Magical Recordと『天使由来』

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

不思議なことに、私は魔術を語り合う多くの人達と出会う機会の中で、日々の魔術修業をそれぞれのしきたりに則って3年、あるいは5年以上継続して記録をつけている人に殆ど会ったことがありません。これは「黄金の夜明け」団に代表される西洋魔術のメソドロジーが紹介され、少なくとも30年以上が経過している日本にとっては一見奇異な事柄のように見えるかもしれません。これは西洋魔術の用語、基本的な諸概念、魔術結社の概要が一般書籍で紹介され、また日本を拠点として活動する団体が複数存在している(していた)にも関わらず、日本が一貫して「西洋魔術不毛の地」であり続けた一つの証拠でもあります。

恐らく、私が出会った多くの人達の99%以上は、実践魔術師というよりも、魔術ファン、開花されることなくその後を過ごした魔術師の卵、文献魔術師、評論家・研究家もどきであったということを示唆しています。日本では一般的な「趣味としての魔術」それ自体は、健全なことでもあり非難すべきことではありませんが、特定の団体に所属している、あるいはソロとしてでも本格的な魔術活動に従事している人は、殆どいないと私は自信を持って断言できます。ではなぜ日本は定常的に「西洋魔術不毛の地」であり続けるのでしょうか? 西洋魔術が活発な地域を見渡せば、すべからくキリスト教文化圏であることが分かります。北米や南米(特にブラジル)、ヨーロッパやオーストラリアです。私は以前、私の先輩魔術師からこう言われたことがあります。「君は、キリスト教圏以外で誕生した初のFSRだ」と。FSRとはO.T.O.のFrater Superior Representativeの頭文字であり、各国のOTO責任者を指します。西洋化の一途を辿った近代日本ですが、キリスト教文化圏から見れば、未だにそこは異質な極東の島国であり、西洋魔術が根付く環境ではないと理解されているのです。そしてその指摘は、正鵠を得ています。

次に魔術に対する情報の少なさが大きく影響しています。英語圏では年間数百冊の魔術関連書籍が発表され、また無料で入手できるウェブ・サイトからの膨大な情報があります。情報は、単に発信されただけでは大きな意味を持ちませんが、欧米諸国に比べて日本語で入手できる情報量は、おおよそ1000分の1程度だと思います。この格差は、日本の魔術愛好家や初心者が必ずや直面するであろう英語学習の壁に直結します。魔術愛好家達は、安ものの日本語書籍と自らの妄想のみを頼りに、世界から隔離された小さなコミュニティに群がるのです。従って大抵の場合、日本の魔術愛好家の情報は既に賞味期限が切れたものや誤解に基づいた概念で埋め尽くされていきます。情報の欠如は、オカルトという名のもとに一括りにされた疑似オカルト・魔術によって更に希薄なものに変化し、そこに多くのファンタジーが加味され、救いようのない誤謬を含んだ日本独自の”魔術もどき”が定着します。するとその周辺に形成される自称魔術師や神秘家の質は低下し、排他的で夢見がちな小さなサークルが形成され、砂上の楼閣で真実を説教し始めるようになります。この場合、発生する事象は専ら破壊的なものであり、日本のSNSや疑似西洋魔術ウェブ・サイトで繰り広げられるような罵詈雑言と誹謗中傷のみが、メッセージボードに刻まれていくことになります。ここで誹謗中傷の的になるのは、主に精神疾患を患っている疑似魔術マニアです。そのような自称覚醒者達が、西洋魔術のセオリーを無視するのは当然のことで、そこでは魔術訓練を正確に記録するという実践魔術の基盤は、全く無視されてしまうのです。

魔術修業は、その行動と結果を記した「魔術日記」Magical Recordと分け隔てて存在することはできません。魔術師は、心の鏡としての魔術日記に自らの「今」を書き綴ることを義務付けられます。この当たり前のルールは日本の魔術界に限っては全体の1%以下の人達によってのみ守られているというのが現実です。勿論、それが「良いこと」または「悪いこと」なのではなく、それは単に西洋魔術のスタイルであり、アプローチの前提であるというだけのことです。

I∴O∴S∴のメンバーであり、かつて儀式魔術の場を共にした友人、神木ミサさんがとても興味深い小説を発表しました。10月1日に発売されたばかりの『天使由来』(文芸社)がそれです。主人公は、ふとした偶然から魔術結社A∴F∴I∴に参入し、一年に及ぶプロベイショナーの修業に挑みます。神木さん自身が「あとがき」に記しているように、A∴F∴I∴のモデルはI∴O∴S∴であり、小説の中に登場する魔術カリキュラムは現実のI∴O∴S∴のプロベイショナー過程そのものです(一部付け足しはありますが)。実際に魔術修業を行った魔術師が、リアルな魔術修業とその作業日記を小説の中に大胆に盛り込んだのです。これは世界広し、といえども前例のない画期的な小説です。物語そのものの面白さ、文章のオリジナリティ、魔術修行と記録の重要性、あらゆる観点から、楽しめる小説です。魔術修業とその記録については、小説という形態も助けとなり、とても面白く学ぶことができると思います。

魔術修業と魔術日記。その個的で忍耐力のいる作業を下支えするものは、『天使由来』の中にも何度も繰り返される「魔術は面白い」というフィーリングです。そう魔術を楽しむことこそが、修業を継続させる唯一の糧かもしれません。もし、この魔術を楽しむことが出来なければ修業は単に苦行となり、一部のマニアだけの隠された楽しみでしかなくなるでしょう。西洋魔術不毛の地にとっては、久々の朗報ですね。

Love is the law, love under will.