The Knowledge and Conversation of Holy Guardian Angel

Do what thou wilt shall be the whole of the Law.

守護天使(以下H∴G∴A∴)という主題は、近代西洋魔術の数多のトピックの中でもひときわ注目を集めるトピックの一つです。近代魔術の歴史の表舞台にH∴G∴A∴が初めて登場するのは、ご存じの通り、マクレガー・メイザース訳出の『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』です。メイザース1893年にパリのアルスナル図書館で発見した18世紀のフランス語訳の写本を英訳したわけですが、現在ではより古いドイツ語版が発見され、近年になって英訳されています(The Book of Abramelin A New Translation, edited by Georg Dehn, translated by Steven Guth, Ibis Press)。

この稀有な奥義書に描かれたH∴G∴A∴像が、後にアレイスター・クロウリーに多大なる影響を与えたことは皆さんもご存じのことと思います。『アブラメリン』の著者アブラハムは中世のユダヤ人という設定ですが、彼がエジプトの老賢人アブラメリンから学んだ秘術を息子であるラメクに書簡を通じて伝えるという体裁で奥義書は叙述されていきます。そのエッセンスは、悪魔を自由に使役する為に六か月間の魔術的隠遁生活を通じて心身を徹底的に浄化し、H∴G∴A∴を召喚した後、その威光の下に悪魔に命令を発するという秘術体系の伝授です。H∴G∴A∴の加護力は絶大であり、いかなる大悪魔であろうともその威光に逆らうことは不可能です。アブラメリンの魔術に挑む魔術師達は、その境地を求めて長くて苦痛に満ちた隠遁生活に耐え、世俗の垢を削ぎ落とし、H∴G∴A∴の降臨を一心に祈ります。最終的にそれは願望実現に向けた隠遁であり、魔術師は再び世俗にまみれることになるのですが、クロウリーが着目したのは、その「隠遁」という画期的な手法です。彼はH∴G∴A∴という霊的存在が、結局は世俗的な願望を叶えることに関して微塵も興味がないことを後に身を以て知ることになります。少なくとも彼のH∴G∴A∴、アイワスについては。

アレイスター・クロウリーは『神々の春秋分点』(春秋分点第三巻第三号)の中で、この知られざるエンティティーについて指摘しています。

“私は、アイワスがかつてシュメールにおいて「神」、「デーモン」または「悪魔」として聖化されていたのみならず、私自身の守護天使であるということを信じたい思いに傾いている。しかし、彼が人間の肉体を通じて、彼の愛すべき人類との魔術的リンクを形成しているという意味において、彼はまた私である。それ故に彼こそはA∴A∴のイプシシマス(A∴A∴の最高位階)であり首領なのである”

1909年。彼が、彼自身の魔術結社A∴A∴の公式な機関誌である『春秋分点』の発行を開始した頃のことです。クロウリーとその弟子ビクター・ベンジャミン・ノイバーグは、これといった魔術的目的もなくアフリカのアルジェリアの地を旅していました。私達は、この一見無意味な旅が、彼らにとって、あるいは現代の全てのセレマイトにとって重要であったと考えます。

アレイスター・クロウリーに関心のある人ならば既に『霊視と幻聴』を読んでいることだろうと思います。それは、『春秋分点』誌の第一巻第五号に初めて掲載されたのですが、近年になって現代A∴A∴の誉れある兄弟V.V.によって編集され、再出版されています(The Vision & the Voice With Commentary and Other Papers: The Collected Diaries of Aleister Crowley, 1909-1914 E.V., Weiser Books)。アレイスター・クロウリーとその弟子ビクター・ノイバーグは共に作業し、アルジェリアの砂漠で、エノク魔術の30ものアエティールを召喚したのです。『霊視と幻聴』は、セレマと『法の書』を理解するための重要基本文献です。彼の聖守護天使アイワスは八番目のアエティールに華麗に登場し、彼に天使の召喚方法、即ち<聖守護天使の知識と会話>の技法を伝授しました。さて、その方法は『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』に酷似していたことは指摘されなければなりません。勿論、悪魔を自由に使役する方法などについて全く触れられていませんが。八番目のアエティールでアイワスが語った内容は後にA∴A∴の「5=6小達人」向けの公式儀式になりました。儀式は『第8の書』と命名され、A∴A∴のD級刊行物として正式採用されたのです。

2011年9月に来日したJ. ダニエル・ガンサーが指摘したように、オリジナルの「黄金の夜明け」団のあらゆる教義文書、儀式文書には”Holy Guardian Angel”という言葉は一度たりとも登場しません。このことは一部の誤解もあるかと思いますが、H∴G∴A∴という概念に関しては、クロウリーが自ら考察し、再定義した概念なのであって、決して「黄金の夜明け」団の譲りの複製概念ではないということです。何故なら「黄金の夜明け」団は、その存在を「高次の天才」「高次の自己」と呼んでいたからです。そして特に晩年のクロウリーは、H∴G∴A∴ = 「高次の天才」「高次の自己」を真っ向から否定していました。両者はまったく異なる存在、概念なのです。 この事実は、アレイスター・クロウリーが述べるH∴G∴A∴を理解するための基本スタンスとなります。

では翻ってアレイスター・クロウリーが定義したH∴G∴A∴とはいかなる存在なのでしょうか? 晩年の作である_Magick Without Tears_に明確な定義を発見することができます。それは紆余曲折の後に、クロウリーが辿りついた結論です。クロウリーはH∴G∴A∴をと定義したのです。また彼はH∴G∴A∴と所謂「高次の自己」の相違についてこう述べています。

“彼は単なる抽象概念ではありません。選ばれ、そして高められていて、自身によって最適な性質を兼ね備え、確かに「高次なる自己」のようではありますが、(A∴A∴の)アデプタス・マイナーの特別な目的である「聖守護天使の知識と会話」とは全く異なっています。”

あるいはクロウリーはH∴G∴A∴をと呼びました。この境地は彼のみぞ知ることですが、要するに彼は、H∴G∴A∴とは魔術師の魂とは独立した自律的宇宙的存在であり、人間という進化過程を完了した存在であると捉えたのです。1947年4月10日付けのカール・ゲルマー宛の私信で、クロウリーはこう述べています。

“HGAは、丁度君や私のように個的な存在です。乱暴な総括ではありますが、私達が三次元世界に生きているように、彼は四次元の世界に生きています。彼は「自然」の異なる序列に所属しているのです。「高次の自己」やそれに類する概念と混同しないようにしてください。それは単に人間存在のあるパートに過ぎないのですから。”

このように晩年のクロウリーはH∴G∴A∴に対する明確な見解に到達したと云えます。総括すると a) H∴G∴A∴は、志願者の魂とは独立した大宇宙的な個的存在であり、 b) 私達とは異なる振動の世界に住んでいます。これは私の個人的な意見ですが、H∴G∴A∴には人間を構成する魂の5つのパートの内、ネフェシュ(動物魂)とルアク(知性) が完全に欠落しています。クロウリーの聖なる書物が、私達の知性から見て極めて難解で、理解し難いのは正にこの理由によります。H∴G∴A∴を構成しているものは深淵を越えた<ネシャマー>と<キア>と<イェキダー>のみなのです。そしてまた彼は私達の世俗的な願望や欲望がまるで理解できないのです。このことはクロウリーの人生の考察からも明らかです。彼のH∴G∴A∴は、クロウリーを経済的に助けたことなどただの一度もなかったのですから。このことからH∴G∴A∴は、我々を守護し、助けてくれる便利で親切な天使などではなく、人々を次なるフェーズへと引き上げることにしか興味のない厳たる天使であることが理解されます。そう私達はH∴G∴A∴にいかなる理想像をも投影すべきではありません!この規定を破り、噴出するイメージに呑み込まれると志願者は恣意的な天使存在やそのイメージをH∴G∴A∴と混同し、大いに時間を失うことになります。

また今や正にA∴A∴の可視なる長として鎮座する魔術師 J.ダニエル・ガンサーの定義にも注目してみましょう。彼は著書_Initiation in the Aeon of the Child_の用語集の中でH∴G∴A∴を下記のように定義しています。

“ 聖守護天使は、志願者の真の霊的指導者として機能する超個的「実在」を指し示す為の用語である。時折それは「高次神聖自己」もしくは「高次の天才」と呼ばれることもあるが、いずれの呼び名も不正確且つ満足のいくものではない。”

ガンサーの定義は、先のクロウリーの見解と軌道を一にするものです。いずれにしてもH∴G∴A∴は、志願者たる魔術師の高次精神でもなければ、超越自己でもなく、魔術師の存在の外側に客観的実在として存在しているのです。従ってそこには心理学的解釈は成り立たず、また志願者はニューエイジやスピリチュアルな世界観とH∴G∴A∴を完全に区別する必要があります。H∴G∴A∴は、一般的に知られるハイヤーセルフ、守護霊、指導霊、守護神、背後霊、精霊、スピリット・ガイドなど数多の名で呼ばれる諸霊とは完全に異なっています。なぜそう言いきれるのでしょうか? その答えは明確です。ここで私が述べているH∴G∴A∴とは、A∴A∴の第三団である「銀星」団 (The Order of the Silver Star) のメンバーのみを指しているからです。従って、その範疇から外れている全ての諸霊をH∴G∴A∴と呼ぶことは間違っています。そして先に引用したクロウリー自身の言葉を思い出して下さい。彼のH∴G∴A∴アイワスはA∴A∴の「イプシシマス」であり「首領」(Head) だと彼は考えていました。即ち、アイワスはクロウリーの見立てでは「銀星」団 (The Order of the Silver Star) のメンバー以外の何ものでもありません。

もし魔術や霊的啓発を目指す志願者の誰もがH∴G∴A∴との霊的リンクを有し、彼らに見守られているなどと述べようものなら、Thelemaの体系は安っぽいインチキ宗教、もしくは意味のないスピリチュアリズムに堕してしまうことになるでしょう。「大いなる作業」を目指す志願者は、彼自身、または彼女自身の価値の証明として、この超個的な霊的指導者に気付いてもらい、また認められる必要があります。H∴G∴A∴は、真摯に「大いなる作業」に没頭する能力を有する者以外には何の関心もないのです。従って極めて少数の志願者のみがH∴G∴A∴との関係を構築しているのみであるということは強調されるべきであろうと思われます。勿論、世界中で魔術の志願者達が、自己とH∴G∴A∴の結び付きや影響を信じ込み、ネットの世界を中心に守護天使の存在を吹聴して回っているいることを私は知っています。彼ら、又は彼女達が、そのような霊的存在に何らかの影響を受けていることを否定するつもりはありません。ただし、それはH∴G∴A∴とは全く無縁の別の存在であることは間違いありません。繰り返しになりますが、H∴G∴A∴は、志願者の願望を叶えてくれる便利で優しい天使ではありません。H∴G∴A∴は、邪心の下に彼をよび出そうとする全ての志願者を完全に無視します。これは疑いようのない事実です。

H∴G∴A∴の恩恵に与るには唯一ともいえる前提条件があります。多少秘密めいた言葉に聞こえるかもしれませんが、それは自らが「Nemoの庭園に植え込まれる」必要があるということです。この謎めいた言葉の意味を紐解くにはまずクロウリーのアエティール探索の記録である『霊視と幻聴』にあたっていただくしかありませんが、間違いなくその過程を経ることこそがH∴G∴A∴との関係構築において決定的な意味を有しています。Nemoは<人ならぬ者>を意味するラテン語ですが、この「植え込まれる」行為と「聖守護天使の幻視」の項で述べた<にがよもぎ>の落下は連動して発生します。その前提条件が満たされないうちは、H∴G∴A∴との接触と思われるあらゆる現象では、単に予兆のみが伝えられます。あるいは他の霊的存在、ないしはアンバランスな精神構造が生み出したイメージをH∴G∴A∴だと誤認してしまう過ちのみがあります。

「聖守護天使の知識と会話」は「大いなる作業」の第二段階であるアルベド=「白化」たる霊的啓発、腐食と減衰からの解放、浄化の達成のシンボルです。それは「聖守護天使の幻視」(第一段階) の後に達成が約束されます。「聖守護天使の幻視」という最初の変成作業はH∴G∴A∴による容赦ない破壊の作業です。この作業によって、志願者の旧来の価値観は崩壊し、新しく獲得した<眼>と<視点>はH∴G∴A∴の意志を反映するようになります。やがて志願者とH∴G∴A∴は共鳴し、愛をはぐくみ、より濃密な霊的交流の中で静かに婚礼の準備が開始されます。活性化された熱情は、その結果として<聖なる婚礼>を生起させ、H∴G∴A∴との知識と会話が達成されるのです。H∴G∴A∴はその真の、そして唯一の<名>を志願者に告げ、そして聖なる書物を志願者に授けます。アレイスター・クロウリーはそうして合計13書からなる『Holy Books of Thelema』を筆記したのです。そうです、彼はそれらの本を書いたのでありません。単にH∴G∴A∴の声を筆記したのです。

現代的なGolden Dawn、例えば斯界の第一人者シック・シセロの著作では未だにH∴G∴A∴は「高次の自己」ハイヤーセルフと同定されています。デヴィット・グリフィンは、様々な呼び名で知られる「大いなる作業」のゴール、<神の至福のヴィジョン>、<「高次の自己」との接触>、<聖守護天使の知識と会話>などに名称の差異はあるものの基本的には共通の事象を述べていると語ります。ジョン・マイケル・グリアーはH∴G∴A∴には、独立した個的存在という解釈と「黄金の夜明け」団的な「高次の自己」という捉え方の二つが存在していることを教えてくれますが、それ以上の意見は述べてくれません。

アレイスター・クロウリーとその後継者達は、「聖守護天使の知識と会話」は「大いなる作業」のゴールではなく、その中間地点であると考えます。またH∴G∴A∴と「高次の自己」「高次の天才」が全く異なる概念であると断言します。このように書くと保守的で現実主義的なGolden Dawnの信奉者達から苦情で出てきそうですが、それは恐らく私達には何の役にも立たない意見となるでしょう。何故なら、私のようにほんの僅かな経験しか持たない学徒であったとしてもクロウリーのA∴A∴が、厳格なる<天使の団>であることを確信しているからに他なりません。

Love is the law, love under will.