Probationer Period

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

チャールズ・スタンスフォード・ジョーンズ。日本ではフラター・エイカドと呼ばれることの方が多いようです。彼の魔術作業やA∴A∴、OTOでの類まれなる功績については、まだあまり評価されていないような気がします。1916年6月21日、A∴A∴の外陣の修行者であったエイカドは無謀にも「深淵の誓い」を打ち立て、自らをサード・オーダーのメンバー、即ち「神殿の首領」(8=3) NEMOとして生まれ変わったマスターであることを宣言します。サード・オーダー、A∴A∴ではS∴S∴、即ち「Silver Star」(銀の星)と呼ばれている未知の領域です。A∴A∴の魔術師は、「生命の樹」のケセド(7=4)の位階に到達した後に、神域と人間界の狭間に存在する深淵の辺境へと到達します(クロウリーの『霊視と幻聴』の第11のアエティールには、その畏怖すべき光景が描写されています)。魔術師は、そこでたじろぎ、しかし準備が整った上で、不断の決意で深淵へとダイブします。ここでは象徴的に、”自らの血の最後の一滴までをも「ババロン(緋色の女)の杯」へと捧げる”ことによって「虚無」が達成される、とクロウリーはその著書の中で何度か言及しています。その真の意味については、ここでは深く述べることは出来ませんが、もしこの試練に失敗した場合、魔術師は自我の肥大の襲来により破滅し、クロウリーが「黒き兄弟」と呼んでいた「左側の径」の同胞へと堕してしまうのです。彼は橋のない深淵の上から、大悪魔コロンゾンが棲まう深淵へと真っ逆さまに落下していくのです。コロンゾンは偽りの王冠である「知識」です。「知識」はまた、深淵に存在すると云われている別次元のセフィラ、ダースの名称でもあります。コロンゾンは言葉を操り、また言葉と知識、Intelligenceに憑依された拡散の悪魔です。というよりも「知識」と「おしゃべり」と絶え間ない「不毛な拡散」そのものです。それらの知識偏重主義の完全廃棄、自我の超克こそが「深淵の試練」を唯一成功させる要素です。そしてコロンゾンが最も恐れ、嫌悪するものは「沈黙」に他なりません。

イカドが、「深淵越え」という偉業を達成したとクロウリーに告げた時、クロウリーは『法の書』第三章47節に預言された” われらが語ることのないある者が彼の後から来る”という預言が実現されたと解釈しました。「彼」、即ちアレイスター・クロウリーの後から深淵を越えて神域へと到達する「一者」 = エイカドです(エイカドはヘブル語で「一」又は「統一」を意味します)。ところが、後にこの歓喜は失望へと変わります。深淵を越えたと宣言したエイカドは、後に渡英しローマカソリックに入信し、更にあの奇怪な「裸にレインコート事件」によって投獄の憂き目にあっています。1936年にはクロウリーによってOTOから追放されたエイカドは、表面的には「失敗者」の烙印を押されることになったのです。加えてクロウリーの死後、「マートのアイオン」を宣言するに至って、彼の偉業は、魔術界から疎まれるようになっていきます。果たして彼は単なる奇人にして失敗者なのでしょうか?

1886年生まれのエイカドは、クロウリーよりも11歳年下であるだけにも関わらず、一時はクロウリーから”魔術的息子”と呼ばれていました。即ち、正当なクロウリーの後継者であると見做されていたのです。エイカドは「深淵の試練」の後に『法の書』の「鍵」を見出します。彼は、神を表すALの数値と「否」を表すLAの数値が共に31を有することに着目しました。31はThelemaやAgapeの数値93を3で割った数値です。クロウリーは、この発見に大いに触発されます。クロウリーは後に、この発見を敷衍させてLAShTALという言葉を定義しています。エイカドは「ALLALA」、即ち”God is not NOT”を提唱します。いずれにしても、この発見によって当初「Liber L」と呼ばれていた『法の書』は「Liber AL」と改題されることになったのです。エイカドの「鍵」の発見を記した彼の魔術日記からの抜粋は「Liber 31」(『31の書』)として現在でも読むことができます。また「Liber 31」は、未刊のままの「春秋分点」第三巻第二号に掲載される予定でした。

イカドがクロウリーの魔術結社A∴A∴のプロベイショナーとして正式に誓いを立てたのは1909年12月4日で、彼がまだ23歳の時のことです。エイカドが「深淵の誓い」を立てたのが1916年ですから、僅か7年弱で彼は「生命の樹」に対応するA∴A∴の諸位階(0=0から7=4)を踏破していったことになります。またクロウリーの眼から見ても、客観的な視座から分析しても、エイカドはA∴A∴における実践の天才で、こと実技に関してはクロウリーに次ぐNo2であったと断言しても良いと思います。彼がいかに類まれな「実践者」であったかは、彼のプロベイショナーとニオファイト時代の魔術日記を編纂した『神殿の首領』から窺い知ることができます。この文書は1919年にデトロイトで発行された「春秋分点」第三巻第一号に初めて収録されました。彼は僅か7年弱で深淵を越えたにも関わらず、最初の3年間は団の最初級の位階であるプロベイショナーとして過ごしています。A∴A∴のプロベイショナーは、最低一年の間、自らが選択した実践を継続し、それを正確に魔術日記に記録することが義務付けられています。ただし、一年間でプロベイショナーを終える者は、殆どいません。実践の天才、エイカドをして3年間の献身が要求されたのです。『神殿の首領』を読む限り、1913年の初頭に彼は「生命の樹」のマルクトに対応する団の正式メンバーであるニオファイト(1=10)に昇進しています。アメリカのセレマイト、リチャード・カジンスキーの_The Weiser Concise Guide to Aleister Crowley_によれば、「春秋分点」の第一巻全10号が発行されている五年間(1909年から1913年)を調査したところ、60名程いたプロベイショナーの内、ニオファイトに昇進した者は8名しかいなかったそうです。エイカドは正にその内の一人だったということでしょう。ニオファイトに昇進したエイカドは、更に研鑽を積み、次なる位階Zelator(2=9)へと進みます。『神殿の首領』は、エイカドがZelatorの試験に挑む手前で終了しています。続編は続く第三巻第二号に収録される予定でしたが前述の通り、この号は未刊のままに終わっています(OTOが近い将来出版してくれる可能性は大いにあります)。少なくとも彼が「深淵の誓い」を立てた時点では彼はZelatorであったはずです。彼は、2=9位階から一足飛びに8=3、Master of Temple、即ち「神殿の首領」になったと主張したことになります。

彼はプロベイショナーの3年間で実に多くの実践に取り組んでいます。ヨガのアーサナ、プラーナヤーマ、ダーラナー、『第三の書』、『HHHの書』、儀式魔術やマントラなど。時に「魂の暗い夜」に直面することもありましたが、驚くほどアグレッシブに実践に取り組んでいます。彼は、思いついたら実行せずにはいられない性格の持ち主だったのでしょう。プロベイショナー時代の白眉は”聖守護天使の召喚”作業です。この作業は、本来A∴A∴の内陣であるアデプタス・マイナーの義務とされていますが、プロベイショナーがそれに挑むことは特に禁止されていません。この召喚にはトータル6週間の集中作業が要求されることからエイカドはたじろぎます。家族のこと、仕事のこと、隠遁のための金銭的余裕・・彼は躊躇します。しかし、それでも敢えて実行するところがエイカドがエイカドたる所以です。

1912年8月31日真夜中。エイカドは天使召喚のための「準備の行」に入ります。続く9月18日から9月30日の間、彼は「浄化の行」に没頭します。10月1日から12日までは妥協なき隠遁に突入します。聖守護天使の召喚は10月12日に設定されてあり、この日こそがエイカドの天使召喚作業のクライマックスです。10月11日、天使召喚のクライマックスの前日。彼は天使のバイブレーションを内に感じつつ歓喜に包まれます。彼は高揚し、至福に身を任せます。この時点ではまだ天使の御言葉を明確に受け取ることは出来ませんでした。彼はただ”我が主よ、我が神よ!”と天使に呼びかけ続けました。これらの魔術的な浄化と隠遁の行は、アブラメリンに端を発する天使召喚の王道であると云えます。エイカドは自分の感覚が研ぎ澄まされ、聖なるものがやがて自分の全身を包み込み、貫くであろうことを実感したことでしょう。これらの作業によって魔術師の意志は強化され、また感覚は研ぎ澄まされます。

1912年10月12日。エイカドは静謐と共にテンプルへと入場します。いよいよ天使召喚のクライマックスの瞬間が訪れようとしているのです。その行為は、ある意味で彼の3年間の孤独な魔術修業の総決算ともいえるものです。彼の高まる鼓動が頂点に達していたことが容易に想像できます。 ”我が主よ、我が神よ!”

・・・・なにも訪れませんでした。御言葉も恩寵もなく、失意と混沌だけが彼の心臓にもたらされたのです。とはいえ、エイカドはその類まれなる熱意と情熱を買われ、A∴A∴のニオファイトへと昇進したのです。彼の聖守護天使の召喚は結果的には失敗でした。この失敗は、ともすると後のエイカドの予兆であったのかも知れません。

私は、このエイカドの召喚を高く評価しています。更に彼の魔術日記に垣間見られる常人離れした「修業の鬼」たる実践の数々は、高く評価されるべきです。彼は何故、天使召喚にこうも見事に失敗したのでしょうか? それは天使のみぞ知ることでしょう。前述したように、この失敗を乗り越えて彼はニオファイトの修業に邁進します。ニオファイトでは、「光の体」(The Body of Light)と呼ばれる非物質的な第二の身体を用いて、アストラル界を制御することが求められます。未知の象徴を扉とし、アストラル界を探索するのです。この行は旧来の「黄金の夜明け」団では内陣のワークでした。このワークにも果敢に挑み、やがてエイカドはZelatorとして更に前進することを許されたのです。『神殿の首領』は実に示唆に富む最高の魔術日記だといえます。

後にエイカドは「深淵の試練」にも敗北することになります。クロウリーはエイカドの失敗の原因を彼の自我の所以であると後に結論付けています。個人的な意見になりますが、当時のA∴A∴にはダニエル・ガンサーが主張する、「大いなる術」の重要な最初の試練である「聖守護天使のヴィジョン」を体験し、分析し、理解する要素が希薄だったのではないかと想像できます。「聖守護天使のヴィジョン」はニオファイト位階の物理次元での参入儀礼によって確たる種子が蒔かれ、聖守護天使は魔術師の「ネフェシュ(動物魂)」に降下するといわれています。「聖守護天使のヴィジョン」は、続くA∴A∴の諸位階におけるプシュケーの発達論の根幹を形成しています。エイカドの時代は、ニオファイトの参入儀礼が物理的に行われることはありませんでした。

それでもエイカドのプロベイショナー時代の記録は素晴らしいものです。彼は、歴代のA∴A∴の魔術師達の中で、最も波乱に満ちたプロベイショナー時代を過ごした人物だったといえるでしょう。

Love is the law, love under will.