.の兄弟姉妹であろうともミサを大いに誤解している」と。「グノーシスのミサ」に対して誤解している人々は、それをPerformするという表現をしばしば用います。ミサを表面的に、即ちセッティングの美しさやドラマティックな演出にだけ着目すると確かにそれは一種の舞台芸術の類であると言えます。一方、ミサの内容に踏み込み、その魔術的・哲学的・宗教的エッセンスに触れた人達は決してそれをPerformするとは表現せず、Celebrate祝祭すると表現します。ここにミサの存在意義そのものがあります。

グノーシスのミサ」が参列者に与える重大な示唆は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人間性の主体の奪還にあります。「我の中にありて、神に非ざるものなし」という宣言、新たな神学に基づく人間の主体性の自覚と解放こそがミサの重要な働きであり、それは人々に微睡からの「覚醒」をもたらします。ミサが含む聖餐式において参列者は、主の肉体と血を、「光のケーキ」と「葡萄酒」という形で体内に摂取します。そして、聖化された秘蹟を摂取する時、正に「聖人達との霊的交流」と呼ばれる不可視の力流とのCommunionが成立します。さて私たちが摂取する聖餐とは実際の所、「混沌」と「ババロン」の子供、両性具有の「バフォメット」の肉体と血です。ここにクロウリーが「グノーシスのミサ」に付与した番号XV (15) の意味が明らかになります。そうタローにおけるAtu XVとは即ち「悪魔」です。さて私たちのグノーシスカトリック教会のミサとは単なる悪魔崇拝儀礼なのでしょうか? あなたはミサに対する興味を失うかも知れません。ここで悪魔 = パフォメットのヴェイルを剥ぎ取る為に、少しだけ解説が必要であると思われます。

グノーシスのミサ」において参列者総員が読み上げるグノーシスカトリック教会の「信条」にはバフォメットの秘密に関する有益なヒントが隠されています。

“そして、我は〈叡智の洗礼〉を認め、ここに我らは〈顕現の神秘〉を成し遂げる。”

クロウリーが影響を受けた東洋学者ジョセフ・フレイハー・ボン・ハマー・パーグスタールによれば、バフォメットとは< バフェ ・ メティス >、即ち「叡智の洗礼」を意味します。アレイスター・クロウリーの解釈によるとそれはまたBAFOMIThR < 父ミトラ >となり、それは牧神パン (Pan Pangenetor、 All-Begetter )、タロット・カードの< 悪魔 >を示唆します。バフォメットは両性具有で、それはまたO.T.O.の至高聖王としてのクロウリーの名前でもあります。クロウリーはバフォメットについて『アレフの書』にこう記しています。

“それ故に彼は真の魔術のシンボルであり、その名はバフォメットである。私はトートの15番目の札として彼をデザインした。それは私がかつてアルフォンス・ルイス・コンスタントとして受肉していた時代のことだ。私は、大達人としての魔術の綜合の仕事として『高等魔術の教理と祭儀』を書き、その第二部の最初に彼のイメージを掲載した”


クロウリーはかつての聖堂騎士団が崇拝したとされる悪魔バフォメットの滑稽な偶像を換骨奪胎し、真の魔術のシンボルとして聖化したのです。そしてバフォメットは叡智と完成のヒエログリフであり、太陽の座ティファレトに君臨し宣言します。「分解し、また統合せよ」。更にバフォメットは「全」たる「創造者」です。A’ASHアアシ (アイン、シン) は「創造」を意味するヘブライ語で、その数値は370です。A∴A∴のA級刊行文書『第370の書、山羊の精霊の書、または創造の書』は高らかにこう述べます。

“汝は「眼」と「歯」、山羊の精霊、創造の主として私を崇める。私は三角形の中の眼で汝が崇める銀の星である。私はバフォメット、そは「三」を均衡させる八重の言葉なり”


アレイスター・クロウリーが解釈した名前、BAFOMIThR < 父ミトラ > は「グノーシスのミサ」の秘密を紐解く重要な綴りとなっています。その神の名は三つの母音を含んだ八文字の言葉でもあります。そして神ミトラはミサで司祭が帳を開く際に召喚される神の一人です。

“ IÔ IÔ IÔ IAÔ SABAÔ KURIE ABRASAX KURIE MEITHRAS KURIE PHALLE .
IÔ PAN, IÔ PAN PAN IÔ ISKHUROS, IÔ ATHANATOS IÔ ABROTOS IÔ IAÔ.
KHAIRE PHALLE KHAIRE PAMPHAGE KHAIRE PANGENETÔR.
HAGIOS, HAGIOS, HAGIOS IAÔ. “< 父ミトラ > は蛇杖Caduceusを持つ獅子頭の神で、クロウリーが重要視した神格 < Lion-Serpent > そのものです。「獅子-蛇」はトート・タローの「欲望」の札に表象される「混沌」と「ババロン」の結合を表し、バフォメットの出現を示唆しています。「欲望」の札に対応するヘブライ文字は「テス」でその意味は「蛇」です。またこの札には「獅子宮」が対応しています。「欲望」の札は、「グノーシスのミサ」のダイナミックな力流と「Lion - Serpent」の秘儀を単一で表象する特別な札だといえます。「グノーシスのミサ」ではこの強大な獅子-蛇の神が司祭によって召喚されます。

おお〈獅子〉よ、おお〈蛇〉よ、破壊者を破壊したる者よ、我らの中で強くなりたまえ。
おお〈獅子〉よ、おお〈蛇〉よ、破壊者を破壊したる者よ、我らの中で強くなりたまえ。
おお〈獅子〉よ、おお〈蛇〉よ、破壊者を破壊したる者よ、我らの中で強くなりたまえ。


グノーシスのミサ」は、その内にOTO の最奥義である第九位階の秘儀を含んでいます。トート・タローの「欲望」の札に描かれている相反する二者 ( 男と女、太陽と月、シヴァとシャクティ、司祭と女司祭など ) の「意志の下にある愛」による結合と、それに続く子供の誕生は、確かにO.T.O.を社会的科学的啓明主義者たらしめている基盤の論理です。カバラ的な設定に基づき、「生命の樹」が再現された神殿、眠れる魂を呼び覚ます「復活の契約」、「聖者たちとの霊的交流」、秘蹟拝受 = バフォメットの肉体と血の摂取、「人間 = 神」の宣言、そして、そこには「大作業 Great Work」の大いなる叡智が脈動しています。

グノーシスのミサ」の冒頭で、助祭と参列者によって詠唱される「信条」、この中にこそ正にミサのエッセンスの全てが語られています。ミサに初めて参列した多くの人達にとって、それは不可解な言葉の羅列に過ぎません。勿論、容易にその意味を推し量ることは困難です。しかし「信条」に込められた無限の叡智は、全ての参列者にアイオンの真実を如実に語りかけるでしょう。 「信条」をここに引用します。


“ 我は信じる、一なる秘密にして口にしてはならない《主》を。
〈星の仲間〉の中の一つの〈星〉の火で我らは創られ、そこへ戻っていく。
〈生命〉の〈父〉、〈神秘の神秘〉、その名を《混沌》、〈大地〉に於ける唯一の
〈太陽〉の副執政、息をするすべてのものを養う〈空気〉を。
 そして、我は信じる、〈大地〉、我らすべての〈母〉、すべての人間を生み、
そこに休む〈子宮〉、〈神秘の神秘〉、その彼女の名《ババロン》。
 そして、我は信じる、〈蛇〉と〈ライオン〉を、〈神秘の神秘〉を、その彼の名《バフォメット》。
 そして、我は信じる、〈グノーシス〉と〈光の〉〈生命〉、〈愛〉、〈自由〉の〈カトリック教会〉を、
その〈法の言葉〉は《セレマ》だと。
 そして、我は信じる、〈聖人達〉の交わりを。
 そして、肉と飲み物は日々我らの精神的な物質の中に変化しているため、我は〈ミサの奇跡〉を信じる。
 そして、我は〈叡智の洗礼〉を認め、ここに我らは〈顕現の神秘〉を成し遂げる。
 そして、我は我が命一つ、個人のそして過去、現在、未来に永遠のものであることを認める。
 AUMGN。AUMGN。AUMGN。”



グノーシスのミサ」が内包する叡智はアイオンの魂にして、「復活の契約」の証でもあります。またその儀礼は私が個人的に「血の循環」と呼ぶ、A∴A∴とO.T.O.の二重性を機能的に完成させる壮麗な祝祭です。それは明らかに単なるPerformanceや演劇ではありません。それは観るものではなく自らが参加するものです。鑑賞ではなく自発的参画を私たちに促すものです。

最後に初の日本語の「グノーシスのミサ」祝祭に当たり惜しみない労力をご提供いただいたDeus Solis Ra CampのSr. C.E.S.とFr. V.C.S., 二人の子供達 Fr. AizenとSr. O.I.L.、そして参列いただいた国内外の全ての兄弟姉妹、ならびに友人たちに深く感謝申し上げます。

Love is the law, love under will.