Our own Personal GOD

HierosPhoenix2007-08-24

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

セレマの宇宙論は、単純明快かつ普遍的な原理に基づいています。無限の空間、規定外の存在の根源の根源、無限に拡大する空間はヌイトと呼ばれています。エジプト神学ではヘリオポリスの九神の一人とされ、シューとテフヌトの娘であり、かつ大地の神セブの妻です。『法の書』に登場するヌイトは無限の空間と星々からなる天空の女神であり、美と恍惚の主催者です。

同時に偏在する無限小の点はハディートと呼ばれます。有翼の太陽の球体ハディートは、全ての存在の中心点であり、無限小へと収縮を続ける球体で無限の空間と対になります。クロウリーによれば、ヌイトとハディートは未顕現であり、両者が結合して誕生する息子=ラ・ホール・クイトによって全ての事象が発生します。即ち、セレマの宇宙論はこれらセレマ三神(Thelemic Trinities)によって極めて簡潔に構築されているのです。

クロウリーのセレマ主義に対する諸学派からの批判の一つは"神"という概念を人間の地平にまで貶めたというものす。"人間以外に神はなし"、"神は人なり、人は神なり"、セレマの法を受け入れた者は自身が神である宣言を平然と行うのですから、当時の西洋の宗教的概念では受け入れがたい背徳の法と云わざるを得ません。内在する神との対面、神性との合一が普遍的な目標とされた東洋の神秘学派では当たり前の概念も、当時のいや現在の西洋の宗教的概念においてすら未だにタブーとされているのです(勿論、例外もありますが)。

クロウリーはこの内在する神について、『法の書』の解説の中で平易に述べています。"ラ・ホール・クイトは戴冠し、征服する子供である"この子供こそが人間に内在する神であり、個的な神そのものであると彼は宣言します。つまり、ヌイトとハディートという未顕現の宇宙的二要素の結合たる人間は、真の意志とも云うべきこの個的な神を潜在的であれ、意図的であれ、確かに知っているのです。戦争と復讐の神ラ・ホール・クイトは、何に戦いを挑み誰に復讐するのでしょう?その答えは、総体的には人類を拘束し、枯渇させる非生産的哲学と数多の迷信です。そして個的には、セレマイト一人一人に独自の戦いが待ち受けています。破壊神ラ・ホール・クイトは、古き因習と限界を打破し、新たな地平を切り開く創造神でもあります。内在する神は、外在する神ではなく崇拝も献身も求めてはいないのです。彼が求めているものは行動のみ、それはきっと人間にインプラントされた時限爆弾のように、来るべきときに大いなる戦いの狼煙を上げるのです。

"何一つ恐れるでない。人々も、宿命も神々も、何者をも恐れることはない。
金も、愚かな民の笑い声も、天上、地上、地下のほかのいかなる力をも
恐れてはならぬ。ハディートがおまえの光であるが如く、ヌーはおまえの
避難所である。そして、われはお前の武器の強さ、力、活力なのだ"

    Sor. Raven訳 『法の書』第3章17節

Love is the law, love under will.