Flash of Awakening申し込み開始

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

8月29日(土) 開催のFlash of Awakening “ 西洋魔術講義イベント〜西洋魔術と意識の新たなる目覚め〜 ” の申し込みサイトが立ち上がりました。

http://lvxtokyo.com/

現役の魔術師3名が、自らの経験を通じて得られた魔術世界の魅力とその基礎的要素、そして「大いなる旅路」の本質について分かり易く解説します。最後のセッションでは、「なぜ魔術の道を選んだのか、自分にとって魔術とはなにか?魔術の道でなにを達成したいのか?」などをテーマにしたパネル・ディスカッションが行われます。魔術の径の門の前に佇み、その門を越えることに躊躇している方がいらっしゃいましたら、是非このディスカッションを参考にしてみて下さい。きっと何かが得られると思います。

そう、このイベントは、西洋魔術を始めようとしている魔術師志願者の方々や、既に関心はあるけれども、なかなか径に踏みこめないでいる方々、そして魔術とは異なる霊的発達の径を歩んでこられた方々に、様々なヒントを提供する目的で企画されました。魔術といえば、中世の仰々しい魔法円と、途切れることのない呪文の数々、悪魔や精霊との契約などの古めかしい光景を想起される方も多いのではないでしょうか。現代魔術の潮流は20世紀に入るとともに、そして現代魔術結社の草分け「黄金の夜明け」団の設立とともに新しい局面を迎えました。そのプロセスと転換を端的に表現するとするならば「魔術は発展途上ではあるが、体系化された学問であり、実際に機能する実践的な修行体系として昇華・刷新されるに至った」ということになるでしょうか。


当日の私のお題目は、下記の三つです。

・「西洋魔術結社の歴史」
現代魔術の復活を招来した英国の魔術結社「黄金の夜明け」団。19世紀末から21世紀にかけての激動のオカルト・リバイバルの歴史の中から近代魔術の主な動きと流れを概説する。

・「魔術師の教理と実践」
西洋魔術のDNAにして霊的発達訓練の基礎ともなるカバラ、また実践カバラの技法として洗練され、進歩し続ける儀式魔術のエッセンス、更に魔術結社の秘密のイニシエーションの基本構造を概説する。

・「現代日本で活動する魔術師達」
極東の地、ここ日本でも活動する魔術師達とその結社。その知られざる実態 (?) と日々の魔法生活をほんの少しだけ暴露。

近代魔術結社の沿革や魔術師の霊的発達のテクニックは、書籍等で学ぶことも可能です。ただ最後の「現代日本で活動する魔術師達」だけは、ここだけで聞けるお話です。主に自分の取り組みについて語る予定ですが、私の魔術仲間の皆さん、私にその実態を勝手に暴かれないように注意して下さいね。

では、皆様とお会いできることを楽しみにしております。

Love is the law, love under will.

Flash of Awakening

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

西洋の秘教哲学の根底を形成するヘルメス学。それは叡智の霊脈として、現代を生きる我々日本人の魂にとっても決して異質なものではありません。現代の薔薇十字伝統の発展を俯瞰すると、そこには数多ある拡散した霊的伝統を綜合した達人達の存在と、彼らが所属した一つの集団がすぐさま思い浮かびます。西洋の秘教伝統、或いは西洋魔術の伝統は、19世紀末に英国で設立された魔術結社「黄金の夜明け」団によって進化・刷新されました。そして現代魔術体系の根幹を成す基礎は、そこで醸成されました。ヘルメス学の綜合を可能足らしめた叡智の体系は、カバラと呼ばれるユダヤ密教キリスト教化、或いは非民族宗教化によってニュートラルな万物照応フレームワーク・システムとして発展してきました。その中核を成す曼荼羅こそが「生命の樹」とよばれる宇宙原理の図式化です。10のセフィロトと22本の小径によって構築されるこの曼荼羅は、万物を分類し、分析する手法を発展させ、そこに魂の進化を目的とした一連の秘教哲学とイニシエーションを紐付けることに成功しました。一般的に、我々にも馴染み深いタロットは、「黄金の夜明け」団以降、この西洋の曼荼羅生命の樹」と密接に関連したカバラの絵文字として発展してきました。

タロットとは78枚から成り、我々の知る限りにおいてそれは霊的成長を促進し、叡智へと導く象徴図形の一組のセットです。78枚の全てのカードが「生命の樹」に固有の「場」を有し、整然と「樹」と対応しています。タロットが表象する寓意と象徴群は、やがて思考を超えた無意識の奥深い領域を少しずつ刺激していき、後には単なる物質にしか過ぎなかったカードと魔術師の魂との間に無数の通路が形成されるようになります。象徴が一度、魂に投げ込まれると、それに呼応した無意識の領域は活性化され、実在的な心的エネルギーが喚起されます。タロットとは生ける象徴群であり、内在するエネルギーを解放する秘密の鍵であると同時に、混乱した魂に調和と知恵を齎す魔術師の最重要ツールです。

訓練を積んだ魔術師はやがて、タロットの各札には「精霊」が宿ると述べます。「精霊」とはその実、魔術師自身の分身であり、活性化されたアーキタイプなのですが、それらの「精霊」は霊的径のみならず、日常生活のあらゆる局面において魔術師を導き、助けます。魔術師はタロットの鍵に整然と収められた大宇宙と小宇宙の法則と働きを見出します。即ち、その中には小宇宙である彼自身の魂の内容物――克服すべき試練や歓喜への入り口が、全て図示されているのです。従って、ヘルメス学の観点から観たタロットは、単なる占いの道具ではなく、カバラの「生命の樹」と密接に対応した秘教学の百科全書でもあるのです。この体系を徹底的に、そして緻密に構築した魔術師が、ポール・フォスター・ケース( 1884-1954 )です。

彼が設立した魔術結社Builders of the Adytum ( B.O.T.A. )の影響力は米国を中心にヨーロッパ、ニュージーランド、南米など世界各地で重要な位置を占め、高い評価を得ています。現在活躍中の第一線級魔術師の多くが、B.O.T.A.の優れたタロットとカバラのレッスンの恩恵を受けています。かくゆう私も、かつてこのB.O.T.A.のレッスンを学び、タロットが魂の血肉となっていく過程を直接体験しました。B.O.T.A.に参加する2年前、私はある魔術結社に参加し、魔術のトレーニングを進めていました。この結社はB.O.T.A.の教えを継承し、更に儀式魔術と集団儀礼の要素を活性化させた集団で、現在世界各国に支部を有しています。この団体は、Fraternity of the Hidden Light (F.L.O.) と呼ばれる「黄金の夜明け」系結社です。この結社はやがて日本にも進出し、東京で活発な儀式活動が展開されることになりました。かつてF.L.O.の支部で共に活動した友人Soror Kさんからお誘いを頂き、今回「Flash of Awakening」〜西洋魔術と意識の新たなる目覚め〜という連続講義に参加させていただくことになりました。

Flash of Awakening」の目的はカバラやタロット、儀式魔術のことを、まだよく知らない西洋魔術の初心者の皆さんに、その概要と魅力を伝えることです。西洋魔術式の魂の発達と変性について、十分な知識がない方々にも分かり易い内容を心掛け、幅広くオカルト、スピリチュアリズム、ニュー・エイジ思想に興味がある人達も含めて広く門戸を開放する方針のイベントです。事務局からの連絡によると今月末頃から申し込みの受付を開始されるそうなので、続報が届き次第、またこちらにも書かせていただきます。

Love is the law, love under will.

魔術結社への参入に際して

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

魔術の世界観に初めて接し、驚嘆し、触発された若き日のことを今でもよく覚えています。魔術の世界観は、それまでの無味乾燥で平坦な世界観に対するもう一つの解答にして解釈であり、精神の秘めたる可能性を鼓舞するものでした。私の場合は、魔術の世界観に触れると同時に魔術結社への参入に想いを馳せるようになりました。魔術結社が有する訓練課程、知識講義、参入儀式のプロセスは、自分自身の探究の径に対する有効な触媒であると直感的に感じたからです。今日に於いても、そのような想いを抱く志願者の皆さんから定期的にコンタクトをいただき、また質問に答えてきました。そのような際には、いつも若き日の自分自身の有様を想起します。

ところで魔術結社への参入を希望するということに本当に意味があるのでしょうか? この問いに答えることは実はそう簡単なことではありません。何故でしょう? もしその問いに対してシンプルに答えるとするならば、「魔術の実像を描けない志願者は、容易に落胆し、容易に結社から去る」という事実を挙げることが出来ます。実際、そのような場面を沢山見てきました。ところで魔術の実像を描く、とは如何なる行為なのでしょうか? 今から15年程前に書いた私自身の文章を少し、引用してみます。

“魔術とは第一義的に意志の力を行使した、変成の技術体系全般を指す。これは無意識的・恣意的・強制的なあらゆる「意図しない」ぜんまい仕掛けとしての有機体的所作からの脱却である。魔術とは知性によって制御されたかに見える事物の裏面に流れる、より自然な宇宙原理を召喚し、その力流に同調する一連のテクノロジーを提供する。従って魔術の力動的底辺を稼動させ、全体を整え、目的へと導く有機体の制御部位を我々は「意志」(Will)と命名する。意志は変成への最初の憧憬であり、慄然とした方向性の確立であり、実践魔術の燃料にして、統率者である。意志は畏怖の念に溢れてはいるが、決して恐れることはない。意志は恍惚を求める不可避の、そして魂の最上の中核との融合へと向かう。事実、魔術の修行は、この意志の発見と訓練に多大な時間を要するのである。我々は、我々が普段語り得る、目的への飽くなき渇望以上に意志について語ることは困難である。何故ならば、意志を磨き、それを発現/昇華させた術者は、それのみで既に「大いなる作業(The Great Work)の殆どを達成したことになるからである。”

一般的・平均的志願者は、長期間の訓練課程抜きに魔術の技を会得できるのではないかという幻想に苛まれます。しかし、この世には、そんな安易で荒唐無稽な幻術の如きものは存在しません。ある一定の効果を得る為には、精神修養を基礎とした断続的、且つ能動的な訓練課程への従事が必須です。その過程は、曖昧で非科学的なものではありません。名のある魔術結社は、合理的で理路整然とした常識あるカリキュラムを保持し、学徒に提供しています。またそこにはいささか複雑で労力が求められる献身の径が待ち受けています。魔術修行への憧れは、すぐに吹き飛んでしまうかも知れません。その為に、私達は、正直に自分自身を見据える必要があります。

さらに私が書いた古い文章から引用します。

“ 魔術とは行動であり、実証主義による再定義を求める。個々の魔術師はそれぞれが、異なる感性と能力を有しているが故に、実践魔術においては細分化された数学的公式を構築することが不可能である。 反面、知識なき行動は危険を伴う。我々は召喚する神々以上に、我々自身のプシュケーに対する注意と観察、更には理解が必要である。魔術は決して 説明不可能な奇跡や非科学的心霊現象を引き起こすことはない。聖別された魔法円に侵入してくる悪魔は、魔術師の外に存在しているのではない。常に彼と同居し、彼を内側から侵害しているのだ。故に正しい動機は正しい結果をもたらす。”

混沌魔術が敷衍し、即効性がある実用的な魔術アイテムとして紹介したA・O・スペアの「シジルの技法」については、補足しておく必要があります。ジグムント・フロイトの擁護者であったスペアは、自我を欲望達成の為の阻害因子と位置付け、無意識操作による呪術の有効性を唱えました。そして、彼はフロイトの「抑圧」の概念を逆転し、応用する技法を編み出したのです。抑圧とは簡単に云うと、自我を脅かす願望や欲望を、自我が意識から追い出し、無意識下に押し込めてしまう事象を指します。例えば、人は「やってはいけない全ての事」に憧れを持ち、しかしながらそれを理性の力で克服しようと葛藤します。それが性的なことであれ、なんであれ彼は否定しようのない倫理感に基づき、それを抑圧します。すると抑圧された欲望は、自我の封印に対し静かなる反逆を起こし、意識に浮上しようとします。自我は疲弊し、時には「魔がさした」かのように抑圧した欲望に翻弄され、予期せぬ行動に駆り立てられるのです。スペアのシジル魔術の原理は、このプロセスを逆転させることによって成立します。つまり、予め定義された欲望は、自我が判別不可能なシジルへと変換された後に、故意に無意識に埋め込まれます。自我は意図的にこの欲望を忘却し、それを呪術の源泉である無意識下に沈めるのです。しかし、賢明なる読者の皆さんが想像する通り、シジルが実現してくれる願望の実現範囲はそう広くありません。何故なら、それは単にフロイトの抑圧のメカニズムを逆応用しただけのシンプルな技法をその基礎を置いているからです。欲望をシジル化し、故意に無意識に沈め、欲望の発露を促したところで「一か月以内に宝くじで一億円当てる」という願望は叶いようがありません。スペアの体系の核は「自己愛」(それはナルシシズムとは相容れない深遠なる魔術哲学です) を中心とした自己の本質の獲得にあります。もし彼のシジル魔術が万能であったならば ---それは彼の芸術に対しては万能であったかもしれませんが---彼の晩年の薄暗いアパートでの猫達との生活は、もっと光に溢れたものになっていたでしょう。彼の述べる中間性概念 「Neither / Neither あれでもなく / これでもなく」 は元々、インドのウパニシャッドに登場する概念です。少なくとも彼が述べる難解なゾス・キア・カルタスの教理の根幹は、大乗仏教中観派の「空」の概念によって、既により十全に語り尽くされています。彼は西洋では異端であり、革新的であったかも知れませんが、東洋では2,000年前から議論されていたテーマの再来であり、実はそんなに革新的な哲学体系ではありません。
ネットを散策していると時にこのシジル魔術を無防備に礼賛し、なんにでも効力のある最もシンプルで強力な魔術であるという記述を目にすることがあります。これは無知による誤解が原因としてあるのでしょうが、実際にシジルの技法を有効に活用し、効果を出す為には、長期間に亘る訓練課程が必要であることは言うまでもありません。一時は一世を風靡した混沌魔術ですが、残念ながら、今では最も退屈な魔術の一ジャンルになってしまっているようです。

魔術結社への参入を求める際に必要なことは、「魔術の実像」を描いた上で、自分に合った正しい団を選択することです。さて、あなたは魔術結社に何を求めるでしょうか?

“ 魔術を行うことの意味と目的意識を理解することなくして、魔術的知識と技術の発達は困難である。個々の魔術師にとっての正しい動機とその目的は、<我々の問題>ではなく、<彼/女自身の問題>である。作業を始めるにあたって、自問すべき問題は三つある。
「あなたの最終目標は何か?」
「あなたは何を欲するのか?」
「何故、あなたはイニシエーションを求めるのか?」
あらゆる魔術師にとって、その目標は一つであるとは限らない。また、目標や求める対象が時間の経過と共に変化ないし進化する場合もままある。しかし、現時点におけるあなたの志と目標の分析は、あなたにとっての正しい動機を探るという意図以上に、あなたとプシュケーとの綿密な関係への第一歩になるだろう。もし、この時点であなたが「意志」の朧げな輪郭をほんの少しでも垣間見ることができれば、この自問の意味はとてつもなく大きなものになる。正しい動機は意志を強化し、目的を明確にする筈である。不確定な意志は一時の気の迷い程度の労力しか生み出さず、故にそれに見合った結果しかもたらさない。”

実際には、なぜ魔術結社への参入を求めるか? を正しく定義し、理解することはそう簡単なことではありません。ただし、単に自分の願望を叶えたい、儀式で神格や天使を呼び出してみたい、というような曖昧な動機だけでは、「落胆」以外のなにものも得ることはないと思います。魔術結社は、その参入希望者に対して、必ずや団に参入する目的を確認します。もし、その回答が不適切なものであれば、参入は許可されないのです。それは団にとっても志願者にとっても適切な処理となります。

魔術は、あなたを幸せにするとは限りません。魔術があなたの精神のバランスを崩してしまうというリスクは常にそこに存在しています。また魔術は万能ではありません。その径に進むには覚悟が必要です。もしあなたが、真摯に「回帰の大いなる径」へと邁進しようとするならば、あなたは多くのものを得る代わりに多くの犠牲を払うことになります。逆にその覚悟さえあれば、自ずと道が開けます。あなたは然るべき人と然るべき時に出会い、また然るべき段階において結社へと受け入れられる筈です。

“ 均衡こそが、全ての作業の基盤となる。魔術は個が抱く意志の性質において、様々なスペクトルを織り成す。従って魔術そのものは黒でもなく、白でもない。澱んだ心には閉鎖と呼ばれる限定的な闇が待ちうけるのみである。魔術師はその杖(=火)において意志を確定し、揺らいだ心を中央の柱へと固定する。魔術師は杯(=水)において神性を理解し、恍惚を受け入れる。魔術師は剣(=風)において万物を分析し、径を切り開く。そして魔術師はペンタクル(=地)によって大地に根ざし、神殿を建立する。これらの魔術的作業の間に均衡が確立した時、魔術師は第五の元素を見出し、輝く五芒星と自らを同化させることが可能となる。”

そして最も重要なことは、常に作業に貪欲であり続けることです。維持する力は、なににも増して強大な意志の技です。魔術の最大の才能とは「常に自分を燃え立たせる能力」です。常に自分自身を鼓舞し、熱望を抱くことが出来なければ、全ての魔術的行為はいずれ空虚なものになっていきます。誰も修行を強要することが出来ないが故に、個人が抱く大望の大小がその人の魔術的能力を決定します。

あなたに素敵な出会いがありますように。

Love is the law, love under will.

The Path in Eternity完了報告

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


オーストラリアのグランド・マスター、兄弟Shivaをお迎えしての「The Path in Eternity」は無事終了しました。彼の講義は、彼が長い年月をかけて取り組んだ研鑽と献身の賜物であって、正直、魔術にあまり詳しくない方にとっては、とても難解なものであったかも知れません。そこで、簡単に講義を振り返りつつ、当日参加された皆さんの為に、若干の解説を書かせていただこうと思います。


『聖なる団に志願して』

50頁、三時間半超えのこの講義は、A∴A∴とO.T.O.の現在進行形の関連性に焦点を合わせた重厚な講義でした。同名の講義は、2011年9月にも実施されました。しかし、2015年度版の講義は、2011年版に対して大幅な改定が加えられており、全く別物の講義といっても過言ではありませんでした。兄弟Shivaは、まず我々が知り得る歴史上に顕現したフェニックスの蘇生の秘密から語り始めました。600年にも亘る主たる魔術の潮流と300年の副次的潮流の中に垣間見られる不可思議なリンクは、遠大なるフェニックスの回帰として語られました。ヤコブス・バーガンダス・モレンシス(ジャック・ド・モレー)の殉職の600年後に行われた悪名高き「パリ作業」。クロウリーとその弟子ノイバーグによって取り組まれた一連の魔術作業は、蘇生した現代の騎士団の復活の雄叫びでもありました。クロウリーは、続く1915年のある魔術作業に於いて、春秋分点の言葉を受け取ります。その言葉こそが、「Duplex」であり、それはA∴A∴とO.T.O.の神秘なる結婚を示唆する言葉でした。現在では「Duplexity 二重性」として、我々に知られることになった両団の相互関連性の魔術的、且つ象徴学的考察を示す言葉です。兄弟Shivaは、現在Duplexityの最も前衛的な研究家であり、そのジャンルの世界的権威です。オーストラリアは勿論、アメリカ、イタリア、そしてここ日本で、二重性に主眼を置いた連続講義を開催しています。彼の魔術的知識の根幹として、二重性の神秘が縦横無尽に語られ、その奥深い教義は、世界規模で受け入れられつつあります。彼は、TAOに於ける太極図、ユング心理学ニールス・ボーアの相補性理論を駆使しながら、遠大なる象徴の旅をリードします。

1919年にデトロイトで刊行された「春秋分点」第三巻一号、所謂「青のイクイノックス」は、クロウリーが試みた二重性の確かな証左となっています。重要な点は、なぜA∴A∴という一つの団だけでは不十分だったのか? なぜO.T.O.は、メイガスのロゴスの乗り物としてロッジを必要としたのか? クロウリーが改変したO.T.O.の古いメイソニック儀礼は、なぜ忘却の彼方へと葬られることになったのか? それは決してクロウリーが独断的に、恣意的に決定したことではありません。その必然的流れは、一体誰によって、またどのようにして作られたのでしょうか? このことに関しては、既にダニエル・ガンサーが多くの示唆を与えています。兄弟Shivaの講義は、この深遠なる教義の影響の下、更なる両団の関係性について切り込んでいます。

この講義の白眉は、BAPHOMETの正体、即ち時にカドケウスを保持する「獅子頭の神」への言及です。「父ミトラ」を表すBAPHOMIThRの数値が、現代に息づく新しい教会の礎であること、「獅子と蛇」の結合の意味、「8と3の結合」の真意、これらは「グノーシスのミサ」の秘密を解く「神秘の神秘」を形成します。兄弟Shivaは、BAPHOMETの数値から獣666 = V.V.V.V.V.の数値を導き出します。これらの一見難解な知識群は、長年に亘る研究を有する課題です。

彼は語ります。O.T.O.は、魔術とヨーガを教えるには適していないと。O.T.O.は、明らかにA∴A∴が保有していない、ある要素を強調します。その径は、イニシエーションによる集団の教育と、新しい「教会」の建立に献身する径です。一方、A∴A∴は、魔術とヨーガが十全、且つ体系的に教えられる魔術と神秘主義の学舎です。この二者は、コインの表と裏であり、その二重性こそがDuplexityです。この講義を理解するには、未翻訳のクロウリーの著作群を読み、またダニエル・ガンサーのAeonic Psychology (兄弟Shivaの造語)を理解していることが前提となります。この講義について、兄弟Shivaは、日本に於ける代弁者として私を指名しました。また近い内に、これらの遠大なる径を皆さんと共に語り合える機会を設けたいと思います。


『既知および未知のあらゆるものの隠された泉』

O.T.O.の中核的儀式である「グノーシスのミサ」への解説は、しかしながらこれまで語られることのなかった特別な視座で語られました。そうDulexityです。「グノーシスのミサ」は、O.T.O.の公的な儀式です。しかし、そこには「大作業 Great Work」の大いなる叡智が脈動していることが今回明らかになりました。「グノーシスのミサ」を紐解く鍵は、クロウリーが「愛の完全な数学的表現」と呼んだ「テクトラグラマトンの術式」です。処女として入場した女司祭は、やがて祭壇に於いて、大いなる母となります。司祭の役割は、処女との婚礼により、娘を母の玉座へと上昇させることです。東に設置されたヴェイルは「深淵」の象徴であり、やがて司祭も象徴的に深淵を超え、不可視の存在となります。「グノーシスのミサ」に於ける「テトラグラマトン」の対応は、この他にも多岐に渡り、それこそ長年の研究が必要とされます。

兄弟Shivaは、「グノーシスのミサ」を私達の啓明と参入の公的礼拝であり、O.T.O.の神学による解放の祝祭であると述べます。また新たな神学による人間の主体性の発現は、クロウリーが「復活の契約」と呼んだ人の運命の開示へと参加者を導きます。そして、聖化された秘蹟を摂取する時、正に「聖人達との霊的交流」が実現します。

グノーシスのミサ」の神殿は、正しく「生命の樹」そのものです。クロウリーの意図は、司祭と女司祭が織りなす恍惚の祝祭を、確たる魔術のフォーミュラで定式化することにありました。兄弟Shivaは、更に四元素とO.T.O.の初期の四位階を対応させ、また「ペンタグラマトン 聖五文字」とスフィンクスの対応にまで言及します。現在のアイオンの「聖五文字」の教義は少なからず難解で奥深い象徴になっていますが、ダニエル・ガンサーの『天使と深淵』の第三章という最良の解説がありますので、今回の講義に参加した皆さんは、是非、手に取って読んでみて下さい。

今回の講義での類まれなる指摘は、「グノーシスのミサ」の参加者達が、「秘蹟」(光のケーキと葡萄酒)を摂取している間中、司祭が不動のままうずくまる理由です。彼はフードで覆われ、石のように静寂で沈黙したまま献身の為に跪きます。彼は正しくNEMO (その意味はNo Man) であって、深淵を超えた「ピラミッドの都市」に於いて沈黙に埋没する「人ならぬもの」です。従って、そこには何者も存在していないのです。今回の兄弟Shivaの「グノーシスのミサ」の解説は、間違いなく最も示唆に富むDuplexityの研究成果の一つです。


私の講義『社会的科学的啓明主義』は、端的に述べると、O.T.O.の魔術の本質への考察です。その為に、私はO.T.O.に於ける「三つの真の位階」をタローの札を用いて解釈してみました。そう、私達の魔術の本質は「創造」です。そして「創造」という名の魔術は、クロウリーが様々なオブラートに包みながらも懸命に伝えようとしたものです。「グノーシスのミサ」はその好例です。この講義で、私は『アレフの書』の86章「魔術の完全術式」を引用した後、こう述べました。

“これがO.T.O.に於ける魔術作業です! 私達の魔術とは「創造」であり、それは神だけの特別な技能でありません。「神は人なり、人は神なり」、これこそが私達の「聖なる団」のモットーです。 あなたの位階が然程高くなくても尻込みする必要はありません。あなたの「意志」に従い、この「創造」の作業を執り行うのです。魔術とは、あなたの「意志」に従い変化を引き起こす「科学」にして「芸術」なのですから。”

次なる魔術イベントが既に私の脳裏の片隅にあります。では、また皆様とお会いできる日を楽しみにしております!

Love is the law, love under will.

The Path in Eternity

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


東方聖堂騎士団日本支部では、 オーストラリア・グランドロッジのグランドマスター兄弟Shivaをお招きして、 3月28日に東京で表記のイベントを開催いたします。
http://www.otojapan.org/events/the-path-in-eternity/
日頃より、東方聖堂騎士団日本支部の活動にご賛同いただいている皆様には既にインビテーションをお送りさせていただいております。

兄弟Shivaは、2006年の初来日以来、継続的に日本のO.T.O.の活動を支援し、また2011年には東京で素晴らしい講義を行ってくれました。http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/20110911
今回の彼の2本の講義は、正しくO.T.O. Worldwideに於ける最も刺激的且つ、示唆に富む最先端の内容が満載されています。講義は全て英語で行われます。ご要望いただいた方に対しては、当日、日本語訳の配布を予定しております。言語の壁は気にせず、ご参加下さい。以下、イベントの概要です。



イベント情報

主催:東方聖堂騎士団日本支部O.T.O. Japan)
会場:東京都内(参加者にのみお知らせいたします。)
参加費:4,000円(晩餐会の費用は別になります。)


プログラム

■講義1:
社会的科学的啓明主義 by Frater Hieros Phoenix

(昼食休憩)

■講義2:
既知および未知のあらゆるものの隠された泉 by Frater Shiva X°

■講義3:
「聖なる団」に志願して by Frater Shiva X°
•Banquet / 晩餐会: (Need extra charge / 別料金)



講義概要


■既知および未知のあらゆるものの隠された泉 by Frater Shiva X°

本講義で兄弟Shivaは、O.T.O.の最も聖なる中核的儀式「グノーシスのミサ」の概観を解説します。「女司祭」、「司祭」、「助祭」の役割など、儀式の詳細と象徴体系を検証します。

■「聖なる団」に志願して by Frater Shiva X°

本講演で兄弟Shivaは、O.T.O.と共に歩んだ詳細な彼自身の旅路について語ります。その意義ある考察は、伝統に則りながらも未だに活力に満ち常に進化を続けるO.T.O.の作業を明らかにし、現代の探究者やオカルティスト達に多くのものをもたらすでしょう。更に兄弟Shivaは、「二重性」の概念とそれに基づくO.T.O.とA∴A∴の関係性について議論します。

■社会的科学的啓明主義 by Frater Hieros Phoenix

本講義で兄弟Hieros Phoenixは、O.T.O.の魔術術式のエッセンスと、それを個々の人生に如何に適用するかについて考証します。それはトート・タローの象徴を用いながら、団に於けるOpus(作業)の可能性を再確認するよう意図されています。


講演者プロフィール

Frater Shiva X°

兄弟Shivaは、四半世紀に亘るO.T.O.のメンバーであり、1990年から団の最高指導者のオーストラリアに於ける代理人として活動していました。彼は2006年に設立されたO.T.O.のオーストラリア・グランド・ロッジのグランド・マスター・ジェネラルであり、クロウリーの『易しい魔術 (Magick Without Tears)』の権威ある版の共同編集者でもあります。過去9年間に亘って、定期的に来日し、日本のO.T.O.のイニシエーション、講義、「グノーシスカトリック教会」の活動を援助しています。

Frater Hieros Phoenix

兄弟Hieros Phoenixは、1995年にO.T.O.に参入し、大阪にSky Goddess Nu支部を設立しました。彼は、日本のFSR (O.T.O.の最高責任者の日本に於ける代理人) にしてS.G.I.G. (神聖大総監)であり、認可された秘儀参入授与者の資格を有しています。また2006年よりA∴A∴の団員でもあります。彼はセレマの魔術的、哲学的、宗教的な諸側面に25年以上関心を寄せ続けています。


Love is the law, love under will.

Annihilation

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


魔術とは意志に従い変化を呼び起こす科学にして芸術である一方、神秘主義とは個を超越した定義不可能な「歓喜」へと導く為の「消滅」の径です。1947年6月21日、アレイスター・クロウリーから弟子であるカール・ヨハンネス・ゲルマーに宛てた手紙には次のように記されています。 “魔術は、個を私達よりも高次の領域にいる存在と交流せしめるものである。神秘主義とは自身を彼らのレベルへと上昇せしめるものである。”


魔術と神秘主義は、クロウリーが提示した魔術哲学とその実践体系の為の意志の両翼であり、またA∴A∴に打ち立てられた訓練課程の両軸となるものです。それら二つのアプローチは、拡大(魔術)と収縮(神秘主義)という二つの階梯であり、最終的には魔術師の魂の中で融合し、調和され、魔術師を魂の内奥へと導きます。クロウリーは秘儀参入を「内なる旅 Inward Journey」と呼び、それを個の魂の本質を知る為の発見の旅路であると語っています。近年、A∴A∴の大作業の長きにわたる魂の航海を「大いなる回帰の径」と呼んだJ. ダニエル・ガンサーは、その秘儀参入の過程を次のように定義しました。

「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」

それは「なにものでもない」定義不可能な原初への回帰であり、その最終段階をクロウリーは好んで「消滅 Annihilation」と呼んでいました。実は、クロウリーはこの「消滅 Annihilation」という言葉を、意図的に涅槃 (ニルバーナ)の英訳として用いています。この作業は、大作業の三つの段階である「聖守護天使の幻視」「聖守護天使の知識と会話」「深淵横断」の内、最後の「深淵横断」に関わるものです。クロウリーによれば、志願者が深淵の辺境に辿り着き、決意と共に自己を完全放棄しなければ、志願者は深淵に墜落し、彼が「黒い同胞達 Black Brothers」と呼んだ失敗者の一団へと堕してしまうと警告します。


O.T.O.の三つの三つ組の三番目のものは「大地の男」と呼ばれる六つの位階を構成しています。それらは各々独立した参入儀式によってのみ授与されます。

■第零位階 Minerval 「彷徨える自我は太陽系に惹き付けられる」
■第一位階 Man and Brother 「誕生」
■第二位階 Magician 「人生」
■第三位階 Master Magician 「死」
■第四位階 Perfect Magician 「死後の世界への参入」
■完全なる参入者, もしくはPrince of Jerusalem (P∴I∴) 「無への回帰」

またクロウリーは、「大地の男」の儀礼の各々の段階を下記の言葉を用いて要約しています。またそれらの言葉は、各位階の秘儀のエッセンスでもあります。

■第零位階 「歓迎」
■第一位階 「秘儀参入」
■第二位階 「聖別」
■第三位階 「献身」
■第四位階 「完全、または高揚」
■P∴I∴ 「完全なる参入者」

「永久の径 Path in Eternity」と呼ばれるこれらの劇的な旅路の過程は下記の通りです。「彷徨える自我の拘束 / 誕生 / 生 / 死 / 死後の世界への参入 / 消滅」。 J. ダニエル・ガンサーは、A∴A∴とO.T.O.のプロセスに於いて、死と誕生が逆転していることを指摘しています。この点は、A∴A∴の参入のプロセスと視座について、極めて有益な示唆を含んでいます。O.T.O.のこれら六つの連続した位階のプロセスは、象徴的な旅路として、最終的に涅槃の前体験を参入者に齎します。そして沈黙のみが支配する空虚な神殿で、最初の三つ組は完了します。


J. ダニエル・ガンサーが定義したA∴A∴の秘儀参入の過程、「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」の真意を探るヒントとしてクロウリーの次の言葉を引用したいと思います。

テトラグラマトンの術式は、「愛」の完全な数学的表現である。”

アレイスター・クロウリーは、「真理に対する小論集 Little Essays Toward Truth」の「愛」に関する項目の中で、上記の言葉を述べています。とはいえ、この言葉とA∴A∴の秘儀参入の視座の関係については、少し補足が必要でしょう。志願者たるニオファイト1=10は、その参入儀式『門の書』に於いて、聖四文字ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘーの内の最後の「娘」ヘーとして神殿に入ります。ニオファイトの実際の肉体の性別は、この場合、全く関係ありません。ニオファイトは、彼女の秘密の恋人である「王子」ヴァウ「息子」と邂逅し、愛を育みます。やがて二人は神聖なる婚礼の間で一つになります。この偉大な婚礼は、「聖守護天使の知識と会話」と呼ばれる決定的な試練として小達人5=6と対峙します。婚礼を終えた達人は、やがて母、最初のヘーとなるべく深淵を超えます。深淵を超えた場所にある最初のセフィラ、ビナー、又はA∴A∴で「ピラミッドの都市」と呼ばれる壮麗な神殿で、彼女は沈黙と共に座すことになります。マジスター・テンプリ 8=3である大いなる「母」は、またの名をババロンBABALONといいます。即ち、A∴A∴に於けるババロン BABALON、「緋色の女」とは、クロウリーの、或いは他の魔術師にとっての性魔術のパートナーを指す言葉ではありません。ババロン (神ONの門)とは、正しく深淵を超えたマジスター・テンプリ8=3以外の何者でもないのです。彼女は聖杯に捧げられた聖人の血に酔いしれ、緋色に染まります(緋色の女)。この場合、血は魔術師の「生命」、そして献身を表す為の比喩として用いられます。

大いなる「母」BABALONは、ここで眠れる古き者、「父」ヨッドにして獣を目覚めさせます。大いなる「父」、コクマーはこれにより覚醒し、伴侶ババロンBABALONと結ばれます。この第二の婚礼により、王と王女は一つとなり、統合(一) ケテルへと回帰します。従って、クロウリーが「愛」の完全なる数学的表現と呼んだテトラグラマトン、ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘーの術式とは、この二重の婚礼を経た統合を示唆しています。ここでは、「娘」ヘー → 「息子」ヴァウ → 「母」ヘー → 「父」ヨッドへと「生命の樹」を遡るプロセスが見て取れます。アレイスター・クロウリーは、『虚言の書』の第三章にこう書いています。

“「男」は「女」との結合を喜ぶ。「女」は「子供」との分離を喜ぶ。
 A∴A∴の「兄弟たち」は「女」である。A∴A∴の志願者たちは「男」である。”

A∴A∴のニオファイト1=10は、「女」です。そして聖守護天使との婚礼の後、深淵を超えたマジスター・テンプリもまた「女」です。この「母」はまたクロウリーによって専門用語で「満ち足りた女」と呼ばれています。そして「ババロンの星」と呼ばれる七芒星は、A∴A∴の印章の中心に描かれることになりました。何故ならば、それは大作業 Great Workの大印章でもあるからです。「ババロンの星」は、明らかにクロウリーが所属していた「黄金の夜明け」団の小達人の地下納骨所の床に描かれた七芒星がそのルーツとなっています。またBABALONの数値156にまつわる話も含め、以前私は『ババロンの星 7×7の神秘』と題された魔術講義で存分に解説を加えました。J. ダニエル・ガンサーによれば、達人の地下納骨所はティファレトから、ビナーに移動し、地下納骨所は、聖人達の聖墓になったということになります。彼の主張によれば、L.V.X.の術式で、この墓を開くことは不可能で、その為には彼がアイオンの中軸術式と定義したN.O.X.の術式が必要です。そしてこの術式は、「消滅 Annihilation」と大いに関連しています。N.O.X.のゲマトリア数値は210で、この数字は「2 二元性」→ 「1 統一」→ 「0 消滅」の一連のプロセスを表象しています。従って、N.O.X.の術式は、A∴A∴の秘儀参入の過程と同定しても特に問題はありません。

では、このN.O.X.の術式(Panの夜)という観点から、J. ダニエル・ガンサーが定義した秘儀参入の過程「死 / 生 / 誕生 / 妊娠 / 受胎 / 統一化 / 無化 」を確認してみましょう。A∴A∴の最初の参入は、オシリスの死の祝祭から始まります。死は新しい生への出発点でもあり、オシリスは地下世界を旅し、やがて地平線から上昇する太陽と同一化されます。深淵に至った志願者は、A∴A∴で「深淵の赤子」として知られる位階に於いて自己を放棄します。赤子は、自己を放棄した純粋無垢な新生児であり、その誕生から更に回帰の径を辿り、やがてヌイトの子宮たるビナーにおいて受胎します。再生したマジスター・テンプリ8=3は、「母」(「女」は「子供」との分離を喜ぶ) として「父」と合一し、虚無へと回帰し、消滅します。この有から無への回帰が、大作業の長き過程であり、魔術師はやがて「なにものでもない」ものになって永久を知ることになります。いずれにしてもこの最後のフェーズは、言語を超えた世界であり、それを描写する術を持ちません。「なにものでもない」ものは虚無ですらなく、本当は消滅ですらあり得ません。それは言語という深淵下の思考の構造物では、何ら表象し得ないものなのです。

アレイスター・クロウリーは、明らかに「創造」という人間の無限の可能性から、神とは即ち人である、と公言してやまなかった人物です。彼の悪魔主義的口上も含め、その言論と著述は人々に止まることのない誤解を与え続けてきました。私が過去開催した『Magnum Opus』(大阪と東京の二回開催)という講義では、クロウリーが述べる「神」という概念が「人格神」では在り得ないことを繰り返し述べてきました。
http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/20130323
http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/20140505

兄弟エイカドが発見した『法の書』の鍵は「AL」= 神と「LA」= 否が31という同等の数価を持つという事実でした。”神とは宇宙で唯一無二の根本原理であると同時に「いかなるもの」でもない。” ” The God is not Not is Not the Not God. Beyond the concept of God! 神は否にあらず、は神ならぬものにあらず。神の概念を越えよ!”。これらが、私の神に対する主要なメッセージでした。排他的一神教の起源は、北西セム語で神を表す普通名詞 AL に由来します。ALとは正に神そのものを指す言葉でした。またALは、フェニキアの神話では神々の父で世界の創造神=最高神を表す固有名詞です。ALは、イスラエルから見て南方の嵐の神で、『出エジプト記』と共にイスラエルの神となります。この”異教徒は皆殺し” の嵐の神は、やがてヤハウェとなり、人々にこう語りかけます。”わたしはヤハウェ、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した、あなたの神である” (出エジプト記)

この最高神は、やがてキリスト教徒にとっての絶対なる父なる神となり、イスラム教の絶対神アラーとなるのです。排他的一神教は、この「人格神」によって絶対化され、やがて世界を争いで覆い尽くすことになります(勿論、美徳も数多あるのは理解しています)。キリスト教原理主義の厳格な家庭で育った成人後のアレイスター・クロウリーは、この絶対神が神官と民の理想投影によって構築された虚像であることを深く理解していました。彼は当時の多くの欧米人がそうであったように東洋の仏教の教義に畏怖し、また感嘆したのです。A∴A∴の大作業は、実はブッダが説いた「現法涅槃」と大差ありません。即ち、「現生において涅槃した人々」を肯定することは、クロウリーのセレマの法の根本にあった原理です。「人間以外に神はなし」と述べるクロウリーの脳裏には、醜悪な人格神を肯定する意図は微塵もありませんでした(それでいながら、誤解を蒙るような言動を絶えず繰り返していたのは事実です)。

5世紀頃のシリアの神学者、ディオニシオス・アレオパギテースは神性原理について、こう語ります。

”それはすべての単一者を一にする単一、存在を越えた存在、非知的知性、語られざるロゴス。非言語、非知性、非名称。いかなる存在者として在るのでもない。万物にとって、その在ることの原因であるが、自らはすべての存在の彼方にあるものとしても非存在である。”『神名論 第一章 第一節』

"いかなる場所の中にもなく、見られもせず、感覚的接触もない。感覚することも感覚されることもない。肉体的情欲に惑わされて無秩序や混乱に陥ることなく、感覚な偶発事故に圧倒されて無力になることもない。光に欠けることなく、変化・腐敗・分割・欠乏・流転を蒙ることもない。そしてその他感覚につきもののいかなるものであることもなく、またそれらを所有することもない。"
『神秘神学 第四章 』

“とにかく原因については肯定も否定もない。それに続くものについては我々は肯定したり否定したりするが、原因そのものについては肯定も否定もしない。なぜならば完全で単一な万物の原因はすべての肯定を越えているし、他方すべてのものから端的に解き放たれて万物の彼方にあるものの卓越性は、すべての否定を越えるからである。”  『神秘神学 第五章 』

また中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者神秘主義者、マイスター・エックハルトは、こう述べています。

“もし私が存在していなかったらば、「神」も存在しなかったであろう。神が「神」である原因は私なのである。もし私が無かったら、神は「神」でなかったであろう。”

“汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。さすれば、汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。神と共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前無き無なることを理解するであろう”

“神でもって神の他にお前が求めるものは、それがなんであろうと、利益であれ報酬であれまた内面性の深みであれ、すべて空無である。お前は無を求めている。その故に無を見出すのである。お前が無を見出すのは、ただ、お前が無を求めているからに他ならない。すべての被造物は一つの全くの無である”

「無」の概念は、『法の書』の第一章46節にも登場します。

“無はこの法における秘密の鍵の一つなり。61とユダヤ人達はそれを呼ぶ。われはそれを8、80、418と呼ぶ。”

いずれにしても、「無」であれ、「有」であれ、言葉によって表現された「それ」は、「あれ」との相対性のみによって理解されます。「なにものでもない」神は、充満し、且つ空虚なる「なにものか」と仮定するのが限界となります。

私が開催した講義『Magnum Opus』の最後で、私が大作業の目標を「神との合一」であると定義していたことをご記憶の方もいらっしゃると思います。これは大作業の過程を語る上では、極めて一般的な概念です。しかし、それに続けて、私はこう述べました。「それは即ち、サンサーラの輪を断ち切ること、”人間として二度と生まれてこない”ことです」と。

この言葉の意味は最早、明確でしょう。人間以外に神はいないのですから。

A∴A∴が魔術と神秘主義の両立を図ったのは必然といえます。魔術は、深淵を超える際には、何の役にも立たないからです。コロンゾンは、沈黙のみによって退散し、コロンゾン調伏 = 降魔成道は達成されるのです。比喩的には、「此岸から彼岸へと横断」したマジスター・テンプリは、ピラミッドの都市において「なにものでもない」存在 (クロウリーの体系ではNEMO、その意味はNo Man)として美しい花を咲かせるのです。

Love is the law, love under will.

The Eye in the Triangle

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.


アレイスター・クロウリーが「科学的啓明主義」と呼んだA∴A∴の作業は、個々の探究者に霊的成長と啓明の道を提供する連続した訓練課程を提供します。実はこの日本ですら、少しずつではありますが、A∴A∴の訓練課程の実像が注目を浴びつつあります。といっても主にそれはまだ日本のO.T.O.の内部から外へ出ることはありませんが。
1900年代初頭のクロウリーは、「黄金の夜明け」団で学んだ西洋の秘教伝統の教義に加え、彼の指導者の一人でもあったアラン・ベネットを初めとした東洋の秘儀を学んだ導師達からヨガと仏教の手ほどきを受けつつありました。薔薇十字の伝統から東洋の径へと進んだアラン・ベネットは、所謂、上座部仏教を現地で学び、その生涯を東洋の伝統の探求に捧げた人物です。またクロウリーは中国のTAOの強い影響の下、そうした東洋の秘儀と西洋の秘儀の相関性と差異を熟考していました。彼の研究は主に『春秋分点』第一巻第四号において開花しています。また同誌第一巻第二号に掲載された『プロベイショナーへのポストカード』では、ヨガとカバラの協調関係が実に簡潔に定義されています。


“ヨガは心を単一の概念へと結合させる為の技法である。それは四つの方法による。

 ”ナーナ・ヨガ 知識による結合
  ラジャ・ヨガ  意志による結合
  バクティ・ヨガ 愛による結合
  ハタ・ヨガ   勇気による結合 
加えて マントラ・ヨガ 発話を通じての結合
  カルマ・ヨガ  作業を通じての結合


儀式魔術は心を単一の概念へと結合させる為の技法である。それは四つの方法による。

  聖なるカバラ 知識による結合
  神性魔術   意志による結合
崇拝の技   愛による結合
  試練     勇気による結合
  加えて 召喚  発話を通じての結合
  奉仕の技   作業を通じての結合”


東洋のシステムと西洋のシステムの融和は、クロウリーが意識的に導入したA∴A∴の大前提であり、それら二つの体系は、A∴A∴の数々の指導書に盛り込まれています。クロウリーは、そうした指導書を主に彼の『春秋分点』誌において次々と発表し、また神秘主義と魔術の相互関連性と特性を『第4の書』の第一部と第二部としてそれぞれ公刊したのです。クロウリーはまたこうも述べています。 ”魔術とはレイヤーからレイヤーへと積み上げられたピラミッドである。ヨガの技法と共にある「光の体」の作業は、全ての基礎である。” A∴A∴では、旧「黄金の夜明け」団では小達人5=6の技術であったアストラル体の完全な制御を、その最初の正式な位階、ニオファイト1=10において既に要求しているのです。これはラジャ・ヨガの訓練による精神集中の能力が、イコール「光の体」の制御に対して極めて有効であることを示唆しています。


A∴A∴は、その設立以来、連綿と活動を続けてきました。これは以前にも書いたことがあるのですが、クロウリーが意図していたO.T.O.とA∴A∴の相互関係は、クロウリーの正式な後継者であったカール・ゲルマーの死後、暫くは失われてしまうことになります。以前の日記から少し引用してみましょう。http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/20110911


“A.’.A.’.とOTOの断絶の歴史は複雑であり、恐らくそれは50年程度の歴史考察を必要とします。クロウリーの死後、両団の後継者と見做されたカール・ヨハンネス・ゲルマーは熱心なセレマイトでしたが、彼は自分の後継者を指名する責務を怠ったといえるかも知れません。ご存じの通り、OTOは第9位階の参入者であったグラディー・マクマートリーによって1970年代末から世界中に拡大していきました。彼は、どちらかというとゲルマーとは疎遠だった人物です。A.’.A.’.はゲルマーの弟子であったマルセロ・モッタによってその命脈を保ちました。そしてグラディーとモッタはクロウリー著作権とOTOの正当性を巡って激しく対立し、合衆国において法廷闘争へと突入します。グラディーのOTOは正当な唯一のOTOとして勝利しましたが、逆に彼が主張したA.’.A.’.は、貧弱な小グループでしかありませんでした。モッタのSOTOは、衰退の一途を辿り、しかしA.’.A.’.については水面下でその機能を十分に果たしていたと思われます。A.’.A.’.とOTOは、双方が相互関連して作用するという重要な機能を長らく失うことになります。1990年代になって、あからさまには語られることはないものの同盟関係が修復されるまでは。”


さて、この同盟関係は現在完全に修復されているのでしょうか? O.T.O.は、主に連続する位階のイニシエーションによって集団を教育します。O.T.O.は世界で最初に「セレマの法」を受け入れた団体として現在世界中に拡大し、各国で活発な活動を展開しています。そしてその中核的儀式として「グノーシスのミサ」の祝祭が存在しています。これはO.T.O.の秘儀の精髄を象徴群に彩られた子供の誕生の秘跡として描いた壮大な儀式です。O.T.O.の有能な魔術師の一人であるジェームス・ワッシャーマンは、その著書『テンプル騎士団と暗殺団(The Templars and the Assassins)』の中で、神秘的な秘密結社の性質を次のように定義しています。 “神秘的な秘密結社は、全ての時代と文化に実在した秘儀参入と霊的自由に自らを捧げる。” 


O.T.O.を大陸のフリー・メーソン系亜流結社からセレマ的魔術結社として換骨奪胎したバフォメット第10位階、アレイスター・クロウリーは、O.T.O.の計画を『OZの書』として簡潔に書き記しています。それはO.T.O.の声明書であり、道徳的、肉体的、心的、性的自由、そして虐殺者からの自衛という五つの観点から、人間の権利を明確に宣言しています。”人間以外に神はなし” は団のモットーであり、”我の内に在りて神にあらざるものなし” とは私達、個々の人間の真の性質であるとO.T.O.は考えます。


一方、A∴A∴は自らをどのように定義しているのでしょうか? 現代のA∴A∴の公開サイトから、その文章を引用してみます。


“A∴A∴は、一つの霊によって統合された一つの真実によって統率される内部の「団」である。「団」はV.V.V.V.V.から、熟練した存命の達人を通して、不断の「鎖」によって継続されている。「団」は「一つ」であるが、その機能は、「沈黙の内にある会話」「沈黙」「会話の内にある沈黙」という3つの様式から成る。「団」は、一なる「三角形の中の眼」として「一つ」である。「作業」の開始は、個人的かつ私的なものである。「団」のすべての志願者は、彼あるいは彼女に先んじて「径」に踏み込んだ者の指導の下に作業に従事し、その者もまた序列に従い、更に経験を積んだ者の支援を受けるという恩恵に与る。

A∴A∴は、入団に際する必要な前提条件として、如何なる他の団体との結び付きや、 「権威」によって規定されたとおぼしきカリキュラムとの提携を受け入れることを指示も推奨もしない。A∴A∴の「外なる学舎」の作業のために最適なものは、「団」によって規定され、「学徒カリキュラム」として準備されている。人類への奉仕を誓い、「参入者達の一団」への参加を真摯に望む全ての人々に向けて、その扉は開かれている。”


A∴A∴は、個に対する霊的啓発と成長の径であり、集団の活動は固有の参入儀礼以外には存在していません。即ち、O.T.O. = 集団としての訓練、A∴A∴ = 個人の訓練、として二つの極を成しています。両団は、コインの表と裏として機能するのですが、そのジャンルにおける最も先駆的な研究成果は、3月末に再来日するオーストラリア・グランド・ロッジのグランド・マスター、兄弟Shivaによって詳細かつ、明確に語られることでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/20141212


両団の相互関連性とその象徴的解析は、Duplexityと呼ばれ、現代の一部のセレマイト達の重要な研究課題となっています。A∴A∴とO.T.O.の同盟関係の修復は、実は特にO.T.O.側の観点から行くと完全に修復されている訳ではありません。その最大の要因として、O.T.O.の団員としても活躍している現代のA∴A∴の魔術師達は、必ずしも同一のA∴A∴に所属している訳ではないという事実が挙げられます。所謂 Lineage (血統)という問題です。即ち、”私のA∴A∴には〜〜といった歴史的バックグラウンドがあり、その継承は正統である”という主張の根拠になるものが血統、又は霊統という概念です。近年、これらの複数のA∴A∴の血統が相互排斥した結果、安易にA∴A∴の血統の主張をO.T.O.内に持ち込むと、ひと悶着あるという場面がしばしば見受けられるようになってきました(Facebookでは、こういった事がよく起こります)。また近年、その出版と講義活動において傑出した活動を展開しているダニエル・ガンサーのA∴A∴理論や、その継承の正統性をあからさまに非難しているO.T.O.魔術師の書き込みに出会うこともあります。更にA∴A∴とO.T.O.の主張を混在させることを、基本タブー視しているコミュニティもあります。


ここではO.T.O.内で主張されている主要なA∴A∴の血統を二つ紹介します。<姉妹ジェーン・ウルフの血統>
クロウリーの弟子でもあり、あの悪名高きセファルーの僧院にも滞在経験のあるカリフォルニアのジェーン・ウルフはO.T.O.の第九位階の団員であると同時に、A∴A∴では直接クロウリーから指導されていた魔術師です。ジェーンの弟子であった姉妹メラルは、70年代にO.T.O.を復興したグラディー・ルイス・マトマートリーの元伴侶でもあり、自身もO.T.O.の第九位階の魔術師でした。姉妹メラルは、ジェーンの没後も間断なくA∴A∴の作業に従事し、一方ではグラディー・マクマートリーと共にO.T.O.の再建に全力を注いできました。彼女は1960年代後半から、A∴A∴のプロベイショナー0=0を受け入れ始め、弟子の育成に励む一方、A∴A∴の学徒(プロベイショナーの前のStudentという準備学習段階)の底上げと活計化を目指し、1973年に「セレマ大学(The College of Thelema)」を設立、機関紙『In the Continuum』を発刊します。彼女が70年代に受け入れたプロベイショナーの一人として有名なのが、あのロン・マイロ・ドッカット氏です。更に姉妹メラルの弟子として、A∴A∴、O.T.O.の魔術師としてその敏腕を振るった人物にロスアンジェルスのジェームス・エシェルマンがいます。彼は、1993年に『A∴A∴の神秘的・魔術的システム』を刊行、以後このガイドブックは版を重ね、長らくA∴A∴の最優良資料として多くの魔術師達に読み継がれてきました。グラディー・マクマートリーの死後、O.T.O.の首領に立候補した幾人かの魔術師達の内の一人でもあり、(他にはビル・ハイドリックと現O.H.O. Hymenaeus Betaが立候補。一説によるとグラディー・マクマートリーはロン・ドゥカットを後釜に据えたかった模様)、後にO.T.O.アガペー・グランド・ロッジのグランド・マスター代理に就任した人物です(実質、当時のO.T.O. のNo.2)。1987年には、姉妹メラル、姉妹アンナ・クリア・キングらと共に物理的イニシエーションと実践魔術の教育を行う団体、「セレマの神殿(The Temple of Thelema)」を設立します。エシェルマンは、活発な執筆活動と魔術作業で有名ですが、後に師である姉妹メラルと仲たがいを起こすことになります。このコンフリクトから「セレマ大学」と「セレマの神殿」はエシェルマンの南カリフォルニア派と、もう一人の団員デビッド・シューメーカー率いる北カリフォルニア派に分裂します。
北カリフォルニア派(The International College of Thelema / The Temple of the Silver Star)を率いるシューメーカーは、活発なO.T.O.団員でもあり、O.T.O.内部で姉妹ジェーン・ウルフのA∴A∴の血統を積極的に喧伝し、現在に至っています。一方のエシェルマンは1992年にO.T.O.を離脱、現在もロスアンジェルスに中心拠点を置き、自身が率いるA∴A∴、「セレマ大学」、「セレマの神殿」を指導運営しています。
エシェルマン、シューメーカー双方の師であった女傑姉妹メラルは、カール・ゲルマーとも昵懇の仲であり、彼女は自身の聖守護天使Azarとの接触を果たしたことから、カール・ゲルマーからA∴A∴の小達人5=6のお墨付きも得ていたようです。
両カリフォルニアのジェーン・ウルフ血統 A∴A∴には、それなりの人数の現役O.T.O.団員が加入しているようです。<兄弟グラディー・マクマートリーの血統>
O.T.O.のカリフでもあったグラディー・マクマートリーは、クロウリーから直接団の第九位階を授かり、カウンター・カルチャーの本拠地バークレーから、O.T.O.を急速に蘇生させた人物です。とはいえ、彼自身はA∴A∴については、クロウリーの弟子だった訳ではありません。彼は当時妻であった姉妹メラルのプロベイショナーになることによってA∴A∴に関与することになります。姉妹メラルのインタビュー記事によるとマクマートリーは、A∴A∴のプロベイショナーの作業を全て放棄しており、彼女の言に従うとマクマートリーのA∴A∴の血統の欺瞞性は疑う余地がないようです。
現在、グラディー・マクマートリーのA∴A∴を率いて、活動を続けている指導者は、マクマートリーの弟子にして、元O.T.O.の第八位階団員であるジェリー・コーネリウスです。彼には『アレイスター・クロウリーの魔術的精髄』という主著があり、またかつてはバークレーO.T.O.支部Pangenetorロッジから、(その筋では)有名なセレマの研究ジャーナル『Red Flame』シリーズを発刊していました。
グラディー・マクマートリー血統のA∴A∴は、クロウリーが設定した不文律「A∴A∴はロッジやサークル等の如何なる集団活動拠点を持たない」に反して、Clerk Houseと呼ばれる地方拠点を設定し、またコーネリウスは、自らを三代目カリフ、 Frater Hymenaeus Gamma 267と名乗り、旧態依然としたA∴A∴のシステムからは完全に一線を画しています。他方彼は、旧師グラディー・マクマートリーに関する詳細な伝記『獣の名に於いて』を上梓しており、その書籍は極めて有益な内容になっています。O.T.O.在籍時は、団内きってのアクティブなメンバーの一人で、その名は世界中で知られていました。グラディー・マクマートリーの血統を受け継ぐと主張するこのA∴A∴にも、複数の現役O.T.O.団員が加入していることは想像に難くありません。


勿論、世界を見渡せば他にもA∴A∴の血統を主張する団体は複数あり、またその類似結社も存在しています。面白いところでは、ケネス・グラントのタイフォニアンO.T.O.ダイアン・フォーチュンの内光協会の血統を継ぐと主張している英国の「星団」、マルセロ・モッタの血統を主張する米国のデビット・バーソン率いるA∴A∴等があります。

そのような流れにあって「血統」という概念そのものを否定し、一なる団の存在を主張するA∴A∴があります。このA∴A∴にも、複数の現役O.T.O.団員が加入していることは言うまでもありません。先にも引用したこのA∴A∴が定義する団の本質を再度引用してみましょう。


“A∴A∴は、一つの霊によって統合された一つの真実によって統率される内部の「団」である。「団」は、V.V.V.V.V.から、熟練した存命の達人を通して、不断の「鎖」によって継続されている。「団」は「一つ」であるが、その機能は、「沈黙の内にある会話」「沈黙」「会話の内にある沈黙」という3つの様式から成る。「団」は、一なる「三角形の中の眼」として「一つ」である。”


分かり辛いかも知れませんが、実はこの要素こそが、A∴A∴をA∴A∴たらしめている根底にある理念であり、不動の真実です。O.T.O.で活躍する魔術師達が、同時に自分が所属するA∴A∴の血統を主張した時、正にその時にこそ無益なコンフリクトが発生します。そう、「私のA∴A∴のこの血統、この正当性を見よ!」と主張するその瞬間に憂慮すべきコンフリクトが喚起されるのです。重要な要素は、誰に師事したかではありません。重要なことはA∴A∴の不断の鎖に自らが繋がっているか否かです。


80年代、世界には幾つかのO.T.O.が存在し、活動していました。メッツガーが率いたスイスO.T.O.、マルセロ・ラモス・モッタのO.T.O.協会、ケネス・グラントのタイフォニアンO.T.O.、そして当時はカリフェイトO.T.O.と呼ばれていた現在のThe O.T.O.。団の正当性とクロウリー著作権を争って裁判になったこともありました。O.T.O.は、米国に次いで英国でも完全勝訴し、世界で唯一の正統なO.T.O.となりました。今やカリフェイトO.T.O.という呼称自体が死語となり、グラントの団はタイフォニアン・オーダーと改名を余儀なくされました。モッタの数少ない残党は、未だにO.T.O.協会を掲げていますが、その活動内容は不明です。このような正統性の争いは、O.T.O.のみならず米国と欧州を中心とした現代の「黄金の夜明け」団の後継者達によっても引き起こされました。


さてA∴A∴においても、近い将来このような裁判沙汰が起こり得るでしょうか?


まずそれは決して起こり得ないでしょう。O.T.O.はかつての敵であったモッタのO.T.O.協会から、極めて有能で活動的な中核的魔術師を数人引き入れました。そしてA∴A∴の血統を継ぐと主張する者達も、やがて淘汰され、その言葉は死語になるでしょう。また70年代〜90年代に多数存在していた自称セレマ結社も衰退の一途を辿りました。そのような結社は、実は主催者の脳内にのみ存在し、ほんの一握りの仲間内を集めただけの余興に近いものでした。


A∴A∴の不断の鎖に連なる真の達人は、他者との比較でしか自己を表現できないような矮小な自称導師達に対しては、「沈黙」という対処しか行いません。そしてA∴A∴の首領は、自我の肥大に起因する全ての不安定な自称マスター達の騒々しいわめき声を無視します。
一なる団としてのA∴A∴は、人知を超え、三角形の中で見開かれた眼によってのみ脈動します。これがA∴A∴の本質であり、またその鎖は永久へと連結しています。

Love is the law, love under will.