Pranayama

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

スワミー・ヴィベーカーナンダによれば、宇宙の素材は二つの存在、プラーナとアーカーシャからできているそうです。アーカーシャは形を有する一切のものに浸透する見えざる存在であり、更にプラーナはアーカーシャの根源であると彼は定義します。”プラーナヤーマ”とは「プラーナの制御」を意味し、一般的に誤解されている「呼吸の制御」ではありません。ヴィベーカーナンダは、プラーナは「思い」に関する精神作用であろうと「肉体」に関する物質的なものであろうと森羅万象が原初の力に還元されてしまえば、それはプラーナとしか呼びようのない存在に還るといいます。ヴィベーカーナンダは、プラーナを制御する者は、心理的であれ、物質的であれ、その全てを制御することができると述べます。

スワミー・サティアナンダ・サラスワティは、我々がハディートと同等視する脊髄基底部で眠る「火の蛇」クンダリーニを覚醒させる幾つかの方法を_Kundalini Tantra_(Yoga Publications Trust, Munger, Bihar, India 1984)の中で紹介しています。マントラを用いて蛇を刺激する方法、タパシャと呼ばれる浄化の方法、特殊なハーブを用いる方法、ラジャ・ヨガの八段階による方法、クリア・ヨガ、そしてタントラによる性ヨガ、師によるシャクティ・パッドなどですが、その有力な覚醒方法の一つとしてプラーナヤーマを挙げています。プラーナヤーマは単にヨギの心身をプラーナで満たすだけのエクササイズではなく、クンダリーニを覚醒させる為の「ヨギの炎」を生成する強力な技法であるというわけです。クンダリーニを覚醒させる方法には「直接的な」ものと「間接的な」ものに大別されますが、プラーナヤーマは正に「直接的な」方法に分類されます。

プラーナヤーマによって直接刺激される基底部に眠る蛇力 = クンダリーニは、『法の書』のみならず、『第65の書』にも度々登場する聖なる神格です。『法の書』の第二章22節では、自らを「蛇」と主張するハディートの言葉があります。

“われは知識と喜び、そして輝かしい栄光を与え、人の心を酔いで掻き立てる蛇なり。われを崇拝するには、わが預言者に告げる葡萄酒と、奇妙な薬物を摂るがよい。そしてそれから酔ってしまえ!汝らに害を為すことは一切ないであろう。自身に向けられた、この愚行は偽り。無垢を晒すのは偽り。強くなれ、おお人間よ!肉欲、感覚と恍惚の全てを享受せよ。この為に、汝を拒絶する神があるであろう事を恐れるなかれ。”

更に26節には、クンダリーニとの関連性を強く匂わせる言葉が続きます。

“われは、跳躍せんととぐろを巻く秘密の蛇なり。とぐろを巻く中に喜びはある。われが頭をもたげるならば、われとわがNuitは一つなり。われが頭をうなだれ、毒液を前方へと浴びせるならば、その時地上は狂喜し、われと地上は一つとなる。”

スワミー・サティアナンダ・サラスワティはネクタルが生成される重要な中枢、”ビンドゥ・ヴィサーガ”について解り易く解説してくれます。ビンドゥとは「滴」、または「点」を意味し、白い滴と三日月によって表されます。これはヌイトの白い母乳、天空から降り注ぐネクタルと一脈通じる象徴です。またビンドゥはネクタルと同時に「毒」の生成にも責任を負っています。というのも、ネクタルの分泌腺と毒の分泌腺は、同時に刺激され得る位置にあるからです。この危険を避ける為には、ビンドゥは喉の位置にあるヴィシュッダ・チャクラと同時に刺激されなければなりません。そうすればビンドゥは、ネクタルの分泌腺を正しく刺激し、バランスの取れたネクタルと毒はヴィシュッダにより正しく運ばれることになります。これは『法の書』の記述と類似性を持つ重要な概念です。ヒンドゥーの”アドヴァイタ”、「非二極性」あるいは「結合」のコンセプトは、セレマイトの「0=2」、即ち「意志の下の愛」と通じ合う概念です。『法の書』とヨガ、タントラの体系には多くの共通点があることは、これまでにも多くの研究家達が指摘しています。

ビンドゥは、王冠の内にある至高の気付きである黄金の卵たる子宮にあります。ビンドゥはまた顕現のための宇宙的「種子」であり、セレマの体系では、どこにいても一個の点であり、中心であるハディートと同一視されます。スワミー・サティアナンダ・サラスワティが紹介している「ヨガチュダミニ・ウパニシャッド」の60節にはこうあります。”ビンドゥは白と赤の二つの種類がある。白はシュクラ(精子)であり、赤はマハラジ(月経)である。” 白いビンドゥはシヴァに対応し、赤いビンドウはシャクティに対応します。そして白いビンドゥは”ビンドゥ・ヴィサーガ”にあり、赤いビンドゥはクンダリーニが眠るムーラダーラ・チャクラにあります。白いビンドゥは前述のように「月」で表され、赤いビンドゥは「太陽」で表されます。ヨガやタントラの目的は、この白と赤、即ちシヴァとシャクティを結合させることにあるということはいうまでもありません。そしてセレマの体系では、ヌイトとハディート、或いは獣とババロンの結合ということになります。アーサー・アヴゥロン卿は『蛇の力』の中でこう述べます。”シャクティなくしてシヴァはない。その逆も然り。二は彼ら自身の中では一である。それらは互いに「存在する」、「意識であり」、「至福」である。”

また『法の書』の第一章16節には下記の言葉があります。

“何故ならば、彼は如何なる時も一つの太陽であり、そして彼女は一つの月であるからだ。しかし、彼には翼有る秘密の炎があり、そして彼女には前屈みの星明りがある”。

プラーナと時に同義とされるPneuma、スピリタス、そしてヘブライ語のルアクは、「風」の占星術記号で表され、「生命の樹」の上では第11番目の小径であるアレフに対応します。また無限の空間と星々である天空の女神ヌイトもこの小径に対応しています。アレフの数価は「1」ですが、タローの札では「0」が充てられています。アレフは完全に綴られるとその数価は「111」となり、クロウリーからエイカドに宛てた書簡集の形をとる『アレフの書』はまた『111の書』とも呼ばれています(アレフを形成する三文字、アレフ = 1、ラメド = 30、ぺー = 80の総計)。更に別のゲマトリアではアレフの数価は「831」になります。アレフ = 1、ラメド = 30、そしてペーの最終形である800を足した数が831です。831はクロウリーが好んでその儀式に取り入れたPyramis(ピラミッド)とPallos(男根)のゲマトリア数価と等価になります。クロウリーは『トートの書』の中のアレフに対応するタローの札「愚者」の項で、それを特に男根的であると指摘し、ディオニソス・ザグレウスをその重要な対応神として取り扱っています。また「愚者」の右手には「全父」の白いピラミッドの杖があります。アレフは完全に男女両性具有的な概念を含んでおり、クロウリーはバフォメットについても「愚者」の項で言及しています。男性的な象徴は父と男根とピラミッドが担い、女性的な面は天空の女神ヌイトが担っています。アレフに対応するプラーナは、両性具有的な「零」の概念そのものであり、宇宙的な遍在する活力に他なりません。その概念もまた我々の公式である「0=2」によって表現可能です。

A∴A∴があらゆる形態のヨガをそのカリキュラムに取り入れた理由は、彼の学んだ西洋魔術の技法と『法の書』を結びつける上で、ヨガの技法と哲学がそれをより強固に完成させるものとして必須であると考えた結果でしょう。「春秋分点」第一巻第二号所収の「プロベイショナーへのポストカード」の中の「ヨガと魔術」の項には、その一端が垣間見られます。

“ I. ヨガは心を単一の概念へと結合させる為の技法である。それは四つの方法による。
 ”ナーナ・ヨガ 知識による結合
  ラジャ・ヨガ  意志による結合
  バクティ・ヨガ 愛による結合
  ハタ・ヨガ   勇気による結合 
加えて マントラ・ヨガ 発話を通じての結合
  カルマ・ヨガ  作業を通じての結合

II. 儀式魔術は心を単一の概念へと結合させる為の技法である。それは四つの方法による。
  聖なるカバラ 知識による結合
  神性魔術   意志による結合
  崇拝の技   愛による結合
  試練     勇気による結合
  加えて 召喚  発話を通じての結合
  奉仕の技   作業を通じての結合
これらは沈黙の究極の方策によって結合される。”

ここでもまた二つの体系は見事に対比され、また結合という唯一の目的の為に共に機能するのです。”その完全とその完全によって一つの完全になるのであり、二つになるのではない。否、無となるのだ!” (法の書 第一章45節)

プラーナは聖守護天使の乗り物であり、我々自身の原初の姿です。プラーナヤーマは、パンの嘲笑の下、星々と無限の空間の下、正に結合のために為される「意志の下の愛」の行為になることでしょう。

Love is the law, love under will.